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真摯。

2日前に私は「真面目さ」について書いた。

 

記事にも書いたが、太平洋戦争の際には殆どの日本国民(それと日本国民で無くても日本の側についた人たち)は真面目に戦争に打ち勝とうとした。それについては一定の評価をするべきかもしれない。しかし、結果から見ると全くの徒労に終わった。それどころか多くの人間は亡くなり国土は焼け野原にされてしまった。勝敗は水物、という格言があるのは認める。だが太平洋戦争の前に既に日本が敗北するという研究結果が出ていたのは、猪瀬直樹氏の「昭和16年夏の敗戦」で明らかになっている。にもかかわらず「空気を読んで」戦争を拡大させた(だいたいアメリカと国力は10倍以上あったので無茶である)のだから始末に負えない。対米戦争の決断をしたのは真面目ではあっても、真摯とはとても言えない。そして国家権力に真摯さが無いと自らの国家が滅びるに至る。仮に昭和20年8月に終戦工作が失敗すると日本という国家は消滅したかもしれない。

 

昭和16年夏の敗戦 新版 (中公文庫)

昭和16年夏の敗戦 新版 (中公文庫)

  • 作者:猪瀬直樹
  • 発売日: 2020/06/24
  • メディア: Kindle版
 

 

 

ラジオ体操の栄枯盛衰。

昨日の朝に弊店で開店前の準備をしていると、いつものオリジナルソングoriginal song(また機会があれば書く)に代わり、ラジオ体操第一(一応は第二もあるのだが最近は聞かない)が流れてきた。普通は体操をしないとならないのだが、小売業の中で開店前にそんなことをする暇がある店舗は存在しない。もしかしたらoffice絡みなら体操をしていたのかもしれないけど。昔はラジオ体操第一のメロディmelodyに合わせて日本国民の皆が体操をすることが出来たと思う。小学校でも夏休みの公園でも体操をするので、自然と振り付けを覚えてしまった。しかし今はどうなのだろうか?職場でしているところはあるのだろうが。なお去年の夏に町内会の掲示を眺めていたら、ラジオ体操は5日間しか公園ではしないそうだ。しかしそれで体操がマスター出来るかは心配になる。まあ会得しなくても死ぬ訳ではないけど。

睡眠と環境(睡眠と健康第8回)

寝室の環境については気をつけた方が良いかも。今は何とか眠れているけれど。

 

