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マスメディアで死生について考える(死生学のフィールド第4回)

三人称の死を享受することばかりに神経が集中しているのは、かなり問題がある傾向と言えるのかもしれない。

 

60年代の「悲しくてやりきれない」。16年の「この世界の片隅に」。昭和初期から昭和20年頃までの広島。呉市に嫁ぐ。死ぬかもしれない毎日。淡々と前向きに生きていく。かけがえのない毎日を奪われようとしていた。戦争映画ではなく暮らしの映画。戦争をモチーフとしながら人々の毎日の生の営みを。死と生の営みをどのように取り上げるか。死をダイレクトに取り上げる映画も。09年の映画「おくりびと」。死者の身体を清める納棺師。死者と死者のゆかりの人々に向き合う仕事。異物化したりすることもなくストレートに。死生観を振り返らせる。映画での死生観。
マスメディアと価値観死生観の関係について。マスメディアとは大勢の人が読む大衆文化。特定の人が情報を伝達。特定少数の送り手。特定の意図や価値観が。死は生の一部。隠されるべきものではない。納棺師の仕事を知った妻に普通の生活をしてと懇願されるのに対する。戦時下の普通の人々の暮らしに。かけがえのない生の営み。製作者にはこうの史代も。原作が同名の漫画。「夕凪の街 桜の国」。情報の送り手にどのような意図があるか。情報が自分の価値観にどのように影響を与えているか?ルーマン。マスメディアを通して知っている。実体験したものではなく。特定の価値観の下に情報を編成する力。マスメディアの強み。忘れられた歴史だけど確かにあった歴史を。マスメディアを鵜呑みにするというリスクも覚えておく必要。アメリカの医療ドラマ。情報の不特定多数の受け手である私たちも、一方的な刷り込みを受けるだけではない。情報を読む自由と能力。マスメディアの特性。情報の受け手であるとともに読み手でもある。発信された情報を、読みの多様性。アニメのエンディング。恋愛もののドラマ?「愛している」。「続夏目友人帳」。妖怪が見える少年。気味悪がらせる。挙動不審に。喪失体験を続けている。夏目は友人帳を見つける。名前を奪い返したい妖怪から狙われる。名前を返す日々が。受け入れてくれる人達と関係を築く。絆の表現。「愛している」。絆の表現としても。読みの多様性の成立。
死を題材にするマスメディア。死の娯楽化で死を遠ざけるのでは?死のポルノグラフィー。死についても性と同じ。幻想妄想を生み出すマスメディア。タブー視されている。55年のイギリス。現代の日本に通じる。死は恐ろしくて口にすることも出来ないけれど、マスメディアでの死は楽しむことさえ出来る。マスメディアの死。一人称の死、二人称の死付随する現実感を切り離して、三人称の死にする。推理小説や西部劇などで増殖させて死のポルノグラフィーを拡大。あらゆる死を題材としたマスコミを説明するのにも無理がある。死のガイドラインという概念。死に様を考えたりする題材としてのマスメディア。がん患者のノンフィクション。捉え方。どちらか一方に明確に分類される、という訳でもない。死の情報はポルノグラフィー的側面とガイドライン的側面が。送り手受け手双方が決める。意図と解釈それぞれに自由度が。マスメディアの情報には両方の特性が。インターネットによる双方的コミュニケーション。簡単に情報を編成し発信する。マスメディアにおいては大半が受け手に。マスメディアをどのように解釈するかが重要。「バガボンド」。宮本武蔵が原作。戦いに身を投じる過程で成長する。どのように生きるべきか、生きる意味。武蔵の行動。フランクルの生きる意味のコペルニクス的な転回。ナチのホロコーストのサバイバー。私たちこそが人生に意味を問われる。「夜と霧」。生きることそのものの行為でしか。情報の読み手の死生観に基づく。具体的行動をもって。死のガイドラインとして。非常に沢山人が斬られ殺される場面も。死のポルノグラフィーとして。作者はどうして描いたか?インタビューなどで。NHKのトップランナー。人を斬ったりするシーンが多い。死を扱わざるを得ない。残酷な描写?死を扱う以上は軽々しく扱えない。重みや痛みを感じてもらえるように書かないと。読む人も目を背けたくなっても、死を痛みが伴うように読んでもらわないと。情報の送り手の意図。読みや解釈が変化した?強化した?振り返りが重要。
生き死にを考える教育について。子どもたちに死について考えてもらうのも死生学の課題。死をタブー視する社会。子どもたちが死別による大きな穴を実感できなかったりする。隠蔽されてしまうのなら、せめて学校によって。生と死の教育。いのちの教育。デス・エデュケーション。マスメディアを活かす手順。自分が読んで心が惹かれる場面を選ぶ。なぜ魅了するか読み直して考える。セリフを交えながら自分自身の言葉で描写する。以前に似たような感動を覚えたものを思い出して、それらと照らし合わせて共通点を文章化する。自分の価値観が明確になる。自分なりの言葉による説明をグループワーク形式で。フィードバックを受けて自分の価値観の再確認を。思いもよらない解釈に触れられて自分の幅が広がる。偏見に満ちていたり差別的だったり暴力的だったことにも気づける。自分の読みや解釈を共有。メディア・リテラシーの原則と照らし合わせる。マスメディアは全て構成されたものであり、現実を作り出すものである。受け手による解釈を持つ。社会的政治的意味を持つ。独自の様式などを持つ。分かち合う者同士が互いに傷つけ合うことなく尊重できるように。デス・エデュケーションに重要。openに語り合える場の確保を。
言葉や文字に依存。身体全体を使うわけではない。体全体を使って表現することも大事。言語的な検討に終始するのでなく、ロールプレイングなどで伝達し合ったりすることも。マスメディアの受け手の私たちは、読み手としての解釈の自由が。送り手の意図を。死生のメッセージを発信することも必要。想像力と倫理的問題を。

 

死生学のフィールド (放送大学教材)

死生学のフィールド (放送大学教材)