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東南アジアの特徴(東南アジアの歴史第1回)

確かに一括には出来ない地域だと感じる。まあ大東亜戦争の時代の日本が何処までそれに自覚的だったのかは分からないけれど。

 

東南アジアという地域の特徴。日本から直行便で首都までの所要時間。マニラまでが4時間45分。ハノイの5時間30分。一番遠いジャカルタで7時間35分。東京から8時間以内に東南アジアの首都が。現在の日本にとって重要な経済パートナー。東チモール以外の10カ国でASEAN。貿易額も高い。14.7%。地域としてはマイナーな地域とみなされがち。基本的に中小国で構成されているためか。ASEANは国際政治での存在感を高めている。米中の影響力の競い合いも絡む。大国への抵抗感。他国にとって安全保障上の問題が少ない中小国の連合のASEANの存在感は受け入れられやすい。東アジア首脳会議。ASEANがハブとなっている。アジア太平洋地域の地域協力の進展。ASEANの存在感や重要性に関心が向けられている。今日の役割を担うようになったのは歴史から。まとまった地域になったのはごく最近。多様性を地理的自然的環境から。多様性を人間の側から、民族言語宗教。共通に結ぶものはなにか。歴史の見方が第二次世界大戦後にどのように変化したか。文明と文化の観点。
構成している国々は11カ国。02年の東チモールを除くASEAN。人口は14年に6億人以上。EUの5億、NAFTAの4億7千万より多い。東南アジアが1つの地域とされたのは最近で、以前は多様でバラバラだった。統一する帝国はなかった。多様性の考察。住んでいる人間の側から。共通に結ぶものは何か。歴史の見方が今までにどのように変化したか。文明と文化という観点からまとめる。
ASEAN。02年の東チモールを除く。15年に共同体への発展を遂げる。6億2千万人。EUの5億よりも大きい。東南アジアには大きな帝国は出現しなかった。陸上部ではアンコール帝国。島嶼部でも無かった。13世紀のモンゴル軍の侵入も食い止められた。19世紀に形成された欧米の植民地支配でも、フランス領インドシナやイギリス領ビルマ、マラヤ、北ボルネオ。オランダ領。ポルトガル領。スペイン領からアメリカ領フィリピン。東南アジアを分断。一体化。日本による大東亜共栄圏という軍事的覇権。タイは一応独立を保っていたが。日本の軍事的覇権を。南方という言葉を。南方軍。反攻作戦を。コロンボに置かれたのが東南アジア司令部。それ以降、東南アジアという用語が。東南アジアの一体化は一直線で進んだ訳ではない。降伏直後にインドネシアやベトナムなどの独立運動。47年に反植民地主義勢力が連携。東南アジア連盟。人々になる東南アジアの一体化の先駆的な。冷戦に巻き込まれて一体化は進展せず。55年に反共産主義の軍事同盟としての東南アジア条約機構。しかしタイとフィリピンだけ。ベトナムは共産主義陣営に。ビルマは非同盟中立。冷戦は分断をもたらす。ベトナム戦争。67年にASEANが結成。信頼醸成を目指す。親米政権の連合とみなされがち。一体化に進むのは冷戦構造の解体。95年にベトナムが加盟する。ASEAN10が実現。地域協力機構に。国際的地位を高める。存在感の増大。
地理や歴史の多様性。自然環境。ヒマラヤ山脈に連なる5つの山脈や大河。国家の成立。山脈を越えた大帝国は成立せず。メコン川。チベットに源を。ベトナム南部への全長4000キロ以上。ラオスのビエンチャンより下流では平原に入る。ベトナムのメコンデルタ。中流域の開発。オオナマズの漁。島嶼部。火山の噴火や大地震が。大津波が。火山は肥沃な土地をもたらす。海は世界の十字路として交易地に。多島海を横断する国家は形成しづらい。
気候。熱帯。気候は多様。ハイバン峠。南北にベトナムの気候は二分。峠の南はモンスーン気候。一年中暑い。熱帯モンスーン気候以外に熱帯雨林気候、サバンナ気候も。多くの地域には湿潤高温で人間に優しい自然環境。溶け込んだ文化を形成。多様性を生み出す基盤に。
住んでいる人の側からの多様性。民族構成は多様。華僑。華人。印僑。移住民も沢山。元々の住民を区分する。台湾から東南アジアの島嶼部。マレー語やインドネシア語など。オーストロアジア語族。有力語としてはベトナム語など。シナチベット語族。ビルマ語など。ほかにタイ語などもある。ベトナムも多民族国家。エスニックグループ。国家公認の民族が54。民族籍。宗教。統合に大きな役割。多様。主な宗教はない。イスラム教徒。南方上座部仏教徒。大乗仏教徒、キリスト教。南方上座部仏教。仏教には大乗仏教と上座部仏教。北伝仏教。南伝仏教。伝播は大乗仏教の方が早かったが。戒律を重んずる。出家を求める。托鉢から。流入の歴史は13世紀から。
生活文化の角度からは共通点が。米が主食。米と魚の組み合わせが特徴。稲の多くは水田で。魚も入る。まとめて取れる。保存。塩辛などの発酵食品。ナンプラー。漁業。高床式住居。米を貯蔵する倉、ネズミを防ぐ。共通性を形成するのは海の世界との結びつき。古くから物資の交流。季節風を利用した航海。「仏国記」。大型商船が定期的に。東西交易路は海のシルクロード。重要な産品を。香料。香りを楽しむ。沈香など。化粧品。食品に使う香辛料。14世紀のペストの流行。香辛料の需要の増大。香料諸島。大航海時代を生み出す。国際的商業空間との結びつき。外なる世界の二重構造。ダイナミズムを形成。中国やインド、Europaの外部の大市場が発達すると貿易国家が発達。外部が停滞すると陸の東南アジアの台頭。
東南アジアの歴史の見方。東南アジアにとり外の世界が重要。外部世界の影響。世界宗教。外部世界から受け入れ。欧米の植民地支配。独自の文明を産み出す力を持たない。植民地支配を正当化。第二次世界大戦後に独立。それぞれの国家の自律性独立性を。ベトナム。千年に渡り中国の支配に。独立後も中国の影響を。中国化された東南アジアの強調。ベトナム戦争の60年代から。中国に支配される以前から自生的な高度な文明が。ベトナムが同化されず独立を回復する。愛国主義の4千年の伝統。大国に対し独立戦争を。他の国々でも土着文化の自立的発展が強調。80年代以降になると外部の文明の受容も主体的選択の結果として。13世紀から15世紀に。多くの王国の支配者がイスラムを受容。商業と交易時代。インド洋に広がるムスリム商人に。中国化されていたとされるベトナム。中国の影響は時代が下がるにつれて強く。ベトナムの中国化は主体的選択。国王の位の継承ルール。あまり明確ではない。争いが多い。内紛が。大国の干渉の恐れ。ベトナムは中国的なルールを。中国的国家制度を導入。脱中国化の為の中国化。東南アジアが選択的に受容して。
文明と文化。世界に発信できる高度な文化は無かったが。受容の仕方に独自性があるのも価値が。東南アジアは人間に対し融和的な自然環境に。湿潤高温に対応する文化。独自な文化的要素は異なる地域に発信されない。鬱蒼たる森の中でこそ。しかし文化は他に伝播も。多様性こそが共通性。多様性の中の統一。インドネシアの国是。ASEAN全体のスローガンにも。多様な構成員が外部文化を発展に結びつける。

 

東南アジアの歴史 (放送大学教材)

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