林光緒。睡眠と環境。夜眠りやすくなる工夫は?寝具にお金をかける?生活習慣を見直すだけでも改善が。寝室環境も大きな影響を。温度や湿度などの睡眠への影響。
蒸し暑い夏の夜。暑いと何故眠れない?体温と密接な関連。睡眠中は体温が下がる。24時間の周期があるが、夕方が高く。明け方が低い。おおよそ最高体温と最低体温の中間にまで下がった時に眠りにつく。睡眠の真中付近で最低に。入眠時にも体温低下の要因が。赤ちゃんは眠るとポカポカするが、体温が上がっているのではなく皮膚の温度が上がっている。副交感神経系の活動。手足や顔の末梢神経。体温が急激に下る。睡眠の前半は体温が下がるように。逆に下がらないと眠れない。放熱しづらいので真夏は眠れない。ヒートアイランド現象。夜になっても気温が下がりづらい。都会では冷房なしに過ごすことは殆ど不可能に。では夏の夜に冷房をつけっぱなしにすると電気代が。2,3時間後までタイマーで。暑くて目が覚めることも。寝ている時に効果的なコツ。寝る直前ではなく数時間前から。すぐに冷たい風が。身体の表面から放熱しやすい。壁や天井からの輻射熱で暑くなってしまう。寝室の冷房をつけて充分に冷やすことが必要。3時間後くらいに冷房が切れるように。睡眠段階3や4は90%近く出現するので冷やすことが必要。身体が冷え切って辛い思いをすることが。起きる時にある程度体温が上がっているとスッキリと目が覚めるが。起きる前の2時間前からは冷房をかけないように。裸に近い状態だと身体を温められないことも。掛布は薄くて軽いのでむき出しになりがち。長袖長丈の服装を。交感神経系の活動を。
湿度の高さも睡眠に影響。汗が揮発しないので睡眠中に体温が下がりづらい。体温の変化。夜の最適気温が29度でも、男性に裸の状態に。ちょうどよい快適な気温。中性温度。時間が経過するにつれて体温が下がる。室温が35度だと、湿度により体温変化が異なる。75%の高温多湿状態だと体温が下がらない。睡眠が著しく妨害される。同じ気温でも50%だと睡眠状態はかなり改善される。夏の夜には湿度に対する対策も重要。寝室が除湿されていると空気が爽やかになり冷房も効きやすくなる。空調を28度に。パジャマや掛布を。しかし暑くて睡眠が妨害される。26度に設定を。湿度を50%に。寝具と人の間に出来る空間。寝床内気候。温度が32度から34度、湿度が50%。頭寒足熱が健康に良い。頭を冷やすことで脳の温度を下げる。
血圧の上昇。身体の活動が高まると。交感神経系と逆なのが副交感神経系。安静の状態を保つように。眠る時には副交感神経系を。体温を下げないと眠れない。汗をかくのは交感神経系の活動。熱い風呂や長時間の風呂は寝る前には避ける。2時間前には風呂から上がるように。体温を上げて放熱すると体温が下がる。電気毛布や電気アンカも有効。しかし使い方が問題。一晩温め続けると夏の高温環境と同じになり睡眠を妨害する。寝る時にはスイッチを消す。暖かくて末梢血管が広がる。睡眠の妨害も無くなる。寒冷地では夜は布団の中だけ温める?寝具を重ねる。トイレに行く都度、血管が収縮して血圧が上がる。寝室全体を暖めることは難しくても、16度を保つように。最も寝心地が良い。布団の中は10度以上になるように。湿度も50%程度を保つ。雪の地方はこまめに除湿を。こたつの中ではそれほど長く睡眠は続かない。体温が上がって目が覚めやすくなる。汗は交感神経系の活動。ますます眠っていられない。こたつは熱気を良くするが持続性を妨害する。こたつで寝ないように。
光の睡眠への影響。夜通し起きている人でなければ朝起きて夜眠る。夜は暗い。何時寝て何時起きるかは決まっている。毎日24時間の周期で繰り返す。時計が無く明るさも変わらない環境では?洞窟や地下室で実験が。何ヶ月にもわたり生活を。当然ながら時計はない。時計やラジオもない。新聞も古いものを。何月何日かわからないように。退屈しないようビデオや本が。何百人もの参加者が。平均すると1日につき1時間遅くなる。元々のリズムは25時間。その後の研究で光を浴びるタイミングの問題が。光が体内のリズムに影響を与えないように、豆電球くらいの薄暗い環境を。24.26時間に。毎日寝る時刻を4時間ずらす。28時間の生活に。慣れることが出来ず。体温が24,18時間に。元々のリズムは24.2時間。寝る直前まで明かりを。光の覚醒効果。夜ふかしの原因。朝に光を浴びればリズムを短くリセット出来る。メラトニンというホルモンが関係。脳の中の松果体から分泌。夜の間に分泌量が増える。日の出とともに分泌が止まる。夜でも強い光だと分泌が止まる。強い光を浴びるほど各制度が高くなる。メラトニンの分泌。100ルクスを超えると抑制され、200ルクスだと抑制される。室内の明かり程度の。覚醒度が高まる。光の種類で影響が異なる。青色の光が影響。蛍光灯。青の光が随分含まれる。寒色の光を浴びると、睡眠が妨害される。深い睡眠も減る。直前までcomputerを。青白い光が多いと覚醒度が上昇。記憶は睡眠中に定着。睡眠不足だと昼間は作業に集中できない。覚醒度を高めるのは逆効果。暖色の光では覚醒度を高めないが睡眠も妨害されない。海外では室内の照明はあまり明るくない。日本は明るい。夜更しになるのも当然。日本人は特に睡眠時間が短い。寝る前の準備を。夜真っ暗にすると不安?寝室の中に豆球くらいの明るさの光を。間接照明が望ましい。朝起きる時は青白い光を浴びる。2000ルクス以上だと交感神経系の活動がされる。日光が入るようにする。リズムもリセットされる。室内に毎朝日光が入ると一定時間に目が覚める。遮光カーテンを使うと日の出の時刻と全く関係がない時刻に。防犯上の問題や寝室の問題も。目が覚めた時に昼光色の明るい蛍光灯を。
騒音が睡眠に及ぼす影響。デシベル。人の耳に聞こえる一番小さい声を0デシベルとする。20デシベルは木の葉の触れ合う音。40デシベル以下で適した状態。それ以上だと音で目覚めることも。50デシベル、室外機の音。中途覚醒が頻繁に。それ以上だと軽い睡眠障害に。普通の会話でも60デシベル。おおよそ80デシベルだと地下鉄の車内の音。会話音も聞きづらい。一晩中続くと眠り続けられる人は殆ど居ない。重度の不眠状態に。不眠症の発症率が高くなる地域も。夜間の交通量が多くて騒音レベルが高いと不眠症の出現比率が増える。大型車がたまに通った状態の方が問題、慣れが起こらない。生活騒音の大きさ。スイッチの入り切でも問題。静かな環境が必要。騒音の環境基準。住宅地では45デシベル以下が環境基準。WHOでは平均30デシベル以下とするよう推奨している。
温度や湿度、光、騒音といった要因の問題。

