F-nameのブログ

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再び職場体験。

昨日と今日と、再び中学生が職場体験で弊店に来られた(先週とは違う生徒)。前にも書いたかもだけど、差し当たり商品の検品作業を午前中はしてもらう。続けてジャンルの仕分け作業が必要なのだが、そこまでは出来なかった模様。まあ初めてだと無理なこと。差し当たり伝票通りの品物が有ると分かるだけでも助かる。無い商品を在るものだと認識してしまうと、検索機で在る筈の商品が幾ら探しても見当たらないことになってしまうから。午後は販売の為の装飾品を作成して貰う。この作業も拘れば幾らでも時間はかかってしまうのだが。昨日今日と初めて仕事らしいことをしたのだから、驚いているのだと感じる。良い経験として持ち帰って貰えれば、と。

特別支援学校における教育の現状と課題(特別支援教育基礎論第4回)

特別支援学校の教育はそれ自体で完結するものではないことが理解できた。

 

特別支援学校の成立。実態。課題。交流教育。現在どれくらいの特別支援学校があるか。1080校。幼児部から高等部までの教員数は8万人以上。1校の規模は11万8千人の人口。生徒は1校あたり100人以上。少しは身近になった?住まいの地域はどうか?
成立までの前史。養護学校など。盲学校聾学校養護学校の整備。学校の整備と義務制。大正12年。盲学校聾学校などの設置義務が。昭和31年度に義務化の完了。指導要領の編成。事務次官通達による。いち早く義務制に移行できる。養護学校の設置。昭和22年に法律1条に位置づけ。養護学校という名称の学校は無かったが。他の学校の整備のあとになる。知的障害者や肢体不自由児については戦前や戦後にもあった。なぜ養護学校の用語を使わなかった?あくまで任意。費用は地方自治体の負担に。小中学校としての位置づけ。昭和30年代以降に設立。養護学校の建物の建築費などの国庫の負担補助を。財政的裏付けが。65年間の聾学校盲学校養護学校の推移。盲学校聾学校にはそれほど変化がない。養護学校は昭和30年代以降急増。就学する児童生徒の数も増加。多様な生徒に。学習指導要領の必要性。養護学校の義務制は長らく望まれていた。必要な養護学校建設の施策を。昭和48年11月に就学義務に関する政令。79年4月から養護学校の義務制がスタート。特別支援教育制度。特別支援学校の特徴。複数の障害教育領域の。複数の障害。障害種別を超えた学校として位置づけ。単一障害校は800校以上。複数障害校は20%ほど。単一障害校は減少傾向。先端的機能。地域の小学校などの要請に応じて助言援助を。専門性を資源として。
交流教育。昭和53年10月の答申。生徒児童の交流を。学習指導要領などにより、学校の教育活動全体を通じて小中学校生や地域社会の人々と。心身障害児。何故か。養護学校の義務制への対応。就学機会の保障の観点から賛成。世界では、統合教育に関心が。80年代にはインテグレーションIntegration。国際障害者年。国内の事情と国際動向にズレが。義務制に時間を要した。交流教育への関心が高まり、提案が盛んに。地域の小中学校の反応は芳しくなかった。整備がなされていなかった。提案は唐突と写った?交流教育は前途多難な出だし。平成11年の学習指導要領の改定で交流学校は一挙に動き出す。同時改定のメリット。小中学校からの提案が可能に。総合的な学習の時間の導入などで関心が。交流教育が小中学校にも。問い合わせが急増。逆転現象。交流及び共同学習。インクルーシブ教育化。
特別支援学校における実態。障害の実態。障害の重複化。40%前後が複数の障害を。障害の重度化や多様化を。肢体不自由教育は脳性疾患があるので、聴覚障害などの障害を随伴する。運動社会性言語の各領域に応じて。重度重複障害者。発達障害の児童。二次的課題を抱える。教育課程の変遷。学習指導要領で具体化。教育課程の基準。法的拘束力を有する。考え方と実際。教育課程。学校教育の目的を達成する為に、総合的に組織化。学校教育の目的や目標。各学校は編成の主体として設定。目指す目的。特別支援学校の目的目標は?学校教育法。72条。生活上の困難を克服し自立する。目標は学校教育法ではなく、学習指導要領に。教育内容の組織化。小学部を例に。自立活動を加える。準ずる教育が困難な場合。学校教育法施行規則。合わせて授業を行うことが出来る。知的障害者や複数の障害を併せ持つ児童について、領域を合わせる。領域評価。生活単元学習や作業学習の根拠規定。学習指導要領総則。重複障害者に対する。障害の状態や学習の到達度は個人で違うので柔軟に。知的代替の教育課程。自立活動を主として指導を行うことが出来る。自立活動を主とする教育課程。授業時数。総授業時数の確保が必要。しかし困難にする課題が。小学部では自立活動を加えることになるので、各教科の時間を圧迫。小学校45分中学校50分。児童生徒の障害の実態から柔軟に設定できる。5分が不足したりすることも。
課題。重複化多様化への対応。地域の小学校などでも進行することが。指導法の開発や複数人で。先端的機能の充実。インクルーシブ教育化において充実を。教育資源のスクールクラスタの中核として。教員の専門性の確保。就学する多様な教育ニーズに対応するため。社会から信頼する学校への努力が期待。

