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デス・エデュケーション(死生学のフィールド第12回)

5年前に比べてペットロスの問題は重要視されつつある。ただ日常生活でもペットが嫌いな人間が居るわけで。共存が難しくなるときもあるかも。

 

 

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-----講義録始め-----

 

デス・エデュケーション

デス・エデュケーション、つまり「死に関する教育」は、生きることをより深く、肯定的に理解するための手段として捉えられています。この講義では、死についての知識や概念、そしてそれが私たちの生活や社会にどのように影響しているのかを探求します。

アメリカのデス・エデュケーション

アメリカでは、死に関する知識が体系的に整理されています。この背景には、臓器移植や尊厳死、ホスピスケア、自殺や戦争といったテーマが関連しています。これらのテーマは、死が他人事ではなく、私たち一人ひとりに関わるものであることを示しています。このような知識の集約として「死の百科事典」も存在します。

日本のデス・エデュケーション

日本では、1970年代から終末期医療や患者や家族の支援が注目されるようになりました。そして、1980年代に入ると、死に関する議論や教育が社会全体に広がりました。日本のアプローチは、死についての平等性を強調し、自己と他者の死に備えること、そして死への準備を重視しています。しかし、その核心には「生きること」への比重が置かれています。

実践と人間性教育

デス・エデュケーションの実践は、学生の人間性の育成を目的としています。人間性教育や発達援助活動を通じて、学生自身が異なる価値観や人間存在についての理解を深めることが求められます。平木典子先生の教えによれば、誰もが自分の人生の主人公であり、一人ひとりがかけがえのない存在であるということです。

この教育の中心には「人間尊重」と「援助的人間関係」があります。生涯を通じての発達や共生、そして対話を通じて他者との出会いを重視しています。

死から生を教える

ペットロス、つまりペットの死を通じて、生育歴や生命観の多様性を理解することが重要です。しかし、センセーショナリズムに陥ることなく、公教育の枠組みの中で、特定の宗教や価値観に偏らない形で教育を行う必要があります。特に、ペットの死を体験している生徒や、死別体験を持つ生徒への配慮が必要です。

生命の最初と最後

死には様々な形があります。突然死や避けられない死、避けられるはずの死など、それぞれの死に対する理解や意味付けが求められます。生徒たちには、自分の考えを記録し、家族とのダイアログを通じて、死生観を形成することが期待されています。

ライフエデュケーションとの関連

死を正面から扱う場面は確かに存在しますが、ライフエデュケーション、つまり「生の教育」の方が現場での取り組みが多いかもしれません。日本の文化には、曖昧さや先送りの傾向があり、真実を直視する力が弱いとも言われています。しかし、2025年問題や団塊ジュニア世代が親を送るという現実を前に、高校生たちには親への伝える責任があると考えられます。

悲しみの教育

最後に、悲しみの教育について触れます。死や悲しみを通じて、生の充実感や他者の苦しみを理解することは、人としての成長や深い人間関係の形成に繋がります。デス・エデュケーションは、生と死、喜びと悲しみを通じて、私たちの人生をより豊かにするためのものです。