F-nameのブログ

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クリニックの待合室での格闘技戦。

今このentryを書いているのは、自宅近くの某クリニックの待合室でである。単に不調なだけであるが。

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どの医療機関でもTVはあるが、民放が流れていることはなく(ましてや放送大学なんていうカルト(笑)なものは流れない)、決まってNHKである。そして大相撲があると夕方は中継がされる。今回は2年ぶりに九州場所である。久し振りに某クリニックに来たらやたらと混雑しているが、大相撲中継を視聴するのに合わせて来院しているのであろうか(単なる偶然だとは思うけど)。それで私も見ているのだが、他の方の妨害にならないよう端っこに陣取っている次第である。それにしても毎日のように取組があると年90回なのだから力士も大変な職業である。ひと頃は八百長などと某週刊誌が騒いだりもしていたから尚更である。

家庭での生活とそこでの育ち -家族周期の変化と子育て-(乳幼児の保育・教育第3回)

親と子が一定期間に離れて生活するのは効果がある子育ての方法かもしれないと思う。

 

岡崎友典。家族周期の変化と子育て。家族での生活とそこでの育ち。育てる会の会長に。対談形式で。青木会長。
対談の前に目標とポイントを。現代日本の家庭環境は大きく変わっている。家庭の役割と機能。社会学を元に。今求められる課題。育児不安など子供をめぐる問題が多発。子育ての力。家庭家族とは何か。現代日本の社会状況を踏まえて課題を。乳幼児におけるマザリングと子どもの育ち。実践事例などを。現代日本の現状と特徴。現代家族の中での子育てでの課題。
山村留学。始められたきっかけ。30年の産まれ。長野県。教員をして東京都で小学校の教師を。67年に教員を辞めて団体として68年に任意団体として山村留学を創設。72年には財団法人に。長年にわたり子どもの自然生活体験を。14年には公益財団法人に。山村留学という事業を始めた。70年代の家族や家庭の環境について。自身の育ち環境と比べての課題。育てる会の仕事をして40年以上。何故始めたか。山村での教師の体験と都会での。社会科の授業で山村ではお百姓の仕事を体験上で。都会では図書館で。映像や文字の知識や体験の違いに問題性を。体験活動が必要だと痛感して。時代的な背景。長野県でも中学校の教師に。70年代頃から家族環境は核家族化などに。私事化。家族の孤立の傾向が現れてきた。日本の家族の殆どが第1次産業を元に。ファミリーがあった。GNPの成長で父が仕事に、母も。ファミリーが変わってきた。農業社会から産業社会への転換が高度経済成長の中で家族の生活の形態が変わる。居宅外に。母も父も社会に出て働いて生活が成り立つ。親父の強制労働の大切さ。戦前の話。家族は父親中心にまとまる。価値観が1つに。父親中心で家庭教育の主権者。明治の教育の流れで。家庭経営が成り立っていた。家庭が社会の動きに。心を1つに。全力を尽くして家族とともに仕事をして疲れ果てて爆睡。そういう時代。生きるために食べる。好き嫌いは許されなかった。労働が身近に。食事でも生きるために。食育。育てる会の理念。育てるとは?子供が自分の生まれ持った個性を喜々として自分の力で育つ。組織は子どもたちの集団であると同時に親たちの会であり運動団体。具体的活動は。子どもたちの自然体験を。集団の生活が今では無いので、その葛藤体験を。親の社会が崩壊している。寂しい。地域の中にはない。新しい集団を作ることで家族経営の再建。家族機能を取り戻す。1年単位で農山村での集団生活。農山村での生活体験を。短期の長期休暇に体験をさせる。集団生活を指導する指導者の養成。学校教育の視点だけの指導者は居るが、学校経営の枠を外れた指導者のあるべき姿はこれから構築が必要。一緒に暮らしながら新しい指導者を。教育行政。社会教育と学校教育。学校外の教育の指導者。社会教育指事だけではなく。初めて父親同士が語り合う。PTA活動ではなく。求めているので場を作っていく。文部科学省の社会教育の団体として位置づけられている。山村留学の回想録を続けて書いている。次代に伝える。山村留学の効果として山村留学トンボの眼から。複眼。中心の目玉とそれ以外の目玉。教育効果。子どもの服を脱がせる。本人や家族の変化。現地の学校にも。山村留学というのは都市化社会の子供が山村生活をして村の学校にも通う。得られた教育のデータは大きい。世の中に広めて。子どもの生い立ちの問題。現代の子供の問題。都会の子供が山村で暮らすことの村社会への影響。学級の中での影響。様々な問題を。データの中から社会教育学校教育に大きな示唆が。