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「国土開発」とグローバリゼーション(グローバル化と私たちの社会第13回)

どうも御厨氏の認識と私の認識がずれているかもしれないというのが率直な印象。勿論私の認識が間違っている可能性はあるけれど。

 

御厨貴。国土開発とグローバリゼーション。グローバリゼーションというのを日本の近代まで遡る。鎖国日本から開国日本へ大きな転換を。必然的に内向きに発展したのが江戸時代。開国はある種の外国の圧力により追い込まれた。結果として明治政府は外圧による被害者意識と屈辱感、そのトラウマ。1600年前後は海が外敵からの侵略を妨げていたが、黒船で状況が一変。逆に弱みに。何処からでも攻め込まれる。近代国家はまずそれに備えることから。国を開けることで中側は安全保障を。道路網を整備する時に、東京都大阪を繋ぐ鉄道。東海道ではなく。なぜか。海上からの攻撃を避けるため。内陸を中心とした道路網や鉄道網。内発的に開発?当時の日本は如何に対外的な恐怖から逃れるかを第一に。日本は日本以外のアジアの国々にどのように進出するか。ロシアと中国。両方に対して恐怖心を。いつ攻め込まれるか、植民地にされるか。悠長にインフラ整備はやってられない。富国強兵。植民地経営を。膨張主義に。当時の政治指導者。やらなければやられるという強迫神経症的な。獲得した領土の経営にさしたる方針を持たなかった。全体として計画性はなく完全な植民地経営とは程遠かった。イギリスにおけるインド支配。社会インフラの観点から社会資本を如何に作っていったか。水道などの整備。インドを見るとはっきりと。日本も色々やろうとしたがインフラが植民地の発展に役に立ったとは主張できないのが現状。国土経営に乏しい。明治政府は藩閥政府と。薩長土肥の。藩閥支配。政友会。政党政治というのが対峙する形で。国内開発の点でも違う。社会資本の形成。藩閥政府の中心の国家主義的統治を。大規模なインフラに集中投資を。政党政治は地方利益を主体に。当然均等配分均等主義。全国が潤うように。藩閥の国家主義的な社会資本整備を。大正期まで展開したのは後藤新平。原敬。対称的な国土開発。鉄道の敷設。グローバルスタンダード。広軌鉄道を日本でも。政友会は地方の果までの発展のために地方利益を中心に狭軌鉄道をどんどん日本国内に。最終的には政党政治が発展していく過程だったので狭軌鉄道が全面的に。後藤新平は植民地経営では活躍したが日本本土では失敗。後藤新平はグローバルスタンダード。原敬はジャパンスタンダード。今日でも公共事業はグローバルスタンダードとジャパンスタンダードの対立。常にグローバルスタンダードが主張されたが実行されるのはジャパンスタンダードに。
結果的に統治の主体を政党が担う。後藤新平が活路を見出したのは関東大震災の復興事業。東京市で総人口の60%近い人が被災。東京と横浜の市街地の大半が焼ける。後藤新平は帝都復興院を作りトップとしてグローバルスタンダード的な都市開発を。壮大な復興計画を策定。大風呂敷。総額41億円の一大事業。到底出来ないと縮小され7億から8億の事業に。技術官僚やプランナーたちは支持したが。反対は政友会。衆議院に多数を持ち得ない政党は困難。議会主義で葬り去られた。結局昭和期に入り二大政党で政治を。公共事業はしょっちゅうストップを。担当者も含め計画が変更され全体的に進まない。軍はプランナーにささやきかける。政党には頼らないで軍をバックにすれば何でもできると。都市開発家や建築家。10年単位の長期計画。多くの者が満州に。普遍的な政治の制度。議会主義であり政党政治の成立がグローバルスタンダード。政党政治がインフラ整備と馴染まなかった。同じグローバルスタンダードだが。極論だが。ローマの皇帝が街づくりを。ナポレオンがパリの都市改造を。権力は大きな都市づくりのパトロンとして。都市計画が進んだものに。日本では上手くいかなかった。政治的な発展、政党政治の近代化と開発政治が上手く整合性があって展開をするのは無かった。昭和の初めまでの近代化の結論になる。大日本帝国時代は分業体制をベースに国の発展を。現実には植民地は本土のためにあった。開発の成果は元々の島々が享ける形に。国土計画という概念がドイツから。本土と植民地をどう開発するか。しかし周辺の植民地は工場というのは変わらなかった。東亜新秩序や大東亜共栄圏の思想は現実を伴わなかった。