 

睡眠と健康 (放送大学教材)

睡眠と健康 (放送大学教材)

 

 

卑屈。

これまでの人生で、卑屈な想いをしたことはかなり少ない。学生時代までは基本的に能天気だったし、職場で下のカーストに落ちた時にも、自分の職務に集中していたのであまり気にしてなかった。ただ、職業訓練でCADや旋盤の扱いを習った時には、落ちこぼれて卑屈な想いをせざるを得なかった。学業で成績が悪いと、どうしても卑屈になってしまうのが体感された。今でも卑屈な感情を抱いていると思しき人と接することがある。励まそうとしても、事情が分からないと言葉を選べない。それとも私の対人能力が足りないせいだろうか。

寒暖の差のジェットコースター。

10月も中旬に突入。まあ秋らしい天候ではある。けれど日々の寒暖の差が激しいように感じる。1週間前は11月のように寒くなり、布団を沢山かけて震えるように眠っていた(ここで西野カナを連想する私は古い人間であろう)。それで中旬になるとやたらと暑い。もちろん真夏に比べればまだマシだけど、秋らしい気候とは言えない。まあここ数年は10月でも暑い日はあるので、慣れないと仕方がないのだろう。昔にビルメンの管理室で場所を借りて仕事をしていた時には、設備担当の方々が冷房をかけるか暖房に切り替えるのか、かなり迷ってはったのを思い出す。ある意味で鬼門だったのではないか。結局は身体の適応能力を養うしかないのだけど。

東南アジアの特徴(東南アジアの歴史第1回)

確かに一括には出来ない地域だと感じる。まあ大東亜戦争の時代の日本が何処までそれに自覚的だったのかは分からないけれど。

 

