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人生の終末期にある人の家族―その経験と困難―(家族問題と家族支援第8回)

半世紀も生きていれば誰かを見送らなければならないこともあるので、覚悟を決めておくことが必要なことも。

 

株本千鶴。人生の終末期にある人の家族、その経験と困難。現代社会で人が死にゆく過程の問題と経験と困難。医療が利用される場合が多く、その中での家族の問題を。現代社会において死にゆく過程で起こること。特徴。日本社会で死にゆくことは何処でどのように起こっているか、社会の捉え方。終末期にある人がどのような経験をして困難を。
2つの理論。自分の死が訪れるのを認識している人の社会的行為。アリエス。死がどのようなものだったか。過去においては大して重要ではないと。飼いならされた死。時を経て変化して。非人間的終末期医療。ゴーラーの影響を。イギリス社会で死別と悲哀を調査。タブー視。現代社会での死にゆくことの特徴。医療化と共同性の希薄化。医学的な説明を与えられる。死にゆくことの医療化。死のタブー視に批判的。死を巡る共同性の希薄化。共通の死生観を持つ共同体で行われる。存在した中世への回帰が望ましいと。エリアス。文明化の過程の考察。現代人の経験。文明化で人は他者と交わりながらも自意識を持つ個人と。内面の世界に閉じ込められた個人は閉じ込めれた人間。閉ざされた人間同士が関係を持つことで生の世界が。生きることのimage。閉ざされた自己完結的な個人。死のimage。孤独の内に死ぬ。生きている内に孤独は感じられる。死を間近に控えた人間が周りの人には価値がないのだと思われて孤独感を。死にゆくことは孤独なものに。死のタブー視への批判的見解。エリアスとアリエスに共通。エリアスは直視して個人化を肯定し医療の役割も。死にゆくことの望ましいこと。死を前にしても個人が互いに尊重する関係性で。死にゆくことを対象とした研究では主な現代的特徴が2つ。死にゆくことが医療化されている。死にゆくことを巡る共同性のが希薄化。日本社会での死にゆくことの医療化。
死にゆくことが何処でどのように。死亡場所。経年的推移。77年には病院の割合が自宅の割合を越える。死亡場所として病院の割合が増加。医療化の指標。死因。脳血管障害悪性新生物など。81年以降第1位は悪性新生物。癌が日本で最も多い。約30%。病院死や癌死の増加で死への捉え方。死にゆくことが社会問題に。具体的には厚生省が末期医療に関するケアのあり方の研究会を。検討会が設置されて末期医療については意識調査などを元にした検討が。終末期医療に変更。15年には人生の最終段階における医療に変更。死にゆくことへの社会的関心も高まる。例の一つが尊厳死への関心が高まる。社会的承認を求める団体が日本尊厳死協会。16年時点で11万人。70年代後半から闘病記の増加。柳田邦男。死にゆくことや医療化に関心や知識を。死にゆくことの医療化の特徴を持つ。
終末期にある人の家族の問題。成年の末期がん患者の家族。現実には主観的家族には親しい友人なども含まれるが。家族の経験と困難を3つに分けて。受け止める。看護する。納得する。受け止めるという経験。患者にとり予後告知は重大なもの。日本では家族によってのみ。患者の予後の理解が必要。心理的苦しみを。意思決定支援など吉田サラン先生を。ホスピスケア。治癒のためではなく苦痛緩和のためのケアを。看取った経験のある遺族への調査。家族は予後の説明で終末期であることを知り心理的苦しみを。死別に対し準備したり有意義なことができる家族も。看取り後の準備を可能に。患者に伝えるかどうか。患者への伝え方は家族が決定することが多い。看病生活や看取りを想定する。その中で治療の目的を治癒から症状緩和へと。家族は抗癌剤治療を中止するか否か、緩和ケア病棟にするか自宅に戻すか。意思決定については療養の場所の決定について悩むことも。遺族を対象にした調査。緩和ケア病棟に移すことで家族の体験したこと。心理的重圧や葛藤を。迷いが生じた、何が最良か分からなかったなど。家族にとり治癒の希望が失われる。重い負担に。緩和ケア病棟でなくなった患者の家族の調査。4割が葛藤を。本来するべき役割をしていない家族がいるなど。死が近くなる臨死期では負担が増える。心肺蘇生法を行わないことの意思決定。苦痛を避けるために意識を低める薬を。受け止めるという経験。
