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オオヤケから「公共」へ(政治学へのいざない第7回)

実は江戸時代の政治思想にも、西洋近代政治思想の種は育まれていたのかもしれない。丸山眞男を読んでみても良いかも。

 

都市空間と政治との関わり。前近代の日本の伝統思想では?西洋由来のpublic。前近代から近代への秩序意識の変容。公共心や公共性。そう発言される際に、どのような状況なのかは曖昧で良くわからないことも。共通了解が不明なママ。伝統的な都市空間の在り方。日本的なオオヤケから西洋のpublicへと。69年の新宿のエネルギー。江戸時代の昔から同じ。時代劇で見るような江戸の街と、20世紀の東京が同じ、とは?目覚ましい拡大は江戸でも起きていた。規模は異なるが、徳川時代は江戸が拡大を続けた時代。都市問題も深刻に認識されるように。荻生徂徠。「清談」。江戸と田舎の境界は?家続きに。徳川吉宗に。周辺から都市へと流入するのを取り締まれなかった。境界地帯に家を作り、江戸が膨張する。千住から品川へと。激しい拡大ぶり。当時の大きな歴史の動向。太平のもとで急速な発展。公儀は江戸に済むことを命じたので屋敷が出来、町中での生活が。消費生活を賄うために商人が。商業経済の発達で人口が増大。世界有数の大都会に。周辺に大名屋敷、その周辺に商人や職人。右回りの渦巻きに堀が。5つの街道が放射状に、街の拡大が。西洋では中心部に広場が。古代ギリシアのポリスやローマには公共の空間は理念のみではなく、市民の全てが集会場に集まり議論する直接参加の形で。ローマでも全員参加の民会の場に。政治の語は市民共同体としてのポリスに由来。市民たちの討論の経験が。都市の外側で生産活動を。外壁に対する防衛などの共通の問題については議論しながら決める。publicやprivateは厳密に分けられる。公私二分法。全員の生活に関わる事柄につき決定。公共の営みが政治。公共の決定は私的な領域には介入出来ない。市民が私的な利害関係を公共に盛り込むのは公私混同とされる。領域の厳密な区別。ポリティクスの。江戸。町人たちが集う広場でなく、中心は江戸城。従属して大名屋敷や町人の家が。小さな通りが錯綜している。江戸城に済む公方が一方的に規制する。支配される人の側から見通すのは困難だった。公方を頂点とする支配秩序とパラレル。支配構造を支えていた論理と儒学の論理を区別する必要がある。両者はどちらも封建的な秩序思想とされて批判された。違いをリアルに認識して違いを論じたことが近代化を準備した。きちんと理解すべき。荻生徂徠は経済の活発化が都市を曖昧にしていると批判。秩序の曖昧さに。処方箋。国を統治するにはマス目の中に位置づけ移動させない。マス目をきちんとつける。禹王。完璧な徳を持った聖人。碁盤の目のように秩序を。制度として提案したのは戸籍制度と空間の移動の管理を。人々の交通を監視して社会の流動化を封じ込める。上からの操作統制。平等な共同体とは対照的。儒学の思想。常に現実の支配を正当化する、だけではない。重大な理解の誤り。儒学思想にとっても勝手に統治するのは厳しい批判を。democracyのように主体を論じることはないが、天からの命令、天命に従って統治しうる。私利私欲では天命に反する。天地とも言いかえられる。大自然や大宇宙の意味。様々な生物が生まれる営み。意図をもって人間の運命を支配。天の役割の代行としての統治者。人々への配慮を。儒学は禹王を初めとする理想の統治。模範とする。聖人たちは自らの行動が天命に則っているか自己点検を実行し続けた。総じて天より仰せつかったもの。神。最高権力者である徳川公方のこと。天からの指示を受ける将軍。統治の営みは私事でなく厳しい義務意識を。徳川時代の秩序の現実。荻生徂徠と同じではない。中国朝鮮琉球ベトナムでは試験制度が。儒者は概して民間の存在。天下のオオヤケの筋と私事とを区別する考えを受け入れたかは疑わしい。徂徠の思想も。
前近代の日本におけるオオヤケの概念。公、に対応。西洋のpublicの翻訳概念として。意味の重なるところが多いので交換可能とみなされた。しかし三者で意味が異なる点も。三者の意味が混在している場合も多い。日本語のオオヤケ。大きい家を元来は意味。秩序のイメージは小さい家が大きい家に包括され、何十にも。私領。将軍と大名、家来。分厚く積み重なった関係で。上位がオオヤケ、下位が私的。全員に関わるpublic。それが政治。空間の区別の発想は日本にはない。下位の者が上位に従う。現在の地方公共団体。徳川時代の公方が頂点に。大名や家臣。オオヤケわたくしの構造が何重にも。中国の公、という概念を儒学者は使った。
嘉永6年にペリー艦隊が。開国。西洋諸国に無知だったわけではない。医学や自然科学、世界地図。浮世絵なども西洋に影響を。社会風俗や政治制度に関心を持つようになったのは開国から。議会制度のいち早い受容。元々は中国由来の公共。横井小楠。西洋から輸入した議会制度の導入を。横井小楠はあくまで朱子学をベースに。13世紀以降王朝公認に。東アジアの知識人の国際標準。官吏登用試験は朱子学を学んだ者が。徳川時代には朱子学が民間の学問として普及し、枠組みに影響を。荻生徂徠の思想は朱子学を徹底的に批判。様々な儒学や国学などが。朱子学は藩校でも。天、大宇宙における万物は理に則って運動する。人間の心にも天理が備わっている。性。普遍主義、平等主義を持った思想。横井小楠はそれを活かそうとした。武士たちに身分を超えて討論させるべき。対等な討論を重んじる側面が朱子学にはあった。学問所の理の追及だけでなく。政治に関する討論は被治者も含めて家の内で実践するべき。democracyを活性化させる為に熟議民主主義を。日本でも討論型世論調査を。あくまでも朱子学が前提だが、熟議民主主義と似た構想を横井小楠が。議会制の受容を訴える。「海国図志」。従来は西洋人を夷狄とみなしていたが、日本より優れた政治を行っている。儒学の理想である尽誠が。堯舜三代の理想。アメリカは公共和平な政治。徳の高い人を選んで政治をさせる点で、徳川とは異なる。儒学の理想に近い。議会による政治を高く評価。儒学においては尽誠の方針が。議会政治と大統領制を評価。徳川政治にも関わりながら。公概念から公共を。議会政治は徳川末期の政治に広く共有される。五箇条の御誓文。冒頭には万機公論に決すべし。議会制の定着を可能にした。一種の弊害もあったが。話し合いによる問題解決への期待感は高いが、政党の競争は批判的に捉えられる事が多い。公共の政治を巡る徳川政治は光と影を。

