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文化装置としての学校(教育文化の社会学第5回)

戦前と戦後では違うのだなあと感じる。

 

学校という文化装置。学校空間。明治以降。机と椅子。ベルや時計で時間を区切る。近代学校。
江戸時代の学び方と明治時代の学び方。学校の受け止め方。温度差が。開智学校。1873年に開校。所々に彫刻。とても豪華。近代化を目指す。文明開化。塔の鐘。時間の管理。とても高価。7割は住民の寄付。少しずつ。教育へ投資。学校焼き討ち事件も頻発。伊勢暴動。79校。農作業の労働力が削がれる。小学校に行くのもお金が。寺子屋は小規模。大規模な学校。幾つものクラス。官僚制組織。設備も比較的整備。庶民の生活とは遠く、理解しづらい。異質なもの。
学校で学ぶ価値が伝えられていなかった。生活から切り離される。学校を経由した出世が可能。成績。上級学校へ。立身出世。
寺子屋から学校へ。一斉授業。寺子屋。各自が自分の進度に合わせて自学自習。個別指導。学校。一斉授業。知的レベルがだいたい均一。バラバラだと理解度に差が。どこに焦点を向けて?落ちこぼれた生徒をどうする?経験が解決する?構造的な問題。年齢別。学年制。多くの子供を効率よく。
学習内容は?学習内容の質が変化。寺子屋。往来物。手紙の文例集。学びと生活が一致。学校。系統性にとって普遍的抽象的。近代科学と農業中心。異質の程度が現在と比べても高かった。学校焼き討ちの背景。
教育の近代化制度化。寺子屋の師匠から学校の教師。教える側の変化。師匠。寺の和尚さん。武士やその妻。自然発生的。免許が必要だった訳ではない。比較的教養を持った人。教える内容も自由。体罰もあった模様。教師。本格的な教員養成。72年。スコット。アメリカをモデルとした師範学校。教える内容に関する知識。どのように教えるかの方法。指導法。日本で初めて。一斉授業の為の適切な教育方法。教員免許。教員の訓練。教師の質が上がった。画一的な教師が増えた。サラリーマン化。寺子屋は必ずしも定まった報酬が無かった。聖なる職業。広い尊敬。師範学校。人格も資質として。個性が無くなる。師範タイプ。制度化。学校の制度化。新たな教育文化。教員文化。学びの空間は一般学校とは違う。出身階層。授業料がかからず生活費を受給。学力が高い。上級学校へ繋がらない。中学校。上級学校へつながる。裕福な子供。師範学校は比較的家計が恵まれない子供。農業出身が多い。仲が悪い。師範学校は教師にならざるを得ない。無償で学ぶ。教師の義務。教師の給与は低かった。満足しない者は多かった。メンタリティは自分を卑下するというマイナスのもの。教師という仕事に引け目を。地域の中で埋もれる。出身階層の問題。Identityを規定。
戦後の教員養成教員タイプは?戦前は閉鎖的なシステム。教員養成機関の枠に。画一的で個性のない。大きな批判。戦後。開放性。どの大学においても教職課程の一定の単位を取れば良い。養成の幅。師範学校は中等教育のレベル。10代の後半くらいから。大きな批判。自由な考え方や発想。リベラル。高い専門性と広い教養を。大学で教員養成を。サラリーマン教師。決められた時間のみ働く。教育全般を担うべき?使命感が無い。でもしか教師。閉鎖性から開放性。
現在の教員養成や教師は?サラリーマン化はだいぶ無くなってきている。様々な階層が。オープンと言うかニュートラル。教員になった後が問題。大きな社会の変化。教員への眼差しが厳しくなっている。地域社会から様々なクレーム。教師の専門職にありかたも変わってきている。地域社会や保護者にきちんと説明する。教師という存在だけでは権威が保てない。教育行為をしっかりやっているというのを納得させるのも必要になっている。眼差しはかつてなく厳しい。
近代学校の制度化。官僚制モデルからビジネスモデル。

 

教育文化の社会学 (放送大学大学院教材)

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