F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

「特別の教科 道徳」と中学校教育(子ども・青年の文化と教育第5回)

道徳という教科の内容は悪いわけではないのだろうが、評価をつけるというのはどうしても違和感がつきまとう。

 

道徳を他の言葉で表現しようとすると?倫理、シティズンシップ、市民性、愛国心、など様々。如何に教えるかという道徳教育も。最も重要なのは道徳教育?自分自身で身につけるしか無いという立場も。道徳教育は極めて幅が広い。幾つかの前提を設けて。学校で行う道徳教育、とりわけ中学校で。子供に対して行なわれるべき場は学校だけではない。保護者による躾などは大変重要。地域社会の教育力もまだまだ存在していると考えて良い。近所の子も自分の子と同様に叱る人は減ったかもしれないが、地域の大人が子供の教育を手がけていると考えることが出来る。学校での道徳教育が要らないというのも一理ある。しかし一昔前のようにはいかない。道徳教育も学校を中心にする必要がある。親や地域教育の教育力が減った分を補う必要がある。学校教育における道徳教育、週に1時間の道徳の時間を中心に。時間割の中に週1時間、道徳の時間がある。それを中心として話す。実際は道徳の時間に限らない。教育課程全体で道徳を教えるという立場。運動会などの課外活動。教科で戦争の悲惨さの内容を教えるなど。教科の学びと道徳の学びの関連は重要。2つの前提の上で、道徳教育のimageは?堅苦しい、心をControlするのは馴染まない。1時間だけで道徳は身につかない。道徳教育はもっとしっかり。内容が問題、などの意見が。小学校中学校においては昭和33年から道徳の時間が。高度経済成長時代。ゆとり教育、脱ゆとり教育と変遷したが、半世紀以上続いている。元々は教科では無かった。しかし15年に学習指導要領を改定した。文部科学省が作成した文書。全国の学校はこれを元に教育課程、Curriculumを作る。特別の教科道徳。中学校では2019年度から。道徳科の授業が週1時間。戦後教育での大きな転換点?
改定の経緯と変更点。何が変わって何が変わらなかったか。小中学校においては学級担任が。カリキュラムの1つの領域に。外国語活動。外国語に慣れ親しむ。総合的な学習の時間。自ら学ぶ自ら考える。特別活動。学級活動など。道徳の時間は教科では無かった。学校における教育活動全体で。要となるが、それ以外の活動でも。社会科の時間に戦争の凄惨さを。運動会でクラス全体でリレーを。変更点。文部科学省の検定を受けた教科書が使用される。以前は副教材が用いられていた。読み物資料。02年からは心のノート。14年からは私たちの道徳を配布。あくまでも教材。どのような内容で、如何に学ぶかは縛りが少なかった。成績をつけるようになった。これまでは評価がつくことがなかった。今回は文章による評価を。励まし伸ばす積極的評価。点数で、ではない。以上が、主な変更点。あまり変更がなかったこと。行うのは学級担任。特別の教科道徳については、教員皆がする必要がある。教育課程全体で道徳を教えるが、要の存在となること。
道徳の教科化による経緯。道徳の教科化は繰り返し議論されてきた。出ては消えを繰り返してきた。実現した理由。総理が道徳教育に積極的だったのが理由?大きく3つ。いじめなどの現実の問題に対応できていない。道徳教育は無力という批判。11年の大津いじめ事件。中2の男子生徒の陰惨ないじめ、耐えかねてマンションから飛び降りる。道徳教育推進校だった。道徳の授業の形骸化、効果のなさ。模範解答が概ね子どもたちには分かっている。良い発言をするが意欲が出てこない。形骸化すると週に1度組まれているのに他の授業にすり替わることが。道徳の時間に運動会の練習をするなど。何故軽視されるか、効果がないから。教科になると改善できると考えられている。賛成意見と反対意見。いじめ自殺事件などが後を絶たないからなんとかしなければ。実効性を上げていない、形骸化している。郷土を愛する。思想・良心の自由に反して特定の価値観を押し付けていいのか。戦前の教育への反省。教育勅語の理念を教える修身科。明治から筆頭教科だった。戦前の道徳教育を否定的に。定着してきて良い事例も出てきている、現場の教員から。物語を読ませる、頭では分かっているが実効性が伴わない、教科化になっても変わらない?
道徳教育の内容。具体的にどう扱うか。学習指導要領。他者とともに生きていく為の内容項目を。4つの視点。自分自身に関すること。望ましい自己の形成を。人との関わりに関すること。望ましい人間関係の構築。集団や社会との関係。国際社会と向き合う我が国の国民の自覚を。社会の形成者として。生命や自然、崇高なものとの関わり。人間としての自覚を深める。具体的な内容。自主自立自由と節制。希望と勇気。真理の探究。思いやり感謝相互理解。遵法精神、社会参画。集団生活の充実。郷土を愛する。国際理解。生命の尊さ、畏敬の念など。子どもたちにどれだけ相応しいのかは議論があるかもだけど。
これからの道徳教育の在り方。議論することの難しさ。様々な立場からの議論が。国家権力やアンチ国家。大学教員の研究者、本質的な問を。教師はよりよい授業に関心。一般住民は躾に近いものも。生徒指導のカテゴリーに。全てを満たすことはありえない。大学教員の立場で道徳教育の可能性を。学習指導要領の4つの視点。実際の学校現場では集団に関わることがあまり盛んに行なわれていない。アンケート調査で明らかに。自分自身は生活習慣。人との、今日的課題にも繋がる。生命や自然、命は尊いものだという絶対的真理で扱いやすい。これらに比べて集団や社会との関わり、戦前の負の遺産があり、敬遠されがち。不毛な対立は間違っている。個人が充足する良い生き方が地域や国家にプラスになる。集団や社会の帰属意識に否定的な面はあるが、忘れてはならない。中学校での道徳教育。学校担任が行う。中学校では教科担任制。高校には道徳の時間がない。これまでの中学校教育において道徳の時間が充実していたかは問題。難しいのが実態。中学校ならではの観点を。発達心理学の理論。思春期。第二次性徴を迎え、性差がハッキリして心理的に不安定に。自分とは何かを問いかける。命の教育に繋がる。性教育。保健体育科を中心として生命誕生の仕組みを。生命に対する畏敬の念につながる。父親と母親が居て初めて命が出来る。かけがえのないもの。キャリア教育との関連。自分とは何かを考えるとぶつかる。勤労観を育てる。小学校から大学まで行われるが。職場体験などを通して進路選択に繋げる。集団や社会との関わり。社会科で行うもの?これからは既存の教科との関わりを重視するべき。

 

 

子ども・青年の文化と教育 (放送大学教材)

子ども・青年の文化と教育 (放送大学教材)