 

政治学へのいざない (放送大学教材)

政治学へのいざない (放送大学教材)

 

 

天職。

自分に適した職業を探して選ぶのが良いと、大学などでのキャリアガイダンスcareer guidanceで話がされることが多い。というか、ごもっともな論理なので誰でも話すことが出来ることではある。巷には成功者と言われる人がゴロゴロいてメディアMediaに取り上げられるので、適当に辻褄を合わせるのは可能だから。しかし、自分で天職だと思える職についている人は、そもそもいるのだろうか?誰しも大なり小なり合わない仕事をしていると感じるのではないだろうか?出来ることは、今している仕事を天職と思えるように組み立てていくことしかないように考える。今直面していることが出来なければ、何事もなしえないこだから。

京都市長選の投票率。

この日曜日に京都市長選があり、現職の門川大作氏が4選を果たした。組織力の差が出たと言え結果は予想通りだろう。差し当たり共産党が与党になるのを阻止したと安堵しているだろうが、それと市政が良くなるのとはイコールではない。

それはともあれ問題は投票率。40.71%である。10人中6人が棄権している計算になる。ところが、それでも高くなった方だというトーンが月曜の京都新聞では通底だった。40%台になったのは20年振りとのこと。激戦にも関わらず投票に行かない人が多数派なのには驚く(地元のことを差し置いているが)。関心がないのか、行っても同じだと思っているのか。しかし地元のことを考えないで良いのだろうかとも感じる。何しろ京都市というところは日本でも世界的に注目されている土地なので。

なお、某候補の支持者には、投票率が10%高ければ勝てたとツイートした人が居た。ううみゅ。仮にそういう総括が為されたら、今後は望みが薄いだろう。どうやって上げるのかを計画立てて考えないのはどうかと感じる。



ネアンデルタール人はなぜ滅びたのか~交替劇プロジェクトの探究~(放送大学特別講義)

横断的な研究でなければ真実はわからないのかもしれない。

 

