F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

生命と政策、自己決定(福祉政策の課題第9回)

確かに自殺は個人の問題ではないのかもしれない。

 

人権の基本とも言える生命に関する権利。自己決定する権利。社会は?
生命権。不当に生命を奪われない。18世紀以前は、決して自明ではなかった。神による秩序。選択の余地は無いとされた。生命の権利についても神や王が。市民革命により生命の権利が。ギロチン。なるべく苦痛の少なくするように。以前は苦痛を与えることで生命を奪っていた。生命が危うくされることも。戦争。世界人権宣言。先進諸国では生命を奪わない為の施策が。乳幼児の死亡率を減らす。社会権、生存権。福祉政策。70年代以降は生命を終える時の問題が。人工中絶や尊厳死。死の選択における権利。自殺?心臓死か脳死か。死の選択肢。脳死という概念の登場。97年に臓器移植法の成立。
97年に成立した臓器移植法。死体からの摘出の法律。心臓や肺のような臓器は生体から移植する訳にはいかない。脳死体。脳幹を含む全脳機能の不可逆な停止。脳死は一律的に人の死とは言えない。本人の書面による意思表示があり、家族も同意する場合。死の選択肢が広がる。実際に脳死を選択した人は極一部。大半は心臓死。死を洗濯する。批判的な意見も。あまりに死を相対化している?目的により違うというのは手段としているという意見。09年の改正。脳死は一律に人の死ということになる。脳死者は数としては例外的。脳死は定着しているとは言えない。脳死否定の世論もない。選ぶという対象にはなりづらい。自分の死を心臓死とするか脳死とするか?運転免許証の裏面に記入出来るようになっている。私は脳死後心臓死後いずれも臓器を提供します。心臓死に限り臓器を提供します。臓器を提供しません。死に方を選択出来るように。本人意思。提供したいという人は徐々に増えてきている。改定後は本人の意思が不明の場合、家族が選択出来るようになる。臓器提供意思表示カード。脳死を一般の死とすることにはまだ馴染みが無い。長期脳死者の存在。身体が温かい。死体と言いうる?家族に重い負担。死を選択することの重みを。
安楽死、尊厳死の問題。安楽死の類型。積極的安楽死。間接的安楽死。苦痛緩和で死期が早まる。消極的安楽死。尊厳死とも言う。人の死を脳死と選択する。心臓死とするが脳死段階での移植を希望する。積極的安楽死と近い。肉体的苦痛。死期が迫っている。代替手段が無い。本人の意思表示がある。人の死を脳死と選択、尊厳死に近い。呼吸器を外すと心臓死に至る。延命治療の問題。脳死から心臓死に至るまでの延命措置の問題。脳死の位置づけは?死の選択に代わり有用な延命措置か無用な延命措置か?延命医療を望みますか?あくまで死期が迫っているのを想定。無用な延命医療を望まないのが多数に。脳死状態を治る見込みがないと同一視して良い?1年以上も生きている人が居る。無用な延命医療?本人と家族が決めること?自己決定といっても真空状態で生きている訳ではない。
延命医療の拒否、尊厳死は自殺ではないのだろうか?似たところはある。患者の自己決定権と云えども、死の権利を認めている訳ではない?死ぬことは決まっているので自殺では無い?自殺を認めるのは自己決定権の一部だが。自己決定して生きるのが出来ないから自殺をするのではないか?自立的生存で区切るのは難しい。毎年3万人以上が自殺する状態があった。健康日本21で自殺者対策に力を。国家的な自殺予防対策は21世紀までなかった。プライベートな問題なので介入できるとは考えられていなかった?戦前には親子心中に焦点をあてる考えも。自殺の背景に鬱病など精神疾患があるのが明らかになったから。データの蓄積。鬱病対策なら出来る、防げる。自殺者は本当に死にたいわけではなく、病気の為に生きるのと死ぬのとを。終末期医療の現場では自己決定が求められているが、自殺では自己決定が求められない。「自殺論」。誕生したばかりの社会学のテーマは自殺だった。社会病理として自殺を研究。統計を使ったのも画期的だった。自殺も自由になったのではなく、社会の状態がおかしくなっているのではないか?自殺は個人の問題ではなく社会の問題。不法に奪われるべきではない。尊厳ある死が。死への権利は各人にある?自殺を自己決定とするのは難しい。治療の選択の問題でもある。死の権利があるというふうに話されるべきではない。治療の選択の問題として論ずるべき。

 

福祉政策の課題―人権保障への道 (放送大学大学院教材)

福祉政策の課題―人権保障への道 (放送大学大学院教材)