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国の教育行政組織と教育政策過程(教育行政と学校経営第2回)

そもそも政治が教育問題にどのような関与をすれば良いのかは難しい課題である。なんでもかんでも政治が決定すれば良いというものでもないが、かといって国民の多数派の意見は無視も出来ないのだから。

 

村上佑介。国の教育行政組織と教育政策過程。文部科学省の組織人事やその他の国の組織。国における教育政策過程の内容や近年の変化。
文部科学省の組織人事。文部省と科学技術庁が01年に統合されて。長は文部科学大臣。2名の副大臣や政務官。政府3役。事務次官級。文部科学審議官。大臣官房と局や部。大臣官房は支援機能を担う。現局と呼ぶことも。総合教育政策局など。課や係が。初等中等局が重視されている。外局。文科省は文化庁とスポーツ庁。外局の長は長官と。長官官房や部が。文化庁は大半が京都に移転。定員は18年現在で2100人。本省は最も小さい。審議会。大臣の諮問機関。中央教育審議会、中教審が。諮問を求められ意見を出す。学習指導要領などの諮問が尊重される。通常は答申の内容に沿って政策が決められる。社会的な課題となっているケースではそのままとは限らない。教育関係者や地方自治関係者、学識経験者や経営者、文化人やタレントなど約20名が。実質的な議論は分科会や部会、委員会で。中教審委員の任命は事務局が人選するが最終決定は大臣が。政治や官僚の隠れ蓑に過ぎない?
文部科学省の人事。採用時にどの試験を受けたかで昇進などは大きく異る。総合職や一般職。中央省庁の職員の昇進モデル。将棋の駒に似ているので二重の駒形モデルと。キャリアは10年ほどで本省の課長補佐に。早い人で40代前半で課長に。多くのキャリアは課長まで。審議官を経て局長に。審議官以上は全員が昇進できる訳ではない。早期退職して関連団体や民間企業に天下りが。事務次官が交代すると全員が退職するという慣行があった。最近は減少していて、現役のまま関連団体などに出向することも。出向先としては国立大学の理事や事務局長が多い。出向としては30歳半ばから都道府県の教育委員会や市町村へ出向することも。ノンキャリアはSPEEDが遅く、課長補佐には全員が昇任するわけではない。キャリアと異なるのは異動も。ゼネラリストに対してスペシャリスト。ノンキャリアは特定の局で長期間。専門知識に強い職員として養成される。ノンキャリアの特徴として新卒の採用が非常に少なかったことが。90年代ではノンキャリアの新卒採用はなかった。国立大学職員から優秀な職員を確保していた。近年では一般職が増えている。
それ以外の省庁や組織も。00年代に入ると外部の組織が大きな影響力を。第2次安倍内閣での教育再生実行会議が教育改革の方針を決める際に大きな影響を。中曽根内閣で臨時教育審議会が。政権が教育改革をする際に多く用いられる。内閣官房や内閣府は国の政策全般に大きな影響を。官僚の多くは各省庁からの出向だが、主力は財務省などから。教育政策でも文部科学省以外の影響力が。文科省は受け身になりがち。
国における教育政策過程。教育政策に限らず国の政策は法令や予算の形で。国会で決定される法律のほか、政令や省令など。法律案の場合は内閣が提出する閣法と議員立法が。内閣が開く閣議で全会一致で決定したものが国会に。自民党内の事前審査が。与党事前審査制。文科省内での調整が。政策過程。課題設定政策形成政策決定などの5段階で。主に課題設定と政策形成に。無限の課題から選択するコト自体が社会的政治的プロセス。政策課題として認識されなければ改善はない。アジェンダ設定。何が政策課題になるのかはマスコミや政治家の発案などによる。政策課題とされると政策案が作られる政策形成の段階に。自民党内と文部科学省内の調整が並行して。部会や調査会の組織が、事前審査。省庁毎に対応する。文部科学部会。全会一致で承認される政策案は総務会と政務調査会で承認され党としての意思決定が。他の政党と連立政権が。与党内の調整が。部会のメンバーや関心の強い国会議員の役割が強い。族議員。文教族。各課や各係でも検討が。係長や課長補佐などが最初の草案を作成することも。各課や各局の調整を経て大臣の決裁により意思決定が。職位間の調整や中教審での調整。中教審では利害関係者に因る調整の他に関連団体からのヒアリングも。