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生殖と家族(リスク社会の家族変動第9回)

最後の一節が励まされる思いがした。

 

田間泰子。生殖と家族。竹田恵子。科学技術の発展で選択が必要に。どのような社会を作るべきか。子どもを生んで育てることは家庭にとり重要なもの。生殖とまとめて家族との関係を。生き延びるには他の人のケアを。実の親ではない場合もそれを含めて家族関係と。長い人類の歴史上かつてない状態が。生殖補助医療を利用して家族を作る。大阪大学の竹田恵子先生をゲストに。テキストの要点を。20年間に急速に普及した生殖補助技術について。
家族と生殖。生殖について。近年に日本で起こる少子化の現象。本能だと済ませることは出来ない。第二次世界大戦後。日本では母子保健や医療の発達で医療化。死亡率を下げて寿命を伸ばし何十年と続くものにと。性と生殖を分離。選択するものに。出生前診断や生殖補助施設。60年代の高度経済成長。性別分業をもたらす。それ以前では親族や子どもも一緒に働く第一次産業と自営業が、家族の中にも複数の稼ぎ手が居るのから、夫の企業戦士として長時間労働。妻が子育てを一人で担う。現在は変化しつつある。共稼ぎの世帯の方が多い。父親や兄弟など関わるように。
生殖と法的婚姻。家族と生殖に。人口政策。子どもは2人まで?人口政策と現代。70年以上前はベビーブーマー、団塊の世代が。1年間に270万人の赤ちゃんが数年にわたり。出生数の増加が大きな社会問題に。これ以上子どもが増えては困るという認識が。国会でも議論されて優生保護法が。その後幾度も改正。経済的中絶を認め受胎調節を認め人口抑制に。優生、優れていない劣勢の人を生殖させない。96年に廃止されて母体保護法に。優生保護法に基づき強制的に手術された人たちが訴訟を起こし、当時の人口政策が問題だと。19年5月の仙台地方裁判所の判決。リプロダクティブ・ライツ。人権として欠かすことが出来ない。国家による承認の力。嫡出子規範。日本では他国と比較して強固。近代化の中での技術として性と生殖を切り離す。個人の選択として変化。子どもたちの生存を等しく保障することも重要。
切り離された性と生殖。性関係を持つことと子どもを持つことが切り離されつつある。嫡出子規範のような規範意識と社会の大きな方向の政策。規範のこと。近年の生殖補助技術。日本の変化。不妊治療を。遺伝子がつながった子どもをほしい。異口同音に。遺伝子が頻繁に。血がつながったという言葉はあまり出ない。血と言えば家族の繋がりを。遺伝子となるとニュアンスが。個人としての妻と夫が中心に。2人が強く結びつくimageとしての子ども。生殖補助技術があてはまる。新しい技術が自分たちが求める家族。遺伝子を介した新しい家族を後押しする。しかし安全なのか?精子と卵子を取り出すことは初めてだから安全性が保障されない。自然でもない技術を使うことと嫡出子規範。法律で結びついた夫婦が危ない技術を使うのは許されるのか?自然な生殖という規範が頭をもたげる。新しいサブタイプの規範の出現。言葉を手がかりに変化を。10年代初期には変化が。あまり気にならなくなる。リスクが大きくないデータが。躊躇いがめっきり減った。不妊治療は自然じゃないというのがあまりでなくなる。妊娠出産を私が体験したい。その傍らにパートナーが。性関係と生殖が切り離された不妊治療は効率的家族形成に。れっきとした夫婦であり技術を使えば子どもが持てるから良いと。社会規範が関係。00年代初期は嫡出子規範がしっかり根付いていて広い血縁関係から解放されたいと。血ではなく遺伝子と。反論の存在がパートナーの存在を重要に。不妊治療に協力的ではない夫への不満が00年代初期には。妻が働く制度が整っていなかった。当事者女性が子どもを生んで育てなければ、男性は稼ぐのが第一。性別分業意識が。女性の方がダメージを。会社で働いていれば立派なオトナ。母親になれないと大人と見てもらえない。