占領される日本。実態の転換。終戦後に最初に占領軍が、内なるフロンティアへ。日本には資源がないから開発するものはない?外へ発展を。日本は技術を駆使すれば資源はある。4つの島々だけで開発が進む良い国家に。外務省の若手グループは国土開発を政策の1つとして。戦後に本格的な国土開発を。TVAによる一点突破集中展開。東北の河川の大きなところで。ありとあらゆる資源を集中させる。電源開発をベースに国土開発を。魅力的に。しかし敗戦後の国土開発では中央集権は地方の抵抗で無理に。満州など外に出ていた人間は中央でなく地方に。軽く地方の人にあしらわれる。地域主体の国土開発に。昭和25年に総合開発計画を進めるための。制定された国土総合開発法は実行されなかった。両方の対立があり政策の齟齬が。昭和37年になり。高度成長の時期に。池田勇人の所得倍増計画の一環として太平洋ベルト地帯。表日本に投資を集中する。当然反論が出る。残された地域は?均等に発展しなければという声が。均衡ある国土の開発。補うものとして全国総合開発計画が。遅れた地域まで含めて均衡ある発展。日本の開発思想の。決定的に。高度経済成長期が進む時期に。44年の計画。アジアなどとの提携を。この時期は外との接点を切る方向へ。内なる発展で外ではない。日本列島に道路鉄道を事細かに網の目のように繋げて日本の国土に。計画書の地図は4つの列島しか書いてない。北海道と九州が弓なりに近く。時間的空間的に縮めてどこでも同時に開発する。アジアの地図がない。他の大陸と繋げるという発想がない。日本列島を丸く。裏には当時の佐藤総理が。大陸を向いている時代は不幸だったので。敗戦後日本は太平洋を向いていた。大陸は中国だが戦前戦後も上手くいかず。開発の発想も切れる。田中角栄の日本列島改造論などは発展の基礎を日本に。外との関係を絶つ。言い換えると帝国主義の膨張主義が行き着いた悪夢から抜け出せない。アジアに日本が出ていくだけで悪夢が蘇る。繰り返される計画でもグローバリゼーションは用意周到に避けられる。民族主義的中曽根康弘も計画の中で外交や防衛のプレゼンスを。東京を国際都市にするという発想はあったが国内外の交流を活発化させるという発想を国土計画に反映はさせなかった。戦前は膨張主義。4つの島では無理。優勝劣敗。頑張らざるを得ない。頑張りの中で様々な日本人の苦労が。戦後は国土開発。国内だけでは収まらないがなかなか外には向かなかった。90年代を迎えて戦後を効率的に運営していた自由民主党の一党支配が崩れシステムに問題が。冷戦の崩壊。東西対立が無くなる。国際的に大きな変動に対応。安全保障や軍事的リアリズムが。同時に通商国家として。アジアやヨーロッパに繋がる開発の思想がなければ発展もない。舵取りを変える必要が90年代から。有識者の中にも大胆に。しかし旧来の思想は変わらず。開発という形で日本国内を繰り返し問い直しても解答は出ない。21世紀になるところから国土開発の思想を問い直した試みは途絶える。しかしだめになった訳ではない。国土開発をグローバルスタンダードとして考えなければならない。周辺諸国。中国にしても韓国にしても独自の開発思想を。日本をある意味で疎ましく。外交や安全保障、国際的視野を抜きにして語れない。日本の主張を明確にして世界に伝達しなければならない。日本では大型開発は終わったとされたが、政権交代の中で。今までの開発ではいけないがどうやっていけば良いかが足踏みの状態。人材育成。エリートの育成。開発の真のプロを作り出す。良いチャンスが来ている。東日本大震災。ボランティアやNPO。国土の復興を通じてやがて次の災害の備えを。未来を見据えた国際的なモデルにできる。もうじきオリパラが。東京を中心とするインフラを。復興かオリンピックかの二者択一ではなくどちらも。インフラや開発を防災や都市再生を。真逆に見えても同じ俎上に乗せる。差し当たりグローバルスタンダードを。考え直す時代に。

 

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