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デス・エデュケーション(死生学のフィールド第12回)

ライフエデュケーションなら受けたことがあるけれど、デス・エデュケーションは学校教育で受けたことはない。生涯100年時代と良く言うけれど、私の場合は人生も半端を過ぎたので、どうやって死ぬのかを考えなければいけないと感じる。それにしてもペットロスというのは盲点だった。自分の家でも1匹見届けているのに。

 

教育。デスdeathの訳語が難しい。あの「教育」を明確に。生きることを肯定的に。
アメリカについて。死についての知識を体系化。当時の時代背景。臓器移植、尊厳死。ホスピス。自殺や戦争。死は他人事ではない。「死の百科事典」。
日本。70年台から。終末期医療。患者や家族の支援。80年代になると社会全体へ。生きることに重点を。死については皆平等。自己と他者の死に備える。死への準備。生きることに比重を。
実践。学生の人間性の育成を。人間性教育。自ら対処できる力を。発達援助活動。手当的な関わり。自分と異なる価値観に出会う。人間存在についての理解。平木典子先生。誰もが自分の人生の主人公。一人ひとりがかけがえのない存在。
人間尊重と援助的人間関係、生涯発達的。共生。対話を通し他者と出会う。
死から生を教える。ペットロス。生育歴や生命観は千差万別。センセーショナリズムに陥らない。枠組みとして何の目的なのか整理を。先行事例を研究することも。公教育としての問題。特定の宗教に陥らない。子どもたちの反応を。中学生の反応は?ペットの死を体験している生徒は多い。未解決。意味付けを。ペットロスについての授業、重すぎて話したくないというグループを。様々な配慮が必要。臨床的な問題として。自傷行為。ライフエデュケーションの方が現場では多い?死を正面から扱う場面はある。
生命の最初と最後。人称別の死。突然死や避けられない死。避けられるはずの死。自分の頭で考えたことを記録。死生観のベースとなる。家族と話し合うこと。ダイアログを書いてもらう。シナリオのように。既に死別体験を持っている生徒に配慮を。傷を開いて塩を刷り込む、ということがないように。自分のやりたいことをやってみたい。死について学ぶことで、生の充実感が。家族の闘病、他人事だったけれど、当惑。苦しみの中にある人の気持が分かるように。闘病を支える人間にどのように接する?ライフエデュケーションの方が多い?曖昧文化、先送り文化が至るところに。真実を見つめる力が弱い。歴史認識の問題。条件や環境が揃えば人間は何をしでかすか?準備をしていないと大変。2025年問題。団塊ジュニア世代が親を送るということ。君たちが親に伝える責任がある。高校生から親に。
悲しみの教育。