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啓蒙ヨーロッパとアフリカ(アフリカ世界の歴史と文化第10回)

古い思想家への盲信は避けるべきであることは明確だと思う。

 

草光俊雄。北川勝彦。啓蒙ヨーロッパとアフリカ。啓蒙主義。18世紀の理性の時代。啓蒙の時代。昔の世界史。フランス革命やアメリカ独立を準備する民主主義や近代国家の新しい理念を。政治思想。啓蒙主義のアフリカへの態度。啓蒙思想と言っても思想家による違いもあるが。アフリカの立場で啓蒙思想を批判的に。科学的思考を。近代的民主主義の前提?近代国家の理念。啓蒙思想。アフリカからは非難的に。人種主義?同世代の目を借りて。近代的民主主義の前提?博物学。NaturalHistory。鉱物と植物動物。動物の中に人間が。自然世界の中で人間というものと人種というものがどのように考えられてきた?人類の進展の中で。民族なり人種なりが当時の人によりどのように考えられてきたか。啓蒙主義の時代。情報という知識というかの収集整理蓄積加工。百科事典。知の体系。知識情報の整理の仕方。博物学は人間のことを考えるだけでなく植物や鉱物の収集採集も。この時代に非常に活発になったのは植物学者が世界中でコレクションが。プラントハンター。スウェーデン人のリンネ。日本まで来ている人も。アフリカは何処に行くにも通過点。植物学や博物学とアフリカの関係は重要なテーマ。大航海時代を経て世界が見えてくるとヨーロッパ人は世界の再考を迫られる。Impactになったのは新しい世界での動植物をどのように位置づけるかを。奴隷制度への啓蒙主義の考え方。
チェンバロ。第5組曲の波。18世紀後半に出版された成果の百科全書。色々アフリカについての記述が。全体を理解するというより人種的関心が。黒人という項目。黒人たちがアメリカやカリブ海に奴隷として送られている記述も。キリスト教を教えられて神から救済される立場に。帳消しに?百科全書のある種の弱点。ダランデールとディドロが編集。ディドロ自身が百科全書で人類という項目を。人類には3種類の味方が。色と大きさ形と性格。色々と分類して整理。当時の重要な考え方。あらゆる場所を。環境決定論が多い。ディドロはアフリカ人についても記述。熱帯地域の。あまりにも日差しが強くて真っ黒に。中には混血も居るが。アフリカ人の特色。エチオピア人はオリーブ色でハンサム。真っ黒な人々も。アフリカ人の、黒人の描写。ステレオタイプな記述。容姿につき。客観的観察かもしれないが。アフリカ=黒人というイメージ。黒人の登場。ディドロに限ったわけではない。容姿の特徴が人間の資質を一緒くたにして。人類のヒエラルキーhierarchyが。差別的言説に変化したのがこの時期。人間を聖書の観点から。信仰の力を授かった神の子。動物の一部として人間を。科学的だがランク付けをする。植民地化になってくる。その芽があった。ディドロの次に法の精神を書いたモンテスキュー。三権分立。大変重要な貢献を。モンテスキューのアフリカ人観。未開人で野蛮人。儀礼もない。有り余る