人(の行為)を赦すことは、長期的には人間の精神状態に良い効果を与えると、成功哲学の大抵の書籍には記されている。それは研究結果でも証明は為されていると考える学者も居る。しかし、自分或いは親しい人間に対し、死ぬようなことを為した人種については、赦すことは極めて難しい(だからこそ効果が大きいとは言えるが)。私も色々と酷い目にあったことはあるが、中学3年に揃いも揃って教師が地元の府立高校に進学するよう強要したのは、未だに赦すことは出来ない。学歴社会の是正の為だとは理解出来ていても、わざわざ私をいじめた人間と同じ高校に進学させるのは、人間としてどうかしていると何故に分からないか疑問である。高槻市の(他の地域でもあったようだけど)地元集中の闇は徹底的に明るみにすべきだと考える。被害者は莫大な規模になるだろうから。