山村に来ることによって学校に。親たちも留学に出すことで変わる。最初の子どもたちの様子。何人かの親から簡単に説明して欲しいと。服を脱がせる。情報化社会で子供は服を着ている。受験のために力をつけるなど。自然の中で通学する中で子どもの本来の声が。第一人称での言葉が出てくる。自分というものの良さ。喜々として伸ばしていく。親はやはり仕事に夢中になっていたが、現地に行くことで夫婦で語り合う時間が。親同士と酒を酌み交わす。新しい社会が。離れていてわかることなど。他人の子供と初めて比較ができた。1年間2年間距離をおいてみる。都会の生活の中ではなかなか機会がない。こどもを突き放してみる。子供を客観的に捉える。親の集団で子育てをする経験がない。地域社会が都会には殆どない。新しい地域社会、グループが。20年以上たっても続いている。現代人は心の拠り所を求めている。その中で子どもたちが自分を発見する。一石を投じる、きっかけを作っていく。
山村留学は預けっぱなしではなく、主体的に子供が行きたいと。年間に10回程度学校行事もあったりして親たちが来る車の中で夫婦同士で語る。親たちが忙しいのが問題。今日の家庭は機能していない。家庭の機能が語り合うこと。山村留学で良かったのは2時間3時間何とか休暇をとって夫婦で語り合う。話をするのが良い点。子捨てではない。学校訪問や授業参観や一緒に農作業をしたり。その中で学ぶことが沢山ある。親の山村留学でもある。家庭生活はあるのか?家庭生活の中で良いかどうかはわからないが。かなりのキャリアのある家庭でも、心の奥を探ると父や母の愛情をもっている子供と不安感を持つ子供。親元を離れているけど応援があるから来ている子供。シングルマザーが年々増えている。愛情の基地を持つ子供と不安感を持つ子供。エピソード記憶を。愛情の基地。そういうものがない子供が多い。経済的地位や社会的地位とは関係なく。アフリカの赤ちゃんの母親。愛情を持って育てている。幼児の頃から愛情の安心感を。幼児期から親と子の関係を。しつけという面で見ると親と子の相互作用が。かつての伝統的子育てと比較して住居の構造なども子供部屋に入る。結界の大切さ。幼児期の家庭でのしつけ。非常に難しい。民俗学文化論に。戦前は父親の社会のルールがあるので守らなければと。戦後では自由主義の時代。子どもの社会化。しつけでああしろでは効かない。厳しく育てられた子供ほど非行に。親が日常的に実行する。その背中を見て子は育つ。社会的ルールを。自分で考えなければならない。靴を揃える。起きたら顔を洗い衣服を整える。それらのルールは日本的美の世界。神道には教義の縛りはないが拠り所になっている。日本の決まりに対して子供も親も納得する。生活の中の伝統的美しさは残っていて子どもたちも素直に聴く。ヨロズの神の。ケジメ。結界。日本文化の中にはたちいってはいけない子供が。夫婦の部屋に入りお金をとった。どの部屋に入っていけないかを自分で判断を。冷蔵庫を開ける場合、他人の家だから開けていいですかと。お風呂に入る場合は順番を自分で。一言はかけなければ。日本の国には他人の領域に入らないなど。結界の重要性。最近は子ども部屋に親が入っていくこともあるがケジメの面からはおかしい。根底にあるのは思いやりの心。山村留学で何が良かったか。人に対して優しい心を持つようになれたと。そこから始まって初めて結界が。食事にしても生きるために食べていた。子どもの生活を預かる立場から神経を使う。受け入れた当時は好き嫌いの激しい子供が多い。昔の日本の食事ではきれいに食べてお茶碗まで飲む。出された食事には命が宿っている。仏教の考え。命をいただくのだから無駄にしてはいけない。子どもたちは全部食べる。好き嫌いではなく生きるために。空腹体験が大事。子供に何を食べたいか家庭で聞くケースが多いが親が考える必要性が。親自身が実行してほしい。意外とそうではない。栄養のバランスも大事だが親が小さい頃から与えていく。好きだから与えるのではなく。生きるためにいただく。手を合わせて。
子供を幼児期の家族内の子供の育ての基本。社会化という大きな課題。幼児の母親との関係。おっぱいを飲んている。外遊びを始めることから社会化が。砂場での自己主張などのコミュニケーション。遊びが大事。手を出さず眺めることが必要。小学校2年では皆で布団を敷いて寝る習慣がない。譲り合うなどの葛藤が。いじめなどもあるが妥協したり。葛藤と妥協を繰り返す。葛藤に耐えるのを見守る。社会化。葛藤と妥協。本当は小さい頃から専門職ではなくても親から。指導していくというか支えることが必要。幼稚園と保育園の指導者が子どもの動きを見る。注意の繰り返しではなく葛藤の観点から見ていく。育児の社会化。専門職者から親も学んでいく必要が。親も学んでいくことが。学びながら育てていく。

