F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

孤立と零落 ~貧困体験の中核~(人間にとって貧困とは何か第1回)

自分も貧困層なのかもしれないと思う。まあ知識的に貧困でなければ良いと思って生きてきたから後悔はしないけれど。

 

孤立と零落。貧困体験の中核。貧困とは。社会福祉学とは異なるアプローチで。貧困体験を理解するための道筋を。貧者を巡る考察。社会について。貧困体験は社会により規定される。貧困に関連する様々な現象を。何故そうなるのかを。私たちが安易によりかかりがちなものから距離を取る。役に立つような貢献は考えない。あくまでも貧困体験の理解へ。救い出す社会の解明へ。「貧困と社会」の力点を移動させて新たなトピックも。前回は全体を概観しようとしたが、貧困の社会学としての序論になり得る一里塚に。
貧しさがそれ自体が繋がりを弱めるものとは言えない。孤立と結び付けられることがあるが、連帯や相互扶助をもたらす可能性があることも。共有化されれば貧者の連帯は社会運動へ。社会主義や民族主義などに。貧困を連帯や相互扶助と結びつけて論じられることは現在では難しい。貧困と孤立の関係が。孤立をもたらすのは豊かさを垣間見た社会に普遍的。時空間。何時から始まったのか?起源を論じるのは対比によって貧困の特質を明確に。柳田國男「明治大正史世相篇」。貧に対する私たちの態度が変わってきたこと。貧窮が耐えられないという心の状態。近代の日本人に植え付けられた。貧者はもっと多くて酷いものだった、しかし気にはしなかった。慣れているとも言えたし、多かったので忍ぶことも出来た。関係論的な視点。何かが欠如しているという意識。他人との比較において。欠如が感じられ貧しさが耐えられなくなる。関係世界の地盤変化。近代化。身分と藩という枠組を崩壊させた、国民国家。身分差や地域差の小さい国民に。国民すべてを国家と統合。公教育は無償で義務で非宗教の教育制度。身分制を否定。スタートラインと教育内容を均一化。地位序列を否定。徴兵制も均等性を。新しい広がりの感覚。求心力を持ち受容された。藩も破棄された。廃藩置県のインパクト。直接国家と。識字率が高まり新聞が読まれるようになった。国民共通の時空間として感覚される。国民国家という広がりへと。村や国を離れるのも異常ではなくなった。滑らかに生じたとは言えない。ローカルな事情と国家とは食い違った。けれど60年の間は世界観を激変させるのに充分だった。
欠如は比較を通して認識される。関係世界の変化は?比較の対象が動き始める。成功する者や没落する者。都会の者も比較対象に。宿命論の納得が難しくなった。すべての人が比較の対象に。競争的要素が多くなる。自らの欠如が意識される。邸宅は。他者との接点で欠如を。人々は比較の反復作業で。貧窮を忍び。過去の自分と今の自分との比較。暗い気持ちに。今の己を。零落と孤立。2つの過程。零落。士族の没落が例。制限だらけ。栄える多くの友人が。いやが上にも耐えられない。如何にも没落民の。しかしそれに限定されない。野望を持って新しい仕事に挑戦した者には失敗者も多かった。東京、内線の混乱から。90年台には100万人を超えたが、人口増加は若い単身男性が。当て所のない生活。集まった人々は都市雑業に。安定した生活は難しかった。中川清。離婚件数は結婚件数の50%以上。23年の大震災以上、都市域を拡大。都市雑業から職工や日雇労働に。30年は激動が一息ついた時期。労働市場が成長したと言っても敗残者は蓄積されていた。新しい労働市場に包摂されるのは難しかった。都市雑業の新しい仕事は、零落の職業、一時的便法に過ぎなかった。ただ否定的ではなく、貧窮に慣れることなく反発する心、社会のエネルギーでもあった。近代的精神。エネルギーが行き場を失った時には絶望も不快。社会はまた改めて苦悶し始める。信じたいの貧富。孤立を強調。零落とともに。埋めがたい距離を。都市雑業。零落の職業。家とは家業を切り盛りする経営体。家々からの外の職業世界。孤立の貧窮。地域社会の変容。農村の相互救済の力の衰退。自分の家だけ救われたいという。不幸が自分にだけ集まっていると思い世を恨んでいる。
家、ムラとはなにか。家が経営体、かつての村落社会は家の連合体。家産の維持拡大の為の経営体。家長は家を束ね庇護する。血縁も要件ではない。縦に本家分家関係。村落社会の形成。金銭で解決が難しい問題は家同士の協力で。入会地など。しかし生ぬるいものではない。村や家は人口調整のメカニズムが。余剰部分は都市により吸収。江戸時代初期には農地開発で人口は大きく増加。江戸や大坂は経済的に恵まれなければ結婚は難しかった。少子の社会だった。都会は墓場。ムラ。村人たちにとっては相互扶助集団。貧困に脅かされている。貧困は連帯の基礎に。共同防貧。私たちは家の世界の外に居る。個人化。行為の選択の幅が拡大、責任も拡大。社会階層などの程度差はあるが個人化が。個人の問題はあくまで個人問題に、社会の問題とはみなさなくなる。貧困への自己責任。過去から現代への流れ。個人化の進展が圧倒的な力で膨張する。骨絡みで住民に。現代は競争者を憐れまざる者に溢れていて、自分だけが救われたいと。貧者は世を恨むものが多い?新しい貧困は今日の貧困の始まり。脱近代の議論。貧困の有り様は近代の過程の帰結。産業化が不充分。マージナルな貧困。脱産業化社会。降格する貧困。貧困層の増加。柳田國男、統合された貧困からマージナルな貧困。質的な変化。心の状態は一貫している。今日の降格した人を含む貧困層の問題。
柳田國男の概念。貧困はアイデンティティの問題として体験される。アイデンティティ。個人が他者との関わりで獲得する自己。なんとか大学の学生、良き母親など、何かの存在。何かであるためには認める誰かが必要。危ないアイドル。エリクソンのアイデンティティ。依存する自己。自己の呈示と他者の承認。貧困は承認を難しくする。組織や社会集団、他者を得難くする。自己の存在が自分でも認め難くなる。貧困の心理学では無い。悩みを社会から切り離すつもりはない。アイデンティティは他者からの承認で可能とすれば。関係体験とセットで。貧困体験は社会的体験。社会的排除。財や権限を獲得しているグループや権力が締め出す。労働市場においては学歴などにより階層化身分化。カテゴリーによる。国家に関わる制度も。悪い国民と良い国民の序列化。貧しい人は制度から阻害される。無意識に浸透した差別は。関係を指し示す概念。カテゴリー間。大卒と高卒。正規雇用と非正規。排除非排除の関係。前者の利益は後者の不利益が前提。パイが守られる。男性と女性も同様。直接的な排除関係は双方の自己認識に影響する。私を排除する他者のまなざし。貧者のアイデンティティは困難に。社会的排除関係。
貧困の範囲と貧困体験をアイデンティティとしてみる。アイデンティティ論と社会的排除論は全体に関わる。記憶を自由に重ね合わせる。偏った認識かもしれないが、個人的体験は理解するにあたり考察の糸口になることも。記憶を掘り起こしながら。

 

人間にとって貧困とは何か (放送大学教材)

人間にとって貧困とは何か (放送大学教材)