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辛亥革命と「中国」の国家建設(東アジア近世近代史研究第11回)

世界史ではかなりいい加減なことしか教わっていない。確かに近世中国だけやるわけでもいかないと思うけれど。

 

川島真。朝鮮半島を巡って日本と清の。中国史の観点。日清戦争が転換点に。アヘン戦争以来の苦しい局面。近代国家の建設を。朝鮮半島を巡る葛藤。日本の力を。85年。それぞれが出兵を約して撤兵。94年に双方が出兵。実際には日清軍が到達していたが、朝鮮は撤兵を求める。日本は朝鮮の王宮に侵入する。日本は清の軍隊を先制攻撃。最終的には日本が圧倒。95年には講和に。軍隊を台湾に派遣。3月になると李鴻章が。講和の方向に。下関条約。重要。朝鮮の帰趨。遼東半島や台湾。日清関係も欧米との関係に準じる。清にとり大きい。あくまで冊封朝貢関係を止める。近代国家としての認識を。台湾の領有で植民地国家に。清は福建省を心配した。遼東半島。三国干渉。臥薪嘗胆。日本が賠償金を、金本位制に貢献。日本が清と不平等に。日本の勝利は清が弱っているという印象。日本が上回るという評価。明治維新の評価に。若手官僚では皇帝を中心に近代国家の動き。中国台湾の分岐。独自の近現代史に。切り離しの方向に。統治は簡単では無かった。武装抵抗を。沿岸部だけでも半年。山岳部は10年までかかる。台湾の統治。うまくいった?小学校教育は分けられた。優秀とされ学力を重ねても一定のポストしか得られない。なれない職業もあった。日本パスポート。中国では治外法権。台湾総督に強大な権限。法の面で台湾を尊重?日本人と台湾人を分ける。二重統治。法律が異なる。清は弱い?様々な建白書を。なかなか採用できないが。保守派は強かった。清の危機。列強による分割の危機感。96年には東北部をロシアが勢力圏に。鉄道など。ドイツは山東半島に。租借地を。ロシアは大連を。イギリスなどは海軍基地を。鉄道など。支配や内政干渉ではないが。利権を明け渡す絡みで。アフリカ分割とは違うが。分割されるというイメージを。ヨーロッパの社会進化論の提供。弱肉強食。危機感の中で康有為などが運動を。大きな力に。98年の戊戌変法。近代国家としての制度を整える。世界の国際環境に。しかし3ヶ月で挫折。百日維新。最終的にあまりに急進的。調整もなく同様を。西太后は止める方向に。内容は完全に無視された訳ではない。白紙に戻るが北京大学の前身は残る。義和団の乱。列強が多くの条約を。キリスト教の布教の自由化。農村部にも。中国の農村の疲弊、重税にも苦しむ。自衛集団。宣教師も治外法権に。重税に苦しむ農民には教会の庇護を求める人も。秩序を戻そうとする自衛集団として認知を。その1つが義和団。破壊を。列強は取締を求めるが。弾圧は清になかなかできない。袁世凱は山東半島を追い出す。北京などの方面に。賊として取り締まるか?結局義和団の見方に。清も8つの国に宣戦布告。結局は負ける。巨額の賠償を。本格的な近代国家になることを。列強の側も近代化を助けることに。列強の協調。駐兵権も。01年以降の清朝の最後の10年。近代国家を目指す。一元的統治を。藩部を省に。軍隊など。モンゴルなどに反発を。外モンゴルは北京から分離。近代国家を作る。多くの人が日本に留学を。学歴を官僚の条件に。多いときには1万人。日本から近代を学ぶ。女性が纏足をしていないなど。海外にも。中国の意識を。当時やっと中国としてのアイデンティティを。自分たちの国の歴史を。中国史概念の形成。義和団が終わってからもロシアは駐兵。日露戦争。清からみても日本を支援してロシアを排除する?最終的には日本は南満州の利権を。以後は必死に守る。清に限っていえば日本の勝利に勇気づけられた?孫文は讃えていない。東アジアでの日本の躍進。清は経済発展をするが改革という苦しい。財政問題。賠償を返すという重荷。立憲君主制の建設を。知識人は国会の開設を。君主の権限が焦点。10年後の国会開設を。内閣の生成。しかし満州人が圧倒的に多い。そんな立憲君主制は難しい?中央地方の関係。中央の権限を強める?間接統治から隅々の支配へ。しかし変化が急で地方からの反発。郷紳などの。鉄道の国有化。外国に企業を貸し出したり分け与えたり。反対運動が清朝を倒すきっかけに。国家社会間対決が辛亥革命の根幹。革命派と立憲派。立憲君主制が主導だが、清朝を倒す流れになってしまう。コンセンサスの形成。鉄道国有化反対運動。武器が流れて着火する。四川省で強く。10月10日の武昌蜂起。湖北省が自立する。多くの省が中央から自立を。地方は中央を聞けない。しかし軍隊は中央集権。武昌を奪回する。孫文が中国に返ってくる。12年1月1日に中華民国が。南京に。イギリスが斡旋して和議を。2月に清朝の解体。生活補助など。南北の合意。大統領は袁世凱が。版図としては広く、五族協和。あくまで北京に首都を置く方向に。中華民国北京政府。皇帝は殺されることもない。革命か禅譲か。新しい近代国家を。共和制の国家。皇帝制を無くすのは大きかった。袁世凱自身の国家構想は立憲君主制であったと考えられる。議会を抑制したいという意図。拮抗や葛藤がずっと中国につきまとう。蒋介石にしても共和制は疑問。中央集権か地方分権か。袁世凱は地方分権を想定していない。政治のマトリクスがあり、その上でどういう国家を作るか。組織自体は共和制。共和制では議会の第一党だと国民党は袁世凱を抑えられる。13年に宋教仁が暗殺される。リーダーが。金銭で議員が骨抜きに。第二革命を。13年になって夏に議会が開設。アメリカなどは承認。袁世凱はストロングマンとして認識。借款を。近代国家の形成を支える。政権には商売できるような環境を。袁世凱はパートナーになりうる。陸軍が背景。官僚層をそのまま引き継ぐ。清朝から軍隊と官僚を。全国支配もある程度できる。しかし第一次世界大戦で窮地に。
近代国家への転換。中国という意識。中華民国が出来上がり、立憲と革命などまとまらない状態。

 

東アジア近世近代史研究 (放送大学大学院教材)

東アジア近世近代史研究 (放送大学大学院教材)