人類の歴史。ホモ・サピエンスとネアンデルタール人。旧人。特徴。足は太く短く、長い胴。顔は縦に長く。眼の上の骨が盛り上がっている。火を起こす技術を持つハンター。ネアンデルタール人の社会が徐々に小さくなり滅びる。ホモ・サピエンスが生き残った、交替劇。高知で研究大会。プロジェクトリーダーは赤澤威。絶滅原因論。学習仮説を。学習能力に違いがあった。両者の間で技術や文化に格差が生まれた。両者の命運を分ける。検証した例はない。では、我々はこれからどうなるか。繰り返された交替劇の最後の存在?次なる交替劇の渦中にあると考えざるを得ない。我々が例外と誰が言える?繁栄を謳歌しているけれど。次はどのような枝ぶりになるかは誰にもわからないが、ヒントは得られるのではないか。交替劇の顛末に隠されている。ネアンデルタールとサピエンス交替劇の。交替劇プロジェクト。参加する研究者の専門は多岐に亘る。大きく3つのグループに。考古学グループ。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの違いを分析。世界3000箇所以上の遺跡を分析してデータベースを。全世界の遺跡を分析できるように。交替劇は3万年くらいかかっている。環境の変化と旧人新人の分布。寒い時期に入れ替わりが。交雑した新人が拡散している。アフリカから出て交雑した新人が広がっている。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの社会は何処が違うのか。石器が1番の証拠だが、あまり変わらない。違いがありそうなのは装身具。貝や骨で作ったビーズ類。アフリカではよく作られている。ネアンデルタール人にはない。社会的なアピール。見てくれて評価してくれる人が必要。受け入れられる社会かどうか。他の人に見せるものがものすごく少ないのがネアンデルタール人の特徴。小さな社会に住んでいた?ネットワークが少なかった。100平米から200平米。15人から20人位の集団。何故小さい社会を作っていた?体格も1つ。かっちりしていて肉を凄く食べていた。食物連鎖の頂点に立つと少なくなる。寒くて資源が限られると人口が多くなるのはありえない。当時の気候を。4万5年前に住んでいた。ネアンデルタール人は寒いところに過ごしていた。標高についてもより高いところに住んでいた。斜面のきついところに。第3波の時に。より適している場所が被っている。最後に住みたい場所には住めなかった。Innovation。ヨーロッパにおける多くのInnovationにおける文化。創造的学習が重要な要因。ホモ・サピエンスだけが創造的だったとは言えないが。Innovationの意図せざる結果。新人の誕生後からの。文化格差があったと決定的には言えない。文化と社会環境の中でネアンデルタール人が絶滅。Innovationは一方向だけではない。学習能力の進化のメカニズム。ちょっとしたことで、大きな事件を仮定しなくても文化の変化は起こり得る。学習戦略の違いはほんの少しで充分。文化人類学グループ。アフリカやオーストラリアの狩猟採集民。その観察でホモ・サピエンスの学習行動の特徴を。自然と学習が関わる。Innovationの基盤。脳の機能の発達。しかしそればかりではない。社会的システム。生態学的システム。相互に補い合ってInnovationが残る。相補的関与が。
非常に独創的なのは、脳の機能まで明らかにしようとしている。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの頭蓋骨と脳の復元を。コンピュータグラフィックスに。破断面が情報として上手く使えない。頭蓋の表面の連続性を使う。滑らかな局面を近似して予測して、位置合わせをして頭蓋全体を組み立てる。復元した脳の違いは?小脳の拡大が傾向として。ヒトと言うものの特徴。何故形の変化が生まれた?ネアンデルタール人は生まれたパターンに違いが?新生児の化石。仮想空間の中で組み立てる。生後4ヶ月のネアンデルタール人の新生児。脳の内腔の形を。成長に伴う変化を調べる。新生児の時は現代人とネアンデルタール人とは、内腔の形は極めて類似している。ネアンデルタール人は前後に長く。人間の場合は内腔の形が大きく変化。1歳までに脳容量は2倍に。脳の形の違いに。復元された脳を元に機能を考える。新人と旧人の脳の違い。内部モデルが沢山モデル。小脳は自動処理に、効率的な脳の使い方が。社会能力との関連。新人の脳はより学習効率が高かった可能性。差はそんなに大きいわけではない。現生人類のバリエーション。あくまで個々の脳から類推。集団として集まってきたらどういう特性が?認知学習能力。ものすごく離れている訳ではなくて、差は僅か。しかし交替劇は起こる。集団内の相互作用から創発が生まれる。
学習仮説を検証する総合討論。学習仮説は交代劇を説明するか。学習能力だけを扱う。集団としての学習能力を上手く組み込む。対立する仮説と比べるとどうか。生得的な差は全く無かった?環境変動や社会構造の変化。それだけ、という仮説。ホモ・サピエンス。アフリカに居るのでなく、ヨーロッパに来て能力が。明らかに大きな環境変動。ネアンデルタール人に対するモデルはあるか。年代の精査。
小脳が出てきた。色んな機能が。新しい研究の雛形になってくれれば。

