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言語・翻訳 (3) -英語を話す神:中世後期イングランドにおける聖書翻訳(中世・ルネサンス文学第8回)

誰でも知ることができるようにするのは聖書に限った話ではない。

 

井口篤。濱中博久。英語を話す神。イングランドにおける聖書翻訳。
14世紀後半から15世紀のイングランド。テーマは聖書の翻訳。ラテン語訳聖書を英語に翻訳するプロジェクト。中世ヨーロッパでは困難を極めた。神学者ウィクリフ。聖書翻訳の問題。
引用。「年代記」。ウィクリフが完成させた英語訳清書を糾弾。福音書を天使の言葉ではない英語に翻訳した。聖職者が甘美な精神的なものとして。聡明でそこそこの教育を受けた聖職者にまさる。人間という豚。イングランド人。攻撃の鋭さ。諧謔行為を越えて。福音書をよく知るように。福音書はより開かれる。一般大衆を豚に例えつつウィクリフのプロジェクトを断罪。21世紀において聖書翻訳への嫌悪感を理解するのは難しい。あらゆる言語に翻訳。新共同訳聖書。多くの訳を参照できる。キリスト教車でなければ。2000以上の言語に。いわば言語的なユートピアに至る道は平坦ではなかった。ウィクリフにより全体の翻訳は14世紀になってから。590年代にキリスト教が。実に800年ほどかかる。日の目を見たと思えば糾弾にさらされる。俗語聖書が普及していないときにはラテン語聖書を。ウルガタ聖書。旧約聖書の殆どがヘブライ語で。ヒエロニムスが教皇の命を受けて翻訳。中世ヨーロッパはラテン語の世界。古代ローマ人のラテン語を引き継いで。ラテン語を母語にする人は居なくなったが書き言葉として。統治などの分野の言語として使用される。ラテン語で書かれている。色んな分野でラテン語が。教会ではラテン語でミサを。宮廷や法定ではラテン語で記録が取られる。古代の文学作品はラテン語で。近世に至るまで意思疎通の手段に。ラテンキリスト教世界。初期の中世から中世の半ばまでは聖職者や貴族階級で教育を受けた男性。バイリンガル。ラテン語や現地の言葉を。エリートでない女性らは俗語のみ。聖職者だけがラテン語で。神はラテン語で話していた。絶対的で神聖不可侵。知ろうとしてもラテン語が読めないので内容をたしかめられない。教化メディアやミサやステンドクラスの視覚芸術。神の言葉に直接アクセスできなかった。俗語で書かれた文学作品が増えてくる。母語で俗語で書くことに意識的。牢獄の中で愛の証という散文を。ラテン語で書くのは聖職者に任せよう。フランス人には風変わりな作文を。口に合うように。母語の語彙を使うことで想像力を示そう。ノルマン人というフランス貴族の支配下に。フランス語が君臨。英語は周辺に。征服後300年経つとイングランド化して土着の者に。英語が書き言葉として。多くの文学ジャンルで英語が。アスクはフランス語が風変わりと。徐々に洗練の度合いを高める英語への自信。矛盾するが自信のなさも。高らかに歌い上げる。フランス語との断絶を。宗教的な領域でも英語で但し書きを。14世紀のイギリス。神学者。生命の鏡。英語で語りかけよう。ラテン語を話して時間を無駄にするのではなく。自然に学び使い慣れている。誰でも理解できる。様々な作品を俗語に。英語という大衆的な言語を使うことを正当化。アルシュの危険を孕む。ヘンリーナイトンに批判。英訳する試みがなかったわけではない。ノルマン貴族に征服される前にも。注が多い聖書。8世紀あたりの作成。注は翻訳に近い。修道僧。10世紀から11世紀。古英語でも作品を。旧約聖書を英語に翻訳。大陸でも散発的になされていた。12世紀に俗語で聖書を読んでいたことに危険視を。1340年頃にヨークシャーのリチャードロール。部分的に英語に翻訳。ウィクリフと支持者が聖書を翻訳したのは聖書すべての翻訳を。オックスフォード大学で大論争が。英訳の必要性を唱えるようになった経緯。当時のカトリック教会の堕落に。聖職者は財産を持つべきではない。保守的な人間から批判を。ウィクリフの教会改革の拠り所は聖書そのもの。キリスト自身が清く貧しく。それに習うべき。言葉を記した聖書の内容を知るべきではと。聖書翻訳の動機。ラディカルな試みは激しい論争を。オックスフォード大学のみならず世俗の人にも共感を。運動に不安が。1381年に農民反乱。指導者の一人がウィクリフの思想に共感を。ウィクリフや支持者を危険人物とみなして禁書に、オックスフォード大学から追われる。元来はヘブライ語やギリシア語だから。反対する保守的意見。ウィクリフ派聖書の中で。

 

中世・ルネサンス文学 (放送大学大学院教材)

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