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生活調査をどう政策構築へつなげるか(生活変動と社会福祉第3回)

過去も現在も地道な研究調査こそが現実を究明して解決策に至る道なのだろう。

 

山田知子。岡知沙登。生活調査と政策構築。イギリスでの2つの貧困調査。チャールズブースのロンドン調査、シーボームラウントリーのヨーク調査。COSやセツルメント運動。貧しい人々と暮らして。調査の方法が編み出されて生活の多側面で。生活調査。COSやセツルメント。貧困地域で暮らす人々と暮らして問題を。
チャールズブース。ロンドン調査。ブースは初期の段階でトインビーホールを使っていて地域調査のチームの拠点に。なにかしなければと行動を起こすのは社会福祉の最初の一歩。個別的な対応やボランティアでは足りない。何故貧しいかを社会的に究明するのが必要。ブースは多くの失業者が出ていた頃にロンドン調査を。成功した実業家。保守的な政治哲学の持ち主。ハインドマンが貧困調査をしてその結果に。ロンドンの25%が極度の貧困に。自分で労働者の調査を。基礎はロンドンの東の地域。日常的に子供の居る世帯と訪問員が居る地域に。子どものいる家庭を訪問して住宅などの状態などの総合調査をして子どもの実態を把握。その人からの情報と国勢調査をクロスさせて。調査結果から家族を8種類に。30.7%が貧困状態に。不定収入者。貧困線の上と下。それほど明確な基準ではなかったが。貧困線以上に属するグループと以下のグループに対比。普通の生活水準を維持しうる家庭とそうでない。貧困線の発明。社会科学に対する顕著な貢献。最低生活のあり方。貧困線を引いたことで社会生活上のサポートが。分類された世帯ごとの援助も分かりやすく。線を引いたことが革新的であった。社会的意義も他に大きなものが。85年から調査を。報告書が刊行され89年に初版が。全部で17巻。最終報告書は02年から03年。社会的意義は計り知れない。最初に貧困線の概念を初めて用いた。最大の都市で市民の30%が貧困の。とりわけ下の10%がたまにしか労働できない。ロンドンの街を経済階層で色分けを。目に見える形で明らかに。貧困原因を明らかにする。途上で雇用の問題や病気や虚弱や大家族の環境や失業の問題。それまでは貧困状態にある人は浪費者だったりする人は多くない。そのことが貧困のイメージを覆す。飲酒もあまり関係ないと。自分たちの力ではどうにもならない。貧困観の転換。調査の協力者の層の厚み。教育委員会の訪問員からの。労働組合の代表者や教会。情報の精度を上げる。トインビーホールの関係者を沢山お願いしている。後世に名を残す人も。ブースは産業調査も。過密線。30%以上は過密線の上に。貧困と安楽の線とほぼ同じと。劣悪な住環境は貧困と関連があると今でもされている。資料収集の過程で高齢であるということが。救貧施設。多くの高齢者が亡くなっているという現実。高齢であることが最大の貧困の理由。貧困高齢者の問題。統計的に明らかに。99年には老齢年金と貧しい人々への提案。一連の研究が起爆剤となり08年に老齢年金法が。ブースの調査をきっかけに。高齢であることは貧困であることが科学的に検証。ブースの貧困調査から多くを学ぶことが出来る。生活調査。政策構築への道を。説得力のある科学的な調査の重要性。優秀な調査チーム。セツルメント運動の活動家など。社会改良を志していたということ。ナショナル・ミニマム。ウェブ。クララコレットという女性も。後に女性労働の研究者に。収集したデータをどう読むかなどの議論を。調査はチームで実施されることが大切。同じ志を持った優秀なチームが。ブースの調査の情報が他の資本主義の国々に波及した影響力が。ヨーク調査も触発。日本でも。ドイツやイギリスでの留学。都市の問題を。刺激を受けた。明治32年に横山源之助の著書。「日本の下層社会」。精緻な生活調査の方法。世界を動かすのは統計でなく熱量。しかしその力は統計により導かれなければならない。
ラウントリーのヨーク調査。貧困状態の人間の性質を。ヨーク市の人を7つに分類。調査の概要。調査対象は1万以上の家族と街区388。4万人以上。全人口の3分の2の労働者階層の全数調査。貧困の幅と深さを測定する尺度を。調査項目。住居の状態や所得。稼ぎての数。家賃など。収集した情報は牧師さんや地区の訪問員など地域に精通した人に協力を求めて精度を上げる。標準家族。所得の高さに応じて7つに。家族の総収入。生活水準。手から口への暮らし。一週間でも病気で休んだりすると大きな影響が。借金に。食事へのしわ寄せ。飲酒が多い。必要な支出を犠牲に。個々に事例を上げながら発現の中身を描写して書き込んでいる。生活の苦しさや言葉を。100年以上前の暮らしぶりや困窮状態を知ることが出来る。ナラティブの研究アプローチ。単なる肉体的な効率の保持を。第一次的な貧困や第2次的な貧困。貧困状態にある人は2万人以上。貧困線をどのように設定したか。最低限の栄養を基準に。ラウントリーは当時アメリカの栄養学者の研究を利用。熱量3500キロカロリーなど栄養学の成果を取り入れる。個々の家庭の最低限の所得を。食事と家賃衣服などの推計と結合する。肉体的維持のための生活必需品の購入を推定して不十分な家庭を割り出す。日本でも採用されていたマーケットバスケット方式。最低生活費の算定も影響を強く受ける。日本の最低生活の算定基準も。貧困の原因も究明。6つを析出。稼ぎ手の労働が不能。稼ぎ手が働けない。主要な賃金の稼ぎ手が失業。不定期就労。家族が多い。低賃金。最も原因として高い比率は低賃金。更に貧困に陥る原因となるものは人生のスパンで。ライフステージ毎に異なる。長期的な生活変動が。労働者のライフサイクルという有名な図。労働者自身が幼少期に親の貧困からか。労働者自身が結婚して子供が産まれたとき。定年になったとき。人生には3回危機がやってくる。危機の時にきちんとした社会保障があれば収入が極端には変動しない。功績の1つ。元々はラウントリーの考えから。01年調査や36年調査、50年調査を。調査項目。家賃や部屋数、水道栓の共用の個数。同居者。家の中の乱雑さなど。家計のやりくり。整理整頓がなされて。知的好奇心や娯楽の内容。今日ではなかなか個人情報の観点から難しいが、暮らし方を加えて内側からのリアリティあふれる調査。生活調査の醍醐味はリアルに生活に迫ること。時に自暴自棄にも。苦しみながらも希望に出会える。暮らしの工夫。向き合う様々な事例を。問題の構造を見出すことが可能。どのように社会に発信するか。どのような実践が必要か。ラウントリーは貧困という調査の本の最終章の結論で。ヨーク市における生活。事実の重大な意義に心打たれる。総人口の4分の1以上が貧困生活を。この事実こそが核心を。多数の人々が。福祉において深き思いを。苦しい生活をする人は声に出して訴えないので知らずに過ごしてしまう危険があるが、事実を知るに至れば社会問題が解決を待っていることを。社会経済的状況に欠陥があれば正す必要がある。どんな方法を取ればよいか。現実の究明の目的だが社会進化の道をひらく。