看病介護する経験と困難。看病看護する。日常と非日常の活動を。両立についての困難。厚生省の90年代の調査。50代夫の看病をする妻。勤めを持っていたので看病できなかったのを悔いている。自分の家系や家族の世話。負担と感じられる。困難について40代の妻を看病する男性。子どもも小さく大変。50代妻を看護する夫。自営業が忙しく。協力者が居ない場合は家族の負担が増える。情緒的困難も。孤独という感情。垣添忠生。60代で妻を看取る。孤独を感じる。「妻を看取る日」。肺がん1種。転移してがんセンターに入院。看病しながら苦しみと喜びの両方の感情を。蝕まれていくのを見る孤独。しかし時間の許す限り妻のところに。子どもは居ないので妻にとり夫だけが頼り。何か役に立てると嬉しかった。世の中は2人にお構いなく動いていた。明るい気分で暮らしてもらおうとしたが、言いしれない孤独感に。師走を迎え銀座通りを一人。周りは幸せそう。嵐が渦巻いている。在宅療養の場合。家族の困難。医療から離れることへの不安。勤めなどで患者のフォローが出来ない。不安が生じたときに駆けつけてもらえるか不安。教員をしていた女性の例。母親を自宅で看病し看取る。胃を原発とする癌の末期。母親は80代中盤で書道家。兄と姉が居たが、兄弟は当てに出来ないと。終末期の療養について色々知識は得たが不安は一掃出来なかった。午後2時半。ゆっくりと歩むのを支える。これからは2人で歩む。最期の日々を支える。終末期の日々をどのように支えるか。苦しみと寂しさが。家族は在宅での看護を始める。身体的精神的な困難。援助を充分に受けられない。臨死の時を医療者が居ないときにと思い不安などを感じる。医療ソーシャルワーカーの小島光子。看取った経験「癌の夫を自宅で看取る」。療養生活を自宅で。当時は両方とも70代。身体的に精神的に困難。この時期自身の健忘症が酷い。身体的健康は自信があるが心労が大きい。余命を6ヶ月と予測。どうなるかは分からない。いつも崖っぷちに。心配で胸が張り裂けそうに。しかし落ち込んでは居られない。活動をしているからまだ救いがある。職場という環境を変えるプラス面も。健忘症が酷かった。身体的精神的困難が別の困難を。
納得するという経験とその困難。主に患者という対象の喪失を受け入れる。看病介護する家族は喪失を予期する。予期の経験から衝動的反応。心理的症状や身体的症状が含まれる。患者との死別を。悲嘆反応。予期悲嘆。それ以外が対象に。身体機能や精神面の機能喪失。社会的な面の喪失。川村湊。妻の看病と看取りを経験。「ホスピス病棟の夏」。乳がんの終末期。ホスピス病棟への入院。聖路加国際病院。2人共60代中盤。妻を失うこと。発症時からいずれ迎える死の瞬間を思わずにいられなかった。死んでしまえば生の状態はないのだから取越苦労だと。妻の人生の終わりは目の前に。主任医師から症状の悪化を告げられる。心構えをしておくようにと家族に。改めて最後通告に直面。現実と真向かうことが要請される。最期の時を考えさせられる。助言がほしい時は妻に相談してきた。良い知恵や解決法があるわけでもないが。心は少し晴れる。しかし妻に話すことは出来ない。病と戦う妻に悲観的な涙は見せられない。病室の外で涙をふく。家族は患者の喪失など予期悲嘆の苦しみを。対処困難なことも。親族などとの間で葛藤が。家族は対処行動を取れない。複数の家族成員や親戚が対処行動を。相互の間に葛藤が生じると主に看病をする家族の心理的負担が増す。患者が死にゆく過程での喪失などを予期的に経験しながら。喪失を経験して家族は喪失を受け入れることも。充分に行われる、納得することに確実につながるとは言い切れない。納得出来ないことも。家族は何らかの経験に。

 

家族問題と家族支援 (放送大学教材)

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  • 作者:下夷 美幸
  • 発売日: 2020/02/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)