 

特別支援教育基礎論 (放送大学教材)

特別支援教育基礎論 (放送大学教材)

 

 

臆病。

臆病に陥ると何もかもが出来なくなる。私にとっては小学校と中学校が特に酷かった。いつ誰にイジメられるのか分からなかったから。不登校という概念が無かった時代なので、学校に行かないという選択肢は無かったけれど。それが余程酷かったのか、高校生以来はそれほど臆病になった経験は無い。確かに小中学ほどは酷くはならないのだから。臆病なのは良いリーダーの条件だと説く書籍を読んだことがある(最後にリンクを貼る)。内容は肯けるが、何年も臆病なままでいるのは、人間の限界を越えないのだろうか。その辺りがよく分からない。

 

優れたリーダーはみな小心者である。

優れたリーダーはみな小心者である。

 

 

 

朝には横に。

今日の朝はいつもの時間に目が覚めて、メールmailチェックcheckなどして放送大学を聞いていたら、妙に調子が良くない。10分ほど横になり回復を企図していたら、そのまま起き上がれなくなってしまう。かれこれ1時間以上そんな感じで過ごす。職場に行く時間までには、何とか起き上がることが出来たけれど。勤務日が続いたり休日に休まなかったりしたから、疲労が全て取れているのではないのかも。夜の早い時間に横になる?睡眠サイクルを変えたくはないのだけれど。何しろ20年以上、薬で調整をしているのが現状なので。完全にオーバーホールoverhaul出来るのは次の週末になるだろうか。ううみゅ。

反抗。

私が連想したのは尾崎豊というミュージシャンmusicianである。と言っても今では知らない人間の方が多いかもしれない。太古の昔の80年代に、若者の反抗を歌い上げた人間として知られている。それ以外の曲も多かったけれど。高校から大学にかけての私の周囲の人間には、伝染病のように聞いていた人間が多かった。人が聞いているのに気がついてドップリとハマり、一定期間が経過すると飽きて聞かなくなる、といった具合である。ただ、ある人種は続けて心の糧にしているようだ。尾崎豊は夭折したけれど、死後のことまで考慮すれば幸福な人生と言えるのかもしれない。

リスクコミュニケーションの基本的手法(リスクコミュニケーションの現在第4回)

リスクの説明はよく考えて行う必要があるのだなあと感じる。当事者にとっては受け入れがたいこともあるのだから。

 