東南アジアという地域の特徴。日本から直行便で首都までの所要時間。マニラまでが4時間45分。ハノイの5時間30分。一番遠いジャカルタで7時間35分。東京から8時間以内に東南アジアの首都が。現在の日本にとって重要な経済パートナー。東チモール以外の10カ国でASEAN。貿易額も高い。14.7%。地域としてはマイナーな地域とみなされがち。基本的に中小国で構成されているためか。ASEANは国際政治での存在感を高めている。米中の影響力の競い合いも絡む。大国への抵抗感。他国にとって安全保障上の問題が少ない中小国の連合のASEANの存在感は受け入れられやすい。東アジア首脳会議。ASEANがハブとなっている。アジア太平洋地域の地域協力の進展。ASEANの存在感や重要性に関心が向けられている。今日の役割を担うようになったのは歴史から。まとまった地域になったのはごく最近。多様性を地理的自然的環境から。多様性を人間の側から、民族言語宗教。共通に結ぶものはなにか。歴史の見方が第二次世界大戦後にどのように変化したか。文明と文化の観点。
構成している国々は11カ国。02年の東チモールを除くASEAN。人口は14年に6億人以上。EUの5億、NAFTAの4億7千万より多い。東南アジアが1つの地域とされたのは最近で、以前は多様でバラバラだった。統一する帝国はなかった。多様性の考察。住んでいる人間の側から。共通に結ぶものは何か。歴史の見方が今までにどのように変化したか。文明と文化という観点からまとめる。
ASEAN。02年の東チモールを除く。15年に共同体への発展を遂げる。6億2千万人。EUの5億よりも大きい。東南アジアには大きな帝国は出現しなかった。陸上部ではアンコール帝国。島嶼部でも無かった。13世紀のモンゴル軍の侵入も食い止められた。19世紀に形成された欧米の植民地支配でも、フランス領インドシナやイギリス領ビルマ、マラヤ、北ボルネオ。オランダ領。ポルトガル領。スペイン領からアメリカ領フィリピン。東南アジアを分断。一体化。日本による大東亜共栄圏という軍事的覇権。タイは一応独立を保っていたが。日本の軍事的覇権を。南方という言葉を。南方軍。反攻作戦を。コロンボに置かれたのが東南アジア司令部。それ以降、東南アジアという用語が。東南アジアの一体化は一直線で進んだ訳ではない。降伏直後にインドネシアやベトナムなどの独立運動。47年に反植民地主義勢力が連携。東南アジア連盟。人々になる東南アジアの一体化の先駆的な。冷戦に巻き込まれて一体化は進展せず。55年に反共産主義の軍事同盟としての東南アジア条約機構。しかしタイとフィリピンだけ。ベトナムは共産主義陣営に。ビルマは非同盟中立。冷戦は分断をもたらす。ベトナム戦争。67年にASEANが結成。信頼醸成を目指す。親米政権の連合とみなされがち。一体化に進むのは冷戦構造の解体。95年にベトナムが加盟する。ASEAN10が実現。地域協力機構に。国際的地位を高める。存在感の増大。
地理や歴史の多様性。自然環境。ヒマラヤ山脈に連なる5つの山脈や大河。国家の成立。山脈を越えた大帝国は成立せず。メコン川。チベットに源を。ベトナム南部への全長4000キロ以上。ラオスのビエンチャンより下流では平原に入る。ベトナムのメコンデルタ。中流域の開発。オオナマズの漁。島嶼部。火山の噴火や大地震が。大津波が。火山は肥沃な土地をもたらす。海は世界の十字路として交易地に。多島海を横断する国家は形成しづらい。
気候。熱帯。気候は多様。ハイバン峠。南北にベトナムの気候は二分。峠の南はモンスーン気候。一年中暑い。熱帯モンスーン気候以外に熱帯雨林気候、サバンナ気候も。多くの地域には湿潤高温で人間に優しい自然環境。溶け込んだ文化を形成。多様性を生み出す基盤に。