 

 

 

 

 

高貴さ。

いやしくも京都大学に在学していた人間なら「noblesse oblige」(ノブレス・オブリージュ)という言葉を聞いたことがあるはずである(まあ私は卒業していないが在学していたのには変わりはない)。原語は仏語であり直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」となり、一般的に身分が高い人間にはその特権に伴う義務が伴うとする価値観のことである。財力や権力などを持つ者の社会的責任を指す言葉としても用いられる。京都大学という学歴社会のトップを占める人間にとり心得ておかなければならないと主張されることが多かったが、最近はどうなのだろうか。ただこの価値観が京大内部で衰えているようには私には見受けられない。

小学校4年生での模擬試験の洗礼。

今日の午前中に近所の高校の前を通ると、某塾の模擬試験の会場となっていた。高校受験は大変だなあと思っていたけど、考えてみれば中学3年生だけに限った話ではないかもしれない。中1や中2かもしれないし小学生対象かもしれない。中学受験は関西圏でもよく聞くようになったから。

私が初めて模擬試験を受験したのは小学4年生だったと記憶している。阪急で京都の西院駅(阪急の場合は「さいいん」と呼ぶが嵐電の場合は「さい」と呼ぶ)で下車して西に進み、京都外国語大学の校舎で受験した。ところが腹痛が酷くてトイレに行かせてもらう羽目に。そんな有様だから試験の結果は言うまでも無い。それから中学3年生になるまで模擬試験を受けた記憶はない。我が家でも中学受験の話は出た(高槻市立の中学校に進むと地元高校に行かされるという話は頻繁に耳にしていたから)が、学費はかかるし合格するかは分からないしで沙汰止みに。まあ学区トップの高校に進学出来たのだから結果オーライだろうか。けど高校受験もかなりハードな経験ではあったのだけど。

新しい健康の概念(コミュニティヘルスケア研究第2回)

一病息災というのは私にも当てはまる。若い頃から疾病を抱えているけれど何とか充実した人生に繋げたいと思う。

 

