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石田雄先生解説!市民自治の真実✨ 市民自治の知識と実践第2回(その4)

「自治」にも2種類あるのだなと知る。

 

------講義の文章化始め--------

 

市民自治に関する議論を進める前に、日本的な自治の意味について触れたいと思います。石田雄先生の著書「自治」を参考に、自治の日本語における意味を考察します。石田先生によれば、自治には2つの意味があります。一つは自動詞的意味で、自然に収まるという意味。例えば、人々が問題を抱えている時、時間が解決するのではないかという期待や、決め事をせずに自然に解決するという感覚がこれに該当します。もう一つは他動詞的意味で、自分で自分を収めるという意味。英語の"self-government"がこれに近いです。

明治以降の近代日本では、中央政府の支配を前提とした地方自治体の行政的統治が主たる意味とされてきました。しかし、石田先生は、これが自治の概念の狭い使い方だと指摘しています。実際、自治にはもっと広い意味があり、それが明治憲法体制下での地方自治のあり方と深く関連しています。この自動的意味の自治は、伝統的な村社会の原理と一体化してしまい、名望家による地方の統治と結びついていたと言われています。

地方の名望家、つまり影響力を持った人々による統治は、中央政府の財政負担を軽減する役割を持っていました。また、名望家は名誉を持っており、これが中央集権化に貢献していました。石田先生は、名望家による統治が現代の市民自治の必要性を再考させる要因となっていると考えています。

明治憲法体制と日本国憲法体制の間には連続性と非連続性があり、戦後日本でも自治の問題が続いています。日本国憲法体制下では、国民主権と民主主義が原理となっていますが、代表性民主主義が主流となり、地方自治の概念は戦前から続いています。しかし、石田先生は、この状況に変化の兆しが見られると指摘しています。

自治の概念の具体的な展開は、民主政治の手法を活用する動向と捉えることができます。この講義では、市民自治を考えることは、民主主義を考えることと同義であると強調しています。しかし、民主主義を抽象的に考えるのではなく、現実の問題を通じて考えることが重要であるとの立場を取っています。