松下圭一先生は京都大学に来訪された際にお見かけした。残念ながら講義をされていた記憶はない。
-------講義録始め-----
それでは、市民とは何かに関して話しましょう。市民自治という言葉は、既にある程度確立されているものです。この言葉を日本で広め、市民に焦点を当てて注目したのは、松下圭一先生です。彼の自治に関する考え方や論を少し紹介します。
松下圭一先生は1929年から2015年までの間に生きた方で、戦後民主主義の時代の政治学者として位置づけることができるでしょう。彼は、第二次世界大戦の敗戦を受けて、新しい日本をどのように築くかという国民的課題を背負った世代の政治学者の一人です。その中で、彼は市民という言葉を特に注目し、市民自治と国家統治という二つの概念について考えました。
市民自治と国家統治は、政治における二つの基本的なモデルと言えます。日本の政治学者がこれらの概念を重要視する背景には、憲法体制の問題があります。明治時代から第二次世界大戦までの日本の体制は、天皇主権が基盤となっており、権威は上から下へと流れるモデルでした。しかし、戦後の日本国憲法では、天皇主権とは対照的に国民主権が中心となり、権威は下から上へと流れる体制に変わりました。この大きな変化に対して、実際の政治の動きが十分に対応できていないという課題が浮上しています。
市民による自治という考え方は、この課題を背景に生まれたものと言えます。市民という言葉は様々な場面で使用されていますが、特に市民自治という言葉は、左派的なイメージを持たれることが多いです。一時期、一部の政治家はこの言葉を使用することを避ける傾向もありました。しかし、松下圭一先生は、イデオロギー的な色眼鏡を通さず、歴史的背景に基づいた学問的概念として市民自治を捉え、それを現状分析に役立てていました。
松下先生の考え方は、特に1960年代の市民運動や革新自治体の台頭と関連しています。高度経済成長の中で都市化や工業化が進み、新しい生活の豊かさがもたらされる一方、公害問題などの都市型問題が噴出しました。これに対応する形で、市民運動や革新自治体が活発になったのです。松下先生は、これを集権的な統治から開放型の自治へと移行する動きと捉えていました。