活発さ。

子供というのは活発なものだという共通認識が今の日本社会には未だにある。しかしそれは大きな誤解に満ちている。ゲームで遊ぶ子供は、ある意味でゲームという対象に活発に関わっているのだけれど、世の人はそれを「活発」とはみなさない模様。外で走り回ることしかそう考えないのだろうけれど、都会では活発に動き回れる所がないのだから、「活発」になるのは難しい。結局はゲームか習い事か、学習塾に行くくらいしか選択肢は残されていない。その辺りの事情を、教育政策を作る側はきちんと認識しているのだろうか?ちなみに私は時刻表で空想旅行を「活発に」楽しんでいた。ただあまり子供らしくはなかっただろう。ううみゅ。

京都駅とStarbucks。

京都駅に出向く。診療所で診察してもらい薬局で処方して貰う為に。キモは四条河原町でも京大界隈でもないことである。要は京都らしいとは言い難い。巨大な駅ビルにつき、地元の人間は親近感を持っているかもしれないが。まあ京都駅が初の京都体験になる観光客はかなり多いのが事実。

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写真の限りでは、何処がどう京都なのかが不明。ううみゅ。

Starbucksでは時節に合わせてチョコレートchocolateで販促(という単語もビジネスマンでないと使わないだろうけど)をしている。その割にはザッハトルテSachertorteは展開していない。前のシーズンseasonで余程売れ行きが悪かったのだろうか。

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診療所も薬局も空いていた。そもそも具合が悪い人が行く筈の場所なので、新型肺炎の蔓延を恐れてだろうか?リンガーハットに入ったが変わらず混んでいた。

 

発達期の障害臨床例1:自閉スペクトラム症(障害児・障害者心理学特論第7回)

ベテランの自閉症者?にとっては肯けるところが多かった。

 

