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現代の家庭教育の課題(現代の家庭教育第15回)

地域の子供を育てるというのは関わっていかなければと思う。功利的かもしれないが、将来の社会を支えてくれるのだから。勿論、少子化への対応も必要だけど。

 

田中理絵。何らかの答えを導き出せる。体系的学術的でなくても普段の生活の中で意識できるから。教育というものの傾向。学校教育であったとしても。理由として教育や教育問題は社会的興味が高い、誰もが経験したことだから。自分の経験から。教育論の傾向。理想の姿を語る。当為論。教育をそう語りがち。個性を尊重。子供の目が輝くなど。特徴として、そう言われたら反論し難い殺し文句的な要素が。なかなか逆は言えない。家庭教育にもこうした言説が在る。当為論を避けて客観的に事象と関連付けて。考えるべき課題を。誕生の瞬間から家族を経験。養育され教育される。卒業はないし生活と教育を分けるわけではないが、やはり言語の習得や価値観、正しいことの峻別、道徳や倫理観。親に教えてもらったと振り返る。大人になると親になって家庭教育に。家庭集団は下位集団なので、社会の影響にもさらされる。ある一時期に広く社会に受け入れられた規範でしか無い。育児観と子供観。社会の変化で子育て方法は変わってきた。高度経済成長以降の産業化や都市化で変わったもの。50年の変化だけでも新しいことが。伝統的社会では家族の数は多く、男女などの秩序があって息苦しかった。助け合って生活を。地域での交流が盛ん。互いに声を掛け合う。地域の大人が子どもたちを知っていた。日常的付き合いが頻繁。子供数も多く。方法はいつでも観察できた、周囲にも気軽に相談できた。地域社会の中で。マルチプル。成長に関する意識。家族内だけでなく近所を巻き込む通過儀礼。子供を社会的網の目の中に位置づけ、多くの他人の力を借りる。村の生活では区別なく大人が躾を。核家族化。網の目から家族を開放。我が家の子へと変化。持つ持たない、いつ持つか。昔は授かりもの。計画的に産むものとなった。子供はいつ作るの?親が作るもの。家庭教育しか経験できない。家族を相対化する機会もなく、他の家族教育も見ない、動的観念と捉えるのを忘れてしまう。
家庭教育について考える時、行われる躾や教育、社会化、地域社会や会社や法律の関係で捉える研究。家庭の中での社会化。社会化で伝達される内容。価値的なものと知識や技術態度などに。分けられる。家族の在り方や役割が変わっても社会化のメカニズムは変わらない。従来のような役割モデルは通用しない。家族制度が壊れてきているという危機感。社会的関心と認識されるように鳴ったのは80年代。83年の国民生活白書。離婚、家庭内暴力などが家族機能の問題とされた。家庭の教育力の低下とされる。社会問題として幾度となく取り上げられる。行政ではできるだけ使わないようになっている。あらゆる子供問題が説明できてしまう。個々の家族に責任を押し付けて何も解決しない。社会病理学。家族という制度が崩壊してきている?本来のあるべき姿へ戻す。固定した概念はなく、社会が変化すれば家族も変化する。家族制度が崩壊するのではなく、別の家族モデルへの過度期と。かつての家族像へ戻すよりも。どのように?消費社会。家族成員一人ひとりも消費者として。私事化。新しい家族像を考える。80年前後に家族病理学講座が刊行。その目次。家族病理と呼ばれる現象。何でもかんでも。標準家族像。ずれるものは機能病理に陥るとレッテルを。本当に家族病理?共働きは一般化。離れて過ごした方が望ましいことも。離婚は家族病理と言い切れる?性別役割分業型から見ると共働きは異常?レッテル貼りへの疑問が。非行行動。不登校、いじめ、学力、家庭内暴力。家庭に責任?躾の責任者は親。自覚を与えることに成功する。親子ともにストレスを。ではどのような親子関係が、どのような躾をすれば問題がないかと言えば、何も言えない。機能喪失ではなく責任の過剰負担に直面。家族が子供の社会化において。他に責任を負うエージェントがない。地域社会には担えない。親に偏る。親の重要性は増す。社会変容に伴い、価値観や技術も刷新。社会科の内容について外部から取り入れることも。それは氾濫気味。赤ちゃんのときからデジタル教材は有効。反面刺激が強すぎる。どちらが良いかわからない。人間科学に関する実証的なデータは間違っていないが、条件が変わると結論も変わる。原本にあたる必要が。自分で判断を。