住んでいる人の側からの多様性。民族構成は多様。華僑。華人。印僑。移住民も沢山。元々の住民を区分する。台湾から東南アジアの島嶼部。マレー語やインドネシア語など。オーストロアジア語族。有力語としてはベトナム語など。シナチベット語族。ビルマ語など。ほかにタイ語などもある。ベトナムも多民族国家。エスニックグループ。国家公認の民族が54。民族籍。宗教。統合に大きな役割。多様。主な宗教はない。イスラム教徒。南方上座部仏教徒。大乗仏教徒、キリスト教。南方上座部仏教。仏教には大乗仏教と上座部仏教。北伝仏教。南伝仏教。伝播は大乗仏教の方が早かったが。戒律を重んずる。出家を求める。托鉢から。流入の歴史は13世紀から。
生活文化の角度からは共通点が。米が主食。米と魚の組み合わせが特徴。稲の多くは水田で。魚も入る。まとめて取れる。保存。塩辛などの発酵食品。ナンプラー。漁業。高床式住居。米を貯蔵する倉、ネズミを防ぐ。共通性を形成するのは海の世界との結びつき。古くから物資の交流。季節風を利用した航海。「仏国記」。大型商船が定期的に。東西交易路は海のシルクロード。重要な産品を。香料。香りを楽しむ。沈香など。化粧品。食品に使う香辛料。14世紀のペストの流行。香辛料の需要の増大。香料諸島。大航海時代を生み出す。国際的商業空間との結びつき。外なる世界の二重構造。ダイナミズムを形成。中国やインド、Europaの外部の大市場が発達すると貿易国家が発達。外部が停滞すると陸の東南アジアの台頭。
東南アジアの歴史の見方。東南アジアにとり外の世界が重要。外部世界の影響。世界宗教。外部世界から受け入れ。欧米の植民地支配。独自の文明を産み出す力を持たない。植民地支配を正当化。第二次世界大戦後に独立。それぞれの国家の自律性独立性を。ベトナム。千年に渡り中国の支配に。独立後も中国の影響を。中国化された東南アジアの強調。ベトナム戦争の60年代から。中国に支配される以前から自生的な高度な文明が。ベトナムが同化されず独立を回復する。愛国主義の4千年の伝統。大国に対し独立戦争を。他の国々でも土着文化の自立的発展が強調。80年代以降になると外部の文明の受容も主体的選択の結果として。13世紀から15世紀に。多くの王国の支配者がイスラムを受容。商業と交易時代。インド洋に広がるムスリム商人に。中国化されていたとされるベトナム。中国の影響は時代が下がるにつれて強く。ベトナムの中国化は主体的選択。国王の位の継承ルール。あまり明確ではない。争いが多い。内紛が。大国の干渉の恐れ。ベトナムは中国的なルールを。中国的国家制度を導入。脱中国化の為の中国化。東南アジアが選択的に受容して。
文明と文化。世界に発信できる高度な文化は無かったが。受容の仕方に独自性があるのも価値が。東南アジアは人間に対し融和的な自然環境に。湿潤高温に対応する文化。独自な文化的要素は異なる地域に発信されない。鬱蒼たる森の中でこそ。しかし文化は他に伝播も。多様性こそが共通性。多様性の中の統一。インドネシアの国是。ASEAN全体のスローガンにも。多様な構成員が外部文化を発展に結びつける。

 

東南アジアの歴史 (放送大学教材)

東南アジアの歴史 (放送大学教材)

 

 

真面目さ。

「竹槍三百万本論」と後世に呼ばれることになった主張が、戦前戦中(今更だが「太平洋戦争」のこと)の日本本土(しかし本土でない地域はどうでも良いのかと非難されるかも)の防衛について為された。調べた限りでは、当初は兵備を揃える金がないなら国民の結束が必要で、それさえ有れば、竹槍300万本でも何とかなる、という趣旨のことを荒木貞夫氏が述べたのが最初らしい。なので竹槍はあくまでオマケの位置しか与えられていない。ところが昭和20年になり本土防衛が問題になり、竹槍さえあれば何とか戦えるのではないか、という論調になってしまった。大真面目に銃後の国民は竹槍訓練をして、一部の軍人も真面目に竹槍で戦えると豪語していた。勿論、竹槍では敵の飛行機は墜とせないし、機関銃で攻撃されると竹槍ではどうしようもない。状況を誤解していては、いくら真面目でも破局に至るしかない。思えばよく「終戦」に持ち込んだものである。でないと読者の大半も産まれなかっただろう。