自閉スペクトラム症。支援者として関わる。行動の意味や背景。支援の在り方。
自閉スペクトラム症の概念。関連の。自閉症。アスペルガー障害。広汎性発達障害。歴史的話。アメリカのカナーと。ウィング。アスペルガー。アスペルガー障害。対人的相互反応の障害。コミュニケーションの障害など。医学的な診断基準。ICDとDSM。主にDSMの基準を。現在は第5版。第4版のときには広汎性発達障害のカテゴリーのもとにあった。高機能自閉症。知的障害がない、という意味。自閉性障害。知能が高い場合も含む。アスペルガー障害も様々。明確に区別するのは難しい。スペクトラムという言葉が入るようになる。ウィングの3つの障害の内、想像力の障害など。
症状について。DSM5。言語面では言葉の遅れなど。反響言語。道具としての使い方が不適切。直接的でない表現でも言葉通りに受け取ってしまう。非言語コミュニケーション。共同注意。指しているものを見るなど。大人の指の方を。意図が分かっていない。習得できるよう意図的に。正の強化。報酬を与えると行動が増える。行動療法的アプローチは言葉が遅れている子供に有効。交互に見るなど。自閉スペクトラム症の人は、考えなくても出来ることが出来ないことが。何が出来ないで、習得に何が必要かを考える。感情理解。情緒的関係の欠落。感情の共有の難しさ、共感性の弱さ。何故上手くいかないか?何故上手く出来るかを考える。相手の気持がわかりやすい手がかりは?表情。感情理解の為には相手の表情に注目、表情や感情の関係を知る。定型発達の人は無意識で知っていても、分からないことも。背景や服などに視線を向けていて、顔に向けていない。表情がどの勘定に対応するかを学ぶ必要もある。絵カードや写真を使って特徴を学ぶ。眉毛の間にシワが、あまり良くない気持。
行動、活動の限定された反復的な。DSM5の診断基準。こだわり。柔軟性の無さ。感覚の異常。無関係ではない。ウィングの想像力の障害。イマジネーションの無さ。象徴。在るものを別のもので表すこと。ごっこ遊びが成立する前提。イマジネーションが充分に働かず変化を避ける。情動的で反復的な。おもちゃを一列にして遊ぶ。動かして遊ぶところを、一定のパターンを作って遊ぶ。当事者の手記が理解の助けに。自閉スペクトラム症のある人の手記の例。考え方や感じ方を。東田直樹。「自閉症のボクが飛び跳ねる理由」。ミニカーなどが並ぶのは愉快。ごっこ遊びの何処が面白いのか分からない。パズルなどが大好き。頭がスッキリする。一定のパターン自体に楽しみを。感覚の面で多くの刺激が入ってしまう。混沌とした感覚の世界。
感覚の問題。過敏と鈍感。感覚刺激に対する過敏と鈍感。DSM5に初めて入ったが、多くの人が経験。聴覚過敏。何故耳を?気になる感じがするが皆には分からない。自分の居る位置が分かるために。気になる音を聞いても自分が大丈夫だと思えることが大事。単に音が大きく聞こえるということではない。我慢して慣れなさい、という指導は不適切。苦痛は本人でないと分からない。同じように感じる訳でもない。ニキリンコ「自閉っ子、こういうふうにできてます」。音を全て平板に拾う。今こうやっていても2人の対話音や騒音を同時に受け止めてしまう。多くの音が同じように聞こえる。他の音に邪魔されないようにヘッドホンで?エアコンや建物の外の音。注意機能が上手く働かないことも。様々な刺激に晒されているが、選択的注意が出来る。注意を向けるべき刺激を効率的に処理できる。自分にとり必要のない刺激が入ってしまい疲れてしまうことも。話し声が紛れてしまうことがコミュニケーションを難しく。聴覚以外の感覚。藤家ひろ子。匂いについての過敏さ。プールの前の腰洗いが怖かった。消毒液の匂いが酷くて泣いた。私にとっては恐怖。嗅覚が強い。わがままに見えてしまう。漂白剤の原液に入るよう。問題なく出来ていることを強硬に避けてしまう、問題行動と見られる。当事者の手記で他の人と違うのは思っていなかったという表現は多い。支援者は自閉スペクトラム症の人の刺激に対する反応を見て、実際に尋ねたりしながら感覚世界の理解が必要。教室の掃除の机を運ぶ音。苦痛を感じるケースも少なくない。騒音から耳を守るためのイヤーマフ。純粋に音を聞こえにくくするための。ノイズキャンセリング機能のあるヘッドホンを。緊急時の声が聞こえるようになっている。身体感覚について。スムーズに動けるのは身体の状態を脳がモニタリングしているから。深部感覚。よく分からなければ動かすことも出来ない。ぎこちなさや不器用さが併存していることも。身体感覚が上手く処理できていない、身体の一部が無くなっている。自然に出来ることも意識的にやらないと出来ない。身体感覚が上手く処理できないことから上手く出来るように。身体取り戻し用マニュアル。背中を作る。力を込める。2,3分は堪能する。下半身が在ることを思い出す。膝を負けて足の裏をつける。腕の確認。左右に視線を向けると腕が見える。蝶番の映像を見ながらユックリと。身体の状態を把握する為に触覚や視覚の情報を使ったりする。全ての人に効果的とは限らないが、容易ではないことの理解を。自閉スペクトラム症の人、感覚の問題、普通とは違うとは感じない。定型発達の人も同様。異なる感覚の人を理解するのは容易ではない。こだわり行動が問題になることがあるが、感覚の問題や想像力の問題が背景にある。背景の理解を。
併存症と二次障害。併存症。原因と結果ではない。二次障害。自閉スペクトラム症が在るために失敗して社会的な場面での不安が。第一水準、第2水準第3水準。環境との折り合いがつかなくて。周囲の人の理解が重要。医学的な診断ではない問題のケースも。不登校やいじめ、ゲーム依存。自閉スペクトラム症がある人でゲームが好きな人。依存性が強いので時間をコントロールする必要がある。
自閉スペクトラム症がある人への支援技法。トピック毎に支援の方法についても。ティーチプログラム。構造化がキー。どんな環境だったらやるべきことが分かりやすくなるか。幾つか工夫の例を。先の見通しが持てないと心配。今日の予定として話したいことを共有。答えが定まらないオープンクエスチョンではなく、クローズドクエスチョンに。理屈では分かっていても直感的に分かりづらいことも。しかし理解は不可欠。書籍を読んで考え方感じ方の理解を。

 

障害児・障害者心理学特論―福祉分野に関する理論と支援の展開 (放送大学大学院教材)

障害児・障害者心理学特論―福祉分野に関する理論と支援の展開 (放送大学大学院教材)