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人間発達と初期環境(放送大学特別講義)

成長の可塑性についてはわからないことが多いのかもしれない。

 

藤永保。発達の援助をした在る客体事例の追跡研究。養育放棄から前例のないほどの発達遅滞に陥った子どもの奇跡の回復を。発達研究への教訓や示唆。
子どもの虐待。4つ。身体的、心理的、性的、過酷な虐待。消極的な虐待。養育放棄。心身両面における症状。タバコのやけど。養育放棄について、様々な発達の遅れ。救出されても後遺症が起こる。青年期になっても。母親の70%が自分も虐待の被害者だったと。世代を超えて同じ現象が。世代継承。後にまで長く残る。救出の後も長いケアが必要。このことはほとんど認識されていない。
救出された初め。70年代。小屋に1年10ヶ月閉じ込められていた、虐待遺棄。非常に大きく報道。当時の日本では在るまじきことと。満6歳と5歳。直接見てやってほしいと新聞記者から依頼。12月初めに会う。収容されていたのは乳児院。原則として満2歳未満。午睡から覚めた子どもたちが一室で遊んでいた。どの子供が当事者なのか見分けがつかなかった。救出のときは身長が80センチ、8キロ。1歳の水準。発語。姉が5,6語。弟はゼロ。弟は基本的身体語も理解できなかった。つかまり伝いが精一杯。知能指数と同様に暦年齢生活年齢で。発達指数。DQ。初期の知能指数としてIQと同様に。DQを算出すると発達は満1歳程度。DQは姉の方が17、弟の方が20。スピッツ。DQは45が遅滞の上限。この当時も今もFやGほどひどくはない。失った遅滞の3分の1しか取り戻せない。標準は100なので。83,80の遅れが。FとGの発達指数は45と47でしかない。臨界期説。白黒が決まる時期が。ほぼ一生自立は望めない。放っておくことは出来なかった。研究チームを作り、追跡研究を15年に亘って。発達遅滞の重篤さ。
子どもたちの重篤な発達遅滞の原因は?研究により養育遅滞が原因となることは知られていた。遺伝その他の他の要因が?それを突き止めるのが第一。生育状況を把握。聞き取り調査など。母子寮の寮長さんや担任、民生委員などから、生育状況を把握。家族状況。父は腕の良い職人。付き合いが悪く、臨時雇いのような仕事を。金が入るとお酒を飲む。一家困窮に陥ったのは父の性癖による。母は中学卒業で東京へ。反対を押し切って結婚。子供は出来たが、父が事件を起こして離婚して母子寮に。父親と知り合いになって再婚を。この時も強い反対を。2度の結婚の失敗。母親は再婚して年子のように子供が。女の子が6人と男の子は3人。1人が早期で亡くなる。連れ子2人は家を出る。大家族。子供6人。ミシンの内職で飢えを凌ぐ。食べ物が無いのでタニシを取って食べたりする。一家の窮状をみかねた民生委員が、生活保護が受けられるように。落ち着いた生活を。Eが産まれるまで小康を保つ。住み込みの寺。子どもたちは本堂の8畳に。FとGは殆ど養育を受けずに。3歳ころにはハイハイを。垂れ流し。民生委員が注意をしたら、廃材のプラスティックを拾い集めて囲いを作りFとGを隔離。養育放棄は、産まれた頃から殆ど何も出来なかった。抱いた覚えはないと。FGが2歳3歳の夏。養護学校に言っていた姉が帰省して滞在する。板の間に芋虫みたいに転がされていた。臭気が酷くなると2人の上から水を流して済ませる。お風呂に。戸外の小屋に。CとDが最低限の世話を。世話らしい世話をされずに生きる。家の中でも同じような扱いを。隔離された頃、父が生活保護を断り、生活は窮状に。1日1食に。極度の栄養不良に。お寺の裏に新しい事業所が。あまりにも異様な様子だと通報して救出される。近所の人も見て見ぬふり?成長を犠牲にして全ての資源を生存に。発達冬眠現象。1才児くらいで。前代未聞の発達遅滞。出生直後からの生育放棄。極度の栄養不良状態が。遺伝などの要因もあるかと不安。前後3回に専門医を。重度の遺伝病を疑わせるものは無かった。合指症。Gの方に手のひらの掌紋が1つしか無い。遺伝要因では無さそう。救出2年後の2度目の診断。顎のレントゲン。永久歯が全然写っていない。前代未聞。永久歯が永遠に生えない?乳歯が抜け始める。3度目の。冬眠仮説を考えるとすると、おかしくはないかもしれない。遺伝について。養子にいった妹I。発達遅滞だった。テストや調査を。小学校4年。IQは120から130。成績も良い。万事優れた数値を。素質的には優れたものをもっているのだろうと推定される。先天的ではなく重度の養育放棄。発達の冬眠現象。
発達の様子。その後奇跡的とも言える回復過程。養育は大変だと分かっていたので、チームをくんで養育のプログラムを。特別授業やプログラムの検討を。回復の経過。体が小さかったが身体発達や運動発達が良かった。発達初期には伸びが急速だが。子どもたちも初期の成長が早かった。やはり失速する。運動発達も順調。言語発達が難航。初めは自発的に語彙を習得。段々とFとGの差が大きくなる。言語教育に力を入れていたが難航する。読み書きも全然出来ない。大人になっても書き言葉は苦手なことも。姉の方が書き言葉を回復。知的な発達。身体発達と同じで初期の成長は目覚ましい。しかし頭打ちに。IQは80前後で。練習効果を考慮すると70ほど?2人も高い知能を持つ。定型とは異なる成長を。衝動の面。努力家でもあった。Alphabetを何冊も。高校になってから成績が上がった。卒業後、姉は母親のところに年ごとに帰省していたこともあって、母のところで就職を。情愛が。結婚して3人の子供を育てて成績も良い。順調に暮らしている。予言は全く当たらなかった。弟は色々問題があった。侵襲には弱い?中学校ではマラソンマンと言われチョコレートもたくさんもらった。寮でいじめに。非社会性が治らなかった。自衛隊に入隊。大型車両の免許を持って自活を。しかし不安定で転職を。今はやっと結婚して落ち着いている。
この事例が発達研究に示唆すること。人間発達の驚くべき可塑性や発達性。可能性を諦めてはならない。回復は生体の自己調節性を。成長資源を犠牲にして防衛や生存を。調節性を。発達遅滞の解釈を。弾力性や可塑性は負の状態からの回復を支える。正の状態からの、ではない。可塑性が非常に大きい。通常の生物学的な法則性を外れて起こるのではない。1才児からの発達過程。普通児と同じように繰り返している。遅れて成長が。12年位で成長が終わってしまった。超早熟型の成長を。経過は定型的なもの。永久歯。FGの優れた素質が回復に関与。成長の根底にある自然は大きい。成長には環境の回復が第一。成長ホルモン投与は有効ではないことを。親身な養育者の存在。信頼の獲得が大きな分かれ道を。初期発達の臨界期的特質。隔離中は様々な異常があっても。FGと養子に行ったI。素質を開花したとは言えない。5年にも及ぶ隔離は影響を残す。児童虐待の急増。