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日本仏教の思想4 -道元と禅思想(日本仏教を捉え直す第5回)

日本史を習っていた頃は禅宗なんで無視していた(学会員であった影響もある)けれど、日本思想を語る上では必須と知った。

 

頼住光子。日本思想史上最高の思想家。道元。正法眼蔵。
禅宗。釈迦から口伝えで以心伝心。真理が師の心から弟子の心に。教外別伝。言葉の教えではなく真理の伝え。代々インドで、中国で。ただ中国による正統化?インドまでは遡らないと。禅那。リアーナを中国語に音写。非常に古い言葉。禅定。座禅瞑想により。座禅瞑想のインドの伝統。インダス文明まで。足を組んで座っていて座禅瞑想を。釈迦も受け継ぐ。釈迦が菩提樹のもとで悟りを成し遂げたのは禅定の成就。
道元の生涯。日本の近代の哲学者、座禅に打ち込んだ西田幾多郎。京都大学を退官する時に振り返って、生涯は極めて簡単。前半は黒板を前にして座した。黒板を後ろにして立った。道元の一生。真理を求めて、法を説いた、と。真理を体得。仏道を学んで、弟子たちに説いた。前半生と後半生の。上級貴族の家に。幼い頃に母をなくし無常を。14歳に比叡山に。建仁寺で禅を学ぶ。中国の宋に旅立つ。如浄に会う。出会った瞬間に互いを認め合い、仏教の何たるかを真髄を知らされる。正法眼蔵で、面所。直接的に向かい合うことで真理が。初めて出会った時に如浄は代々伝えてきた。摩訶迦葉に伝えた出来事と。長年の厳しい修行をして禅の境地を深める。最晩年の如浄は優れた僧であると見抜く。道元の方も仏教の真理が1人に。空であり縁起であると。空っぽではなくあらゆるものが関係の中で成立していて何らかの動かない本質があるわけではない、と。認識や体験の全ては空。あらゆるものが空でありつつそのものとして現象している。全ての拘りから解放される。仏道の修行は空を直感的に体得するのが目的。空の具現化。身心脱落により。空の成就。帰国後には道元は自分が師となり導く。1127年に帰国。普勧坐禅儀という書物を。座禅をする時は心の囚われや分別を捨てるべき。座禅の時は結跏趺坐、半跏趺坐に。姿勢から始まって息の出入りは鼻で自然に。唇も歯も合わせて。事細かに方法を説明。日本にも知らせて座禅で明らかになる真の仏法を。京都の深草に日本で初めての本格的な寺を。教化に努める。十数年の間指導をする。44歳で京都を去って波多野義重の領地があった越前国に下向。比叡山からの圧迫があった?道元自身は教えに従い俗世を離れる必要があったと。
正法眼蔵の現成公案。仏道を習うというは自己を習うなり。自己を忘れるなり。己事究明。自分が何であるかを追求する。仏教の持つ基本的な問。自分とは何なのか。名前や職業や国籍?答えはそのようなものに収まらない。自分というものは自明と思って生活している。改めて問うこともない。敢えて問うというのは、日常に収まらない何かを。何の不満もないはずなのに足りないと感じる。現代でもこの精神状態はある。日本の近代以前の語彙を使って、発心、と。辞書的な意味では菩提を得ようと仏門修行を。より広く。日常的な自明性では満足できない状態。意識的であろうとなかろうと問い直す。日常的な自明性の中にある自分ではない、そのような自分を求める。本当の自分、と言えるかもしれない。けれど、追求することは決まった答えを得ることではない。道元は自己を忘れることだと。更に道元の言葉を。自分を忘れることが己事究明である。自分を忘れるとは?自分に対する執着が無くなる。追い求めていた果てに、自分にはこだわらないという境地に。なぜ?万法に称せらるる。あらゆるものに悟る。自分は万物によって悟らせられるから執着がない。自己の信心、他己の信心をして。他人というのは単なる他ではなく、己と深い関係を持った他人。自己と他は密接に関わっている。自他一如。一体。他というのは山川草木、生きとし生けるものを全て含む。脱落させる。仏教の目指す悟りの別の言い方。一切の執着がなくなる。ありとあらゆる存在によって悟らせられる、互いに互いを成り立たせる形として存在。自分とはなにか、切り離された自分はない。自分だけをことさらに取り出す思考方向から解放されて、こだわりが消滅する。姿を変えつつ今この私としてたち現れているに過ぎない。心底執着が無くなる、解脱。煩悩の消滅による悟り。繋がり合い互いを支える。関係の中で成立する関係的な存在。独立自尊の排他的自己ではない、無我。空と。関係の中でそのものとして成立、縁起。空において、繋がり合いながらの行為。人は自分自身が真の自由を得る、他者も自由にできる。
首相一等。天台本覚論の修行不要論に飽き足りなかった。天台本覚論。修行は不要。本来的悟りを自覚するために修行が必要とする。首相一等。悟りと修行とを等しいものとして。両者の関係を修行により悟りを、という目的手段関係としない。修行して悟るという人間の過程では間違いではないが、本質的な意味においては首相一等と。
釈迦が悟った時に同時に成道した。自己と全世界の全存在はともに悟る。仏祖と自己との関係を通じて表現。仏祖が自己を基礎づけ自己が仏祖を基礎づける、時間は一方向ではない。修行する今があらゆる時間を支える。

 

日本仏教を捉え直す (放送大学教材)

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正法眼蔵入門 (角川ソフィア文庫)

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