結局、氾濫する情報から何かを信じるしか無い。リースマン。社会類型を3つに。他人志向型。多くの人が望ましいことに価値を。ケインズの美人投票論。netや親しい人を対象に。他人も手探り状態。確固たる姿勢でできている訳ではない。信じる方法よりも多くの親の支持を得ている内容や方法を。子供の社会科エージェント。家族集団と近隣集団、仲間集団。健全な発達には友人付き合いが重要。何故?系統的実証的学術研究はあまり多くない。子供の仲間集団が子供だけで生き生きと。大人が介入することは難しい。社会科学の発展には事実が必要。家庭教育論。親の課題に焦点が置かれがち。子供社会の仲間集団。遊び仲間と捉えがち。好きな者同士だけでなく、嫌いな友人でも仲間として認め合う。交流集団。機能について明らかに。活動集団。遊びが目的。反りが合わなくても仲間として協力。自己主張もぶつかりあうので喧嘩も起こる。自分が引くことをしり協調も学べる。ルールを作り守る快感も。交流集団。互いに気を使う。ぶつかり合いはあまり起こらない。道徳も発達しない。サンマの現象。3つの間。仲間時間空間。少子化で子供の数の現象。遊び時間と遊び空間の限定。ギャングエイジもゲームをしたり習い事をしたりで潰れる。手取り足取りしなくてもルールを学び周囲から叱られる。子供は勝手に育つ。現在では難しい。
かつて個人の行動や職業選択などで制限する地域社会からの解放で、個人の自由が拡大した。職業選択のやり直しも。人生を選んだのは自分なのでリスクも自分。個人化。社会学者のベックにより強調。70年代以降の中間集団の解体。失業や離婚などの人生のリスクを個人が負担。鈴木玄徳。個人化。個人のアイデンティティとなる中間集団が弱体化。個人レベルの関係と、国家などのレベルの関係。つなぐのは地域社会や企業など。地域や職業集団を介して国家と繋がる。所属アイデンティティの結びつきが弱くなる。人間関係の希薄化。近代家族。生き方が多様化。必ずしも家族などが安定を保障しない。自由を獲得して不安やリスクを。自分自身で人生を設計、新たな負担。個人の選択の余地が高まる。自分で責任をとらなければ。統計数理研究所の16年の国民性調査。一番大切なもの。高度経済成長期から家族の割合が上昇して現在は群を抜いている。家族以外の中間集団の衰退。離婚のリスクはひとり親世帯の貧困や、進学や健康の問題に。結果としての貧困も個人で解決することに。育児不安や児童虐待にも適応。家族の孤立化などの社会のシステムエラーよりも。カウンセリングなどでの医療化の対策。医療化。70年頃から。病気や障害と定義し医療的介入を。肥満や児童虐待、精神病やアルコール依存症など。社会のシステムで対応するべき、と考えるよりも、個人で治療するべき、と考える。メタボリックシンドローム。個人に責任。丸いのが好き、ではない。児童虐待。躾の一環での行為も自己点検を。お尻を叩くとどこから児童虐待に。子供のアザ。わんぱくというより虐待を。消費社会化などの社会変動。家族行動、家族意識、家族機能を変えていく。家庭教育の在り方について模索を。バウマン。個人化。形式的個人、自分の責任に。救済手段を努力以外に見いだせない。人生で生じる不安やリスクを抱えて生きる。社会的よりも個人的に解決を。経済資源や人的資源があれば個人でも対処出来る。社会関係資本に乏しい人に貧困などが重層的に生じやすい。他者に対する信頼、規範、互酬性。パットナム。社会的ネットワーク。
社会的ネットワークと家庭教育の関係。子育て期。子供も大人も成長する。地域の在り方はネットワークの形成。多様な家族関係親子関係を考える。公的社会保障的社会的ネットワークで家庭教育が支えられる。他人に関心を持つということが定着しつつある。大抵の人が他人の役に立とうしている?個人主義というより徐々に他人同士の助け合いの意識を。問題や課題は社会関係資本に乏しい人に生じやすい。児童虐待。繋がる家庭状況。経済的貧困。夫婦間不和、ひとり親など。社会的対策として子育て世代への支援を整える環境を。積極的に情報をキャッチする家族が恩恵を。全戸訪問事業で必要な家庭を探し出すアウトリーチ。社会関係資本が潤沢であれば助け合いが多く為され、生活も円滑に。地域社会の役割は社会関係資本にあたる。家庭を支えようという雰囲気が出来る。子育てはしやすくなる。社会変化が進むと予測される。親だけが担うのではなく、家族のプライバシーや人権と抵触しない限りで、社会的ネットワークを作る必要が。

 

現代の家庭教育 (放送大学教材)

現代の家庭教育 (放送大学教材)