家の中にとどまらせる社会的風土。正社員からバイトに、専業主婦に。働き続ける女性が増える。キャリア形成の意識がしっかりとして自分で決めると。不妊治療の期間を2年3年と定めてきっぱり諦めると。大企業の管理職や専門職ばかりでなくパートタイムでも。色んな職業が働きながら。現代では女性が一つの選択肢として。10年代初期の颯爽な当事者の発言には不安が。不妊治療の期間を定める。若くないことが理由であることが多い。それだけ妊娠する確率が下がるし子どもの健康問題への危惧を。煽る側面も。AMHというホルモン。数値が女性の働きを目に見える形で評価。AMHの値が50歳相当なら医療従事者もそのように判断、卵巣の機能。数字なので具体性がある。納得してしまう。10年代初期の協力者は両方をものさしにして予め期間を決めて取り組む。00年代初期と10年代初期。Internetの普及。95年の阪神淡路大震災で普及。00年にはnetで不妊治療があるが情報量が充分ではなく常時接続でもない、紙媒体を。相談もできないので孤独な治療。取り組んでいく医療に躊躇いがあっても相談できない。10年代ではnetで情報収集してから病院の元を。匿名でも相談できるように。励まされたり薬が大丈夫かなど。友達関係も築ける。もう孤独ではない。夫への期待の強さの違いも。夫の理解と協力が切実に必要な。10年代では自分の親が不妊治療の経験を。実だろうが義理だろうが適切な距離感を。親戚や血縁と縁が切れた遺伝子の。不妊治療を受ける夫婦に嫡出子規範を押しつけたりせずサポートに。自由な性と生殖を。
科学技術の進歩が、リスクという観点から。良い可能性も悪い可能性も予測して。日本社会をリスク社会と。日本の家族は今後はどのような課題を抱えるか。「危険社会」。危険とリスクのどちらを採用するか。排卵誘発剤の副作用で命を落とす可能性が。危険を使う。当事者の不安を問題にするのはリスクを。好ましいことと好ましくないことの仕分け。明確なものではない。医学的サポートを受けた分丈夫な子どもが。専門家もハッキリ言い切れない。個々の当事者の体調変化も。不安定な状況は今の日本の家族関係にも。自分の人生への影響がわからない。パートナー候補の相手と性関係を。躊躇いの渦に巻き込まれる。大変そう。現在の家族の問題はぐるぐるして目が回る。昔は家族を作るのが当然。リスクのない家族形態を。リスクを感じていても口には出せない。年長者に怒られる。問答無用に規範が。結婚してもしなくても良いという意識に。良い変化?個人の自由になったが自分の行動の責任は自分で取らなければならない。誰も結婚しろとは言わなかった。選択の自由を得るのと引き替えに責任も自分で。悪いことばかりではない。現代のリスク社会では個人が良い可能性と悪い可能性を。情報収集の環境と読解力と自信を持つことが欠ける傾向が。充分に出来たのなら勇気を持って一歩を。後悔もしない。実現するのは大変だが。リスク社会は予測不可能な。3つの点だけでは個人主義にすぎる。神様ではない限り最善の選択は続けられない。放置する社会ではいけない。恩恵を最大限に活かすには個人主義で凝り固まってはいけない。隣近所の家族も気にかける余裕を。一人ひとりが力をつけて人間関係を作ることが必要。
放送大学での学びについて。地味で陰気臭いかも。しかし出会う人は新しく学びたいと目を輝かせて。勉強の楽しさを知ってしまった人を。一人で勉強することが止められなくなる。毎日が発見の連続に。
様々な問題について考え続けることが大事。

 

リスク社会の家族変動 (放送大学教材)

リスク社会の家族変動 (放送大学教材)

  • 作者:田間 泰子
  • 発売日: 2020/02/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

不妊、当事者の経験: 日本におけるその変化20年

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