F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

小説の分析 -物語から小説へ(文学批評への招待第4回)

古典とされる小説なんで読むより現代小説の方が面白いと思っていたのだが、認識を変えないといけないかもしれない。川端康成を忌避するどころではないかも。ノーベル文学賞は三島由紀夫に与えるべきだったかもだけど。

 

野崎歓。物語と小説。ダイナミズム。異質なものを。解釈は1つの意味に収まらない。カフカの「変身」。対話性。異質な要素。対話が小説の豊かさを。ロラン・バルト。語りの特色。小説の批評性。自分自身を批評。アウエルバッハ。
物語から小説へ。人間の文明の物語以来の歴史。大昔からの物語が小説の原型。大きな違いも。ベンヤミンの説。1892年にベルリンに生まれる。両大戦間に。物語作者という評論。昔ながらの物語が衰退するのに対し長編小説が。語り手が目の前に居る聞き手に。小説は印刷術の所産。書籍という形式に依存。人と人とは向かい合わない。他から隔絶した孤独のうちにあることが基盤に。メルヘン。おとぎ話や民話。長編小説となると伝承と断絶。口承文学から変化。背景には印刷技術の向上。活字マスメディアの成立。資本主義社会の成立が小説を主要ジャンルとする。広くマルクス主義批評においても。長編小説と短編小説に根本的な違いを求めるのには反論も。長編小説にも名残があるのでは。長編と短編は厳密に区別しづらい。中編という言い方もある。小説家であり批評家でもある三島由紀夫。文学論で。長い小説でも短い小説でも自由。小説の本質は自由。安定した伝承の型が失われた近代的な。共同体により支えられた。それから外に出た現代人は孤独と自由とを。小説を読む特権。小説には物語の力を継承する部分を。真の物語を情報と対比させてベンヤミンが。情報が新しさこそが値打ち。説明し尽くさなければならない。瞬間が勝負。物語は出し尽くすことがない。時とともに力を。新たな展開の可能性が。その点でも小説は物語の後継者。
解釈のダイナミズム。小説は様々な解釈が可能。カフカの「変身」を例にして。2つのテーマ。カフカの変身がどのような解釈を生んだかの歴史を。現在の解釈。日本語訳の変身にどのような訳語が用いられているか。解釈の可能性。カフカの「変身」は15年に。現在の小説の意義を失われていない。親しい友人に朗読して聞かせる。クスクス笑いをしながら。本が刷り上がると活字の小ささで作品が暗くなるのに嘆きを。物語作家としてのスタンス。印象を一変させたことに違和感を。ベンヤミンのいう物語と小説の断絶に直面。孤独さを感じ取った。以後、読者も孤立した人間の悲惨さを感じる。サルトルやカミュが実存主義。神のいない空虚な世界で人間は意味を作らなければならない。実存を直視する。先駆として「変身」を称賛。批評家たちが称賛。重々しいカフカ像。最近はポジティブなものが。主人公の虫への変身。これまでは悲劇的設定と。そこにむしろ願望の実現を見るという味方が。アンダーソン。20世紀初頭までの文化的性格が。美の概念を覆す芸術家の野心を。主人公が語る。母親が息子の姿への反応。おぞましい。巨大なシミを目にする。固まってしまう。当時の前衛芸術家の理想。茶色いシミと化する。美しいものへの否定。芸術家になるだけでなく芸術作品そのものに。イコンになる欲求を満たす。アンダーソンはカフカの時代における。ダーウィンの進化論の影響。あらゆる生物が独自の美を持つ。多種多様。蛾でもバッタでも独自の形を。多様な外見はそれ自体を美と見てよいのでは、芸術衝動。あらゆる生き物がもっている芸術衝動が、進化の向きとは逆に。主人公は自ら昆虫、芸術作品と化すことで窮屈な人間世界を脱出。刺激的な読み方。新しい論が現れたことにより従来のカフカ像を捨てなければならないわけではない。多和田葉子の翻訳。グレゴール・ザムザが目を覚ますと自分が虫に姿を変えていることに。主人公が何に変身したか。カタカナのドイツ語にして説明をしている。ユダヤの共同体から弾き出されたことが強調される。異様さも浮き彫りに。汚れの感覚と罪の意識。批評家や研究家、翻訳家の真剣な読解で変身を。自らを出し尽くすことがない小説の力を。多様でダイナミックな解釈をもたらすことが傑作。