星旦二。新しい健康の概念。99年のWHOの会議で。スピリチュアルでありdynamic。障害や疾病を見直したり受容したりすることで心の成長につなげる。一病息災的な側面も。
WHOの提案の新しい健康概念。86年にヘルスプロモーションを提案。WHOの背景。疾病構造の変化。結核を中心とした感染症の時代から生活習慣病の時代に。高齢化社会。様々な機能低下を。生き生きとした人生を。健康を規定する要因として医療だけではなく患者主体の環境や関係性を含む健康支援を。パラダイムシフトが。医療の役割の変化。医学モデルには一定の限界が。生きがいのある労働形態。文化活動や心和む住居環境を含めて健康支援環境の整備を。本人の主体性の尊重。58年には新しい健康の概念が。健康とは身体的精神的社会的全ての要素が。病気や虚弱ではないというものではない。高齢者や障害者に当てはめると?健康面では完全ではないが、必ずしも不健康とは限らない。要介護者でも楽しい人生を送る事例はいくらでもある。人生のターミナルまでの健康支援を。
スピリチュアルな人生。WHOは健康の定義の中にdynamicとスピリチュアルを加えて99年の年次総会で。生きていくことの連続性を。楽しく毎日イキイキと生きていること。スピリチュアルの訳語として霊的な、など。WHOが示した新しい健康の定義。特に早くからQOLを重視、最期まで生き生きとした。和訳としてはやる気、意気込み、前向き、楽しく、生き甲斐を持って、という要素を含む。一人ひとりが自分の達成したい夢や希望が。達成できそうな見通しと支援体制。経済的社会的支援が。WHOの新しい健康の概念の和訳として、身体的精神的社会的全ての要素が含まれた心豊かな状態。単に疾病や虚弱ではないことではない。老化に対する。生き甲斐を持ってスピリチュアルに生きる意義を。科学的evidence。モラールスケール。前向きに捉えているかを。老化に対する態度。23年間の追跡調査。自分自身をポジティブに。7.5年長生き。スピリチュアルに生きる意義を明確した。主観的健康観。自己申告する。健康指標の1つ。その後の生存や疾病状況など客観的指標では捉えられない質的な。その後の累積生存率。設問では健康だと思うか、というものを。とても健康、まあまあ、あまり健康ではない、など。16の市町村で高齢者2万2千人の調査。他の先進国でも同様の結果が。前向きに生きる意義を明確に。その後の生存維持や要介護状態を予防するevidenceが明確に。
人生をdynamicに。プロセスに対し連続性を持ち大きな観点から。長い人生では病気になったり思い通りにはならなかったりする。しかしこのような辛い体験が全てはマイナスではない。一病息災的な健康につながる。ちょっとした風邪を引いて健康のありがたみを。インフルエンザに罹患するメリット。抗体を獲得する。同様のウイルスの発病を予防。体温は2度や3度上昇することも。40度近くなることでがん細胞が抑制される。小中学高校時代に不登校になったりする辛い体験を。友人などの手当を受けながら自己成長に。様々な人生の事例を長期的に見ればマイナスにはならない。不登校を体験しながらも国際的に有名な芸術家に。一方で障害児を育て上げることで豊かな人生に。職場でのうつ病で心の成長につなげる。大手銀行の産業医としてうつ病になった体験者の面談を1時間近く傾聴する。辛いんですね、など。その後は週に1回程度の面談を。受容し自分の置かれた状況を理解して温かい手当を実感して。9ヶ月後に一定程度回復した人に。職場の中で最初に鬱に気がつくことが出来る人は?産業医より日々生活して体験したあなたが。鬱になりかけた人の適切な対応ができる人も。疾病の回復に有効な手当が出来るのは体験者。エンパワーメント。ファミリーディベロップメント。様々なマイナスの体験をdynamicに。成長。ヘルシーカンパニー。そんな職場に。新しい健康づくりでは疾病なども一定程度受容して周囲の支援を受けて本人や家族や仲間の成長につなげるプロセスを重視。我が国の現状の医療システムは血液検査など検査や診断により潜在的な疾病を発見するマイナスの側面が強調され優位性に関する情報が。治療行為が広がる。医学的検査だけでは充分ではない。ネガティブな判断価値をすることで専門家主導により服薬人口が増える。パターナリズムの典型例。住民と専門家が持つ情報には非対称性が。高度医療が選択されやすくなる。健康医学。健康支援活動での専門家の役割。患者や本人の主体性を尊重して機能低下を持つ人をトータルに捉えることで周囲の支援で長期的には受容することにより一病息災的な。人間の成長につなげる動機づけとして。家族の力量形成。ファミリーディベロップメント。長い人生における疾病の体験。成長するプロセスを。
健康生成論。主要な3つの要素。物事を総合的に見る。様々な事象に対処する。物事の事象をプラスに意味づけする。人生のプロセスを重視して体験を成長や充実につなげることを。セルフケアなどの概念は本人の主体性を尊重して成長のプロセスを重視。健康医学。権利学の基礎理論となる概念の1つ。WHOが提案した健康概念。一人ひとりの主観的で個別的な。生きるプロセス。健康生成論でのパラダイムシフト。主体性の尊重と責任を本人に移譲する。疾病に付き多様な捉え方を。自己成長につなげることが大事。様々な人生のイベントは長い時間軸で捉えることで成長とともに地域文化の成長に連動する。健康生成論。健康医学dynamic。回復過程や災害後の復興の事例でもプロセスを重視する。経済的支援だけではなく信頼感を根底にした支援を。健康医学、権利学。人々の健康支援についての専門職。医学の基礎理論である病理学を。膨大な学問的蓄積が。健康医学は新しい。権利学の特性と目指す方向性を明らかに。病理学と対比させて。人々の暮らしを重視。インフォームドチョイス。SOCなどの基礎的な方法論として。本人と支援者が相互に支援する基礎理論。非日常の医学モデルではなく。本人のQOCを重視してプラスの面を。発掘して力量形成を。
健康支援の特性。病理学との対比の中から。対象は疾病の有無を問わずすべての人。専門家が中心であるのに対して本人と家族。本人の主体性が尊重。意思決定と行動。心の成長を大切に。時間の経過とともに素人の役割も明確に。人々が成長することをエンパワーメント、ファミリーディベロップメントと。セミプロとして素人が健康に。健康資源の開発。病理学が還元主義を重視して医学的判断を重視。対して量よりも質を。支援環境を大切にする。本人の日々の生活機能を重視する支援環境にも。最終的意思決定は本人が主体性を持って。病理学から見ると一般市民は力量不足と捉えがちだが、力量が蓄積することが期待される。プロセス重視。専門的治療行為が主流になるのに対し、自然の治癒力。手当だけではなく公的機関の支援も重視。生涯学習や公民館活動やバリアフリーの環境や居住環境も労働環境も環境維持もヘルスプロモーションによる健康づくりが。WHOのヘルスプロモーションの基礎となるのがSOCなど。今後の新しい時代の健康として。
健康の支援方法。専門職から住民や支援サポートコーチングの健康支援に。支援プロセスで相互に学習して成長する。専門職は人々から多くのことを学ぶことが出来る。疾病を受容して学びを。病気の治療そのものが目的ではない。血圧を下げることは手段の1つであり豊かに生きる手段。悪いものとみなして価値付けるより。疾病の回復プロセスでは周囲の手当を。代替統合医療。温泉療法や森林療法など様々なものが。健康支援環境を整備する法的体制を。喫煙をして肺がんになるのは本人だけの責任ではない。タバコのパッケージに警告を。アイスランド。本人の夢を支える支援環境。40年間健康長寿のための要因について研究を。QOLを支える大きな要因は社会経済的要因。しかし直接ではない。本人や家族が前向きに生きることを支えてQOLに。ヘルスプロモーションを活用して対象者のQOLを高めるモデル。教育も生涯学習もバリアフリーも工業の発展も農業も含む。
まとめ。WHOは99年に健康概念の新たな側面を。スピリチュアル。大きく捉えて自己成長に。dynamic。疾病構造の変化。生活習慣病に。高齢化社会。健康を規定する要因は統合医療、東洋医学だけではなく。動物介在療法など。高齢化社会を迎えて高齢者障害者。豊かに生きる。加齢に伴う疾病を受容してイベントを大きく捉え時間軸を引き伸ばすことにより成長、ファミリーディベロップメント、ヘルシーカンパニー。自己成長につなげる。スピリチュアルとdynamicを活用して一病息災的な健康。より健康的に成長する意味付けを。新たな健康概念の活用を。