各方面からの意見を集約する。制度改革の大枠も議論されていたが、最近は教育再生実行会議が大枠を示してそれを前提として中教審は議論する。中教審は下請けになっているとの批判が。端的には党内や省でボトムアップ的に政策が形成され国会に法律案が。自民党内の事前審査制は大臣などの影響力が弱くなる。90年代なかば以降は首相や大臣の影響力が強まる。仕組みとしては党内や省内の調整だが実質的にはトップダウン的な政策形成が強くなっている。民主党政権では政治主導が。内容は自民党と異なる。大臣を中心とする政務三役が影響力を。首相や官邸は大きな関心を持たなかったので政務三役が主導して政策過程が。政策形成過程の特徴は?10年代後半に前川喜平氏は00年代前半に特徴として。現場ニーズの積み上げが主流。政策の継続性を重視。広く国民のコンセンサスが。アイデアから政策への期間が長い、など。全体として良くも悪くも変化に慎重で政治には敏感。00年代初めまでは官僚主導が批判された。経験的なデータでは政治主導が優勢だったが政治的には官僚主導とされた。文部科学省では既に政治主導だったと示す研究も。ボトムアップが重視されながらも政治が強かったと。
90年代までは相対的に合意重視だった。90年代初めまでの中選挙区制では単一の選挙区で自民党議員が複数。個人の集票力や派閥の力が。事前審査制。全会一致が原則で党内でも合意を重視。小選挙区比例代表並立制に改められると合意や権力分立ではなく変容。00年代初めの省庁再編。内閣機能の強化が図られ内閣への執政権の集中。多数決型民主政治と合意形成型民主政治。2つの次元について多数決型と合意形成型の違い。具体的には以下の点で。多数決型民主政治は多数決型で比例的でない選挙制度を。内閣に執政権を集中。憲法は改正しやすく。合意形成型の民主政治。中央集権と言うより地方分権。二院制で改正しづらい。日本はどちらかというと合意型。現在では主に政府政党の次元については多数決型など混在する。完全に多数型民主政治の面には合致していないが、合意型から権力の集中を特徴とする多数決型に移行。それぞれメリット・デメリットが。多数決型。僅かな差でも勝者総取り。与党が実現しやすく。成果を評価されないと二大政党のもう一つが政権を。決定が迅速だが政策変更が頻繁に。合意型はその逆。議席配分が反映され連立政権が常態になり政策の実現はしづらい。政策変化も緩やかに。90年代までは教育政策に限らず多くの政策分野で合意型の。とりわけ法案の事前審査制。自民党と内閣が一体化。安定性は担保しやすい。合意性の委員会ではなく独任制の大臣のもとでも継続性がある程度担保されていたのは合意型によるところが大きい。自治体レベルでの安定性は教育委員会のもとでだが、国では合意型民主政治という政策形成システム全体の中で安定性を。自治体レベルとは異なり国レベルでは制度的基盤を。多数決型民主政治への移行は安定性の低下に。公立高校の授業料無償化。政権交代以降は所得制限を設けて代わりに奨学金制度を。他にも教科書検定の基準が政権交代で変わることも。多数決型民主政治は政策決定の迅速性や時代に即した制度改革にメリットが。劣っている面ばかりではない。継続性という点では合意型民主政治が優れている面が。00年代以降は教育改革が連続して。ねじれ国会の時期を除けば国レベルの教育政策の安定性は低下している。多数決型民主政治的な統治システムの色彩が強まると。多数決型民主政治に基づいたシステムを選択するのは1つの選択肢。しかし弊害を一定程度緩和して安定性を担保する政治システムも必要。国家公安委員会のように行政委員会の仕組みの導入も。安定性継続性の観点から多数決型民主政治と合意型民主政治。政治的中立性も重要。政治家と官僚の接触のあり方などが検討される必要性。内閣人事局が一元管理。各省庁の幹部職員は政権に奉仕する色彩が強まる。自治体レベルでは教育委員会制度が。国の教育行政は中立性への配慮が弱い。14年に法改正が行われた教育委員会制度の議論。廃止すべきという意見も。政治的中立性がそれ自体必要ないとう立場も。国レベルでもどの程度担保する必要があるか、具体的にはどのような仕組みで保障するのか。独自の制度を設けるのか、が論点に。

 

教育行政と学校経営〔新訂〕 (放送大学大学院教材)

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