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日本の東南アジア支配(東南アジアの歴史第8回)

ベトナムの大飢饉は知らなかった。歴史の闇は深いと思う。

 

大きな転換点となった第二次世界大戦期。日本が軍事的覇権。日本と東南アジアのナショナリズム。
近代日本と東南アジアとの関わり。北進論と南進論。朝鮮から満州へ。台湾や南太平洋の島々、東南アジアへ。一時的に南進論が優位だったが、日露戦争以後は北進論が主流に。但し海軍では南進論も。満州事変以後、石油などの資源を有する東南アジアへの関心。37年に中国との戦争、蒋介石政権が奥に。援蒋ルート。長期抵抗。脱却するために軍事進出を。40年にオランダとFranceがドイツに降伏。バスに乗り遅れるな。7月。武力を行使しても東南アジアへ。仏印進駐。北部仏印進駐は援蒋ルートの遮断。南部仏印進駐はアメリカに警戒を。太平洋戦争勃発後、東南アジアへの侵攻。植民地政権の打倒、軍政を。
日本の支配と東南アジアのナショナリズム。第一次世界大戦。ナショナリズムはまだ黎明期。戦争協力への見返りとして登場。ホーチミン。帝国主義戦争。第二次世界大戦は民族解放戦線としての側面。東南アジア諸国での侵攻は複雑な側面が。反ファシズムの立場を。植民地解放を目指し、日本とも手を結ぶ。アウンサン。スカルノ。支配は長く続かない?ファシズム体制にも屈さないが、反ファシズムにもならない。ガンジー。大東亜戦争。宣伝スローガンとして強調。国防資源の確保。自活できるように。自存自衛の。独立支援と捉えられることのないように。ナショナリストを切り捨てられない。現地住民の応援は必要。43年以降、独立付与を。大東亜会議。大東亜外交。民族自主。重光葵などの外務省の思惑。独立には大きな制約が。共存共栄の大東亜共栄圏。あくまで日本の指導に服するもの。ナショナリストも限界があると認識するようになる。ビルマの独立、実質的には独立にあらず。45年3月の仏印処理。ベトミン。8月革命。自力への独立。インドネシア。45年7月に独立付与。スカルノ。急進的青年グループ。インドネシア人自身の独立を。8月17日。スカルノの独立宣言。大東亜共栄圏の経済的側面。最悪の植民地支配。重要国防資源の確保。宗主国との貿易構造が切断される。日本が独占的貿易国へ。経済力が脆弱。原料購入にも支障が。充分な工業製品の供給が出来ず。海上交通に支障が。どこでも深刻な物不足とインフレが。ベトナムの大飢饉。インドシナに日本が期待した最大の物質はコメ。大飢饉は北部に。外国ではあまり知られていない。92年から95年にかけて調査の実施。餓死者は村の人口の8%から58%まで。病死も含まれている?点しか調査出来ていない?飢餓の責任にも論争がある。45年3月まで統治していたFranceの責任では?

 

東南アジアの歴史 (放送大学教材)

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