 

 

 

 

愚行。

世界史的に見て戦争を始めるのは容易であるが戦争を終わらせるのは難しいと一般的に言えると思う。1937年に盧溝橋事件が勃発してズルズルと戦火は拡大して日中は全面戦争になった(事件の後も和平が成立したことがあったが)。1941年に日本はアメリカに戦争を仕掛けたが、敗色が濃厚になり日本列島が焼け野原になってもなかなか戦争を終結させることは出来なかった。1945年5月の段階でも陸軍は一億特攻と称して本土決戦を諦めなかった(日本刀や鎌などが兵士に支給された)。天皇の意を受けた鈴木貫太郎総理は何とか大日本帝国を降伏の方向に持っていった。なので私は今ここでentryを書くことが出来る。

天皇の歴史の最初の文庫「神話から歴史へ」。

相変わらず図書館で色々と書籍を借りているが、珍しく歴史書を借りる。まあ歴史書と言っても文庫であるが。

天皇の歴史というのはなかなか手を出しづらい領域である(或いはあった)。大東亜戦争までは天皇につき批判を差し挟む訳にはいかないだろうし、戦後になったら天皇制はケシカランと言う風潮もあった。予断を挟まずに客観的に研究が出来るようになったのはそれほど古い話ではない。この文庫では天皇の歴史でも一番古い時代のことを取り上げるのだけど、その前の序章で戦前から戦後にかけての天皇制についての研究史が取り上げられていて示唆に富む。いきなり古代史に入るより頭の整理がついて読者に親切であると言える。

なおAmazonの商品検索で「神話から歴史へ」と入れると他の書籍も出てきた。適当に紹介する。まあ題名をつける際にも、どうしても発想は似通ってくる。