基本手法。PDCAサイクルと手段。評価の観点。
リスクコミュニケーションの進め方。プロセス。定型的なものは無いけれど、原則はある。進め方の基本。主要ルール。真のパートナーとして。声に耳を傾ける。率直open。周到に準備し結果を評価。プロセス。PDCAサイクル。継続的に改善。目標。リスクについての事実現状。意見の把握。リスク情報のやり取り。実施。再評価。価値観を把握する。どのような相手とリスクコミュニケーションをとるかを把握。アンケートなどの一次データや統計などの二次データ。相手の年齢などの情報特性の把握。メディアを使う際に。リスクに関する立場の把握。市民団体など。何に対してどの程度不安を感じているか。知識の程度や内容。いきなり本番では適切とは言えない。Messageを作成する。伝える方法を検討する。リスクそのものへの客観的情報が必須。誰にとってのリスクか。リスクの本質など、不確実性を伝えることも。リスクの責任主体のリスクの管理。個人の心得。どのように伝えるか?メッセージの伝え方。リスクコミュニケーションについては特殊なcommunication手段がある訳ではない。唯一の解答はない。心理学の領域の研究が活かせる。フレーミング効果。フレーミングの変化で。肯定的フレーミングが良い。「何人が助かる」恐怖関係Communication。リスクへの認知を高めて対処行動をとってもらう。喫煙の危険性など。一面的Communication。便益だけ。両面的communication。反対論も伝える。理由と状況説明が必要。対処行動をとってもらいたい時に。津波の可能性など。「落ち着いてください。間に合いますから」。恐怖関係Communication。ただ怖がらせるだけでは対処行動に繋がらない。具体的に何をすれば良いか。自分には出来るという自己効力感を高めるような、具体的な行動と、リスクが小さく出来るということを。フレーミング効果などの使い分け。ある方向に誘導するのは好ましくない。理愛し合うことが問題だから。リスクコミュニケーションの基本。分かりやすいMessageを。映像やイラスト。確率情報を伝えること。身近な他のリスクも比較する。空き巣以外に地震に備えるなど。他のリスクと比較させながら呈示。しかし慎重に。当該リスクがどの程度の大きさであるのか。客観的に捉える為に。専門家にとり当たり前の考え方。リスク情報の受け手に許容できないものも。様々なレベル。最も許容されるリスク比較。新しい手法の導入によりリスクは半分になる。標準との比較。同じリスクでの異なる推定値。第2ランク。望ましいリスク比較。実行する場合としない場合。最新の装置を使うか使わないか。代替解決案との比較。焼却処理と埋立処理。他の場所で経験された同じリスクとの比較。第3ランク。平均的なリスクとの比較。大気中のある有害物質の。在る有害作用の1つの経路についての。肺がんのリスクと全体のリスク。第4ランク。かろうじて許容できる。費用とのリスクや費用対リスク。リスクを半分にするために幾らの費用が必要。利益との比較。職務上起こるリスクと環境上のリスク。同じ原因に由来する別のリスクとの比較。第5ランク。関係のないリスクの比較。大気中の有害物質のリスクは車の排ガスより小さいなど。受け手にとっては通常許容できないものに。格別の注意が必要。リスクがクライシスの段階になった場合、不信を感じるようになっている。リスク認知に感情の要素が。確率論的リスクだけでは逆効果。福一の後のリスク情報の発信。レントゲン撮影などの医療リスクより小さい。喫煙による肺がんにリスクより小さい。当事者にとっては数値通りに捉えるのは困難。医療被爆のリスクと事故による被爆のリスクとを比較するのは、自己決定を無視すること。押し付けと受け取られかねない。リスク比較は危険である。性質を異にするリスクの比較はかえって不信が。能動的か受動的か、などの性質の違いがリスク認知に影響を与える。第5段階のような比較は、平常時から信頼が充分に醸成されていている場合に。リスク・リテラシーの涵養を。
リスクコミュニケーションの通常活動へのビルトイン。普段のコミュニケーションを上手く。リスク対応をビルトイン。多様な立場や価値観、ニーズが。同質的集団だけでは問題。本質である信頼について。あらゆる行動メッセージに。組織倫理、安全規範など。全構成員の活動としての統合的リスクコミュニケーションを。関係のない活動に見えるのも、コミュニケーションの円滑化に。埋め込むことの意義のもう1つ。アクターにとっての他人事意識を低減する。情報共有やコミュニケーションの要素を埋め込む。お祭りなどの地域活動で防災活動を、など。風疹のリスクや予防接種。産科医療漫画。妊婦が風疹に罹患する問題。風疹をなくそうの会。blogを。女性月刊漫画誌の記事の掲載。「コウノトリ」。30代40代の男性に対する。漫画を読むという行為に自然とリスクコミュニケーションがビルトイン。日常の文脈の中で。リスクの内容を自分事に。
リスクコミュニケーションの評価。PDCAサイクル。評価をどのような観点から行うのか。リスクを受け入れてもらうのが目的ではない。意見のやり取りの相互作用的なもの。どのような時に効果があったと言えるのか。説得的コミュニケーション。受け入れてくれた時に効果があったと判断。共に考える、共に模索する状態への。主体的に関与する場が設定されたか、公平に意見が扱われたか、相手と信頼関係が構築されたか。どの程度備えるようになったか。本質は双方向的なもの。リスク問題の社会化。しばしば期待や勘違いをする。ステークホルダー間の合意で?特効薬的手法は無いし、合意が目的ではない。

 

リスクコミュニケーションの現在―ポスト3.11のガバナンス (放送大学教材)

リスクコミュニケーションの現在―ポスト3.11のガバナンス (放送大学教材)

 

 

純粋さ。

年老いた人間は、私も含め若者は純粋で羨ましいと思う。人生を巻き戻しは出来ないのだから、ある意味で自然な感情ではある。ただ、純粋だからといって、完全に肯定的に受け止めることは出来ないことも頭に入れておくべき。歴史を学べば色々な事例があるが、中華人民共和国の文化大革命は典型例になるだろうか。紅衛兵が自らの純粋さを利用してあらゆる人間を吊し上げ、様々なものを壊した。教育体制を破壊して多くの人を農村で過酷な労働をさせた。中国は未だにその傷は癒えていないように思える。まあ「文化大革命」などと自らの政権の政策を自慢した仙谷由人のような人間も日本の政治家には居るので、同じようなことが日本で起こっても私は驚かないけれど。