対話性。優れた小説は単語同士の対話を。「山椒魚」。古代的とも童話的とも言える設定。生命を保っている。一筋縄では行かない。様々な批評が。2年間過ごしているうちに出られなくなった。物語の内容以前にどう語られているか。冒頭の1行。とぼけたような独特の語り口。作者の文体の個性と同時に読者に働きかける。アクセントになっている。どうしても岩屋から出られない。今にも気が狂いそう。語り手は、嘲笑してはいけないと語りかける。山椒魚の語り手は読者の前に現れて指示をしたりする。読者との語らいの場に。物語作者の名残。対話の概念。特殊な生。対話。小説の言語は矛盾に満ちた言葉の混成物。他者の言葉との対話。主人公は既に他者。多声性。ユーモラスな声の響き。山椒魚とカエルの対話。友情を浮き彫りに。山椒魚の最後。更に1年の月日が。最も小さな風の音。嘆息を唆せた。絶望的な閉塞状況での絆。ところが驚くべきことに、29年に発表して以来のエンディングを削除した。山椒魚とカエルのやり取りをカットして、何を意図したのか。見てもない結末によって効果を強める?異議を唱える声は多かった。現代も読まれているのは29年度版。晩年の決断は退けられている。作家が読者として介入した?ロラン・バルト。作者の死という論文。68年に。なかなか過激な言葉遣い。原作者の意思を忖度する読み方を批判。最終的な作者に死を。開かれたテクストとして流動的な生命体に。井伏鱒二はテクストの実現を目指し続けた。山椒魚ばかりではなく旧作に細かく手を入れる。対話を続けて注文が多い読者として。揺れ動きながら。小説そのものの象徴。
2作品の例だけでも小説作品固有の。多様な要素の中で揺れ動き成長を続ける。現代的魅力と可能性。そのうちには小説それ自体の批評を。小説の批評性。セルバンテス「ドン・キホーテ」。主人公は狂気に取り憑かれる。自分も騎士となって同じように不正を正そうと決意する。従者を。サンチョ・パンサ。奇天烈な出来事を。高貴な幻想で置き換える。旅籠屋を立派なお城と思い込んだり。絶え間のない勘違いぶりを笑いながら読み続ける。騎士道小説が判断力を狂わせる。悪影響を。小説の批判を。家政婦が燃やしてしまうエピソード。書物狂への処罰。主人公の狂気そのものが複雑化を。アウエルバッハ。ベンヤミンと同じ1892年に。ミネーシスの歴史として。ドン・キホーテ論。愚かなものは卑俗な存在として。ところがドン・キホーテの場合は同時に賢くもあるような愚者であり、狂気と知恵を。ドン・キホーテは決して気品を失わない。格調高い言葉遣い。知的な存在でもある。旅籠屋の女将を貴婦人と思い込み口上を。自画自賛は品格を落とす。ギリシア語で話されているよう呆然と。浮世離れした立派な人物。狂気の内にありながら。矛盾を抱えた主人公が。悲劇性を強調したロマン主義的解釈と相違を。ラマンチャの男に連なる。美化の産物?ただ陽気な世界だけでは済まない世界。今読んでも実に面白い。おかしさの内には悲劇や喜劇が入れ替わる。単純化をさせない批評性がある。
小説固有の力とはなにか。批評は外部からだけではない。内部において働いているメカニズム。生命体に比すことが出来る。

 

文学批評への招待 (放送大学教材)

文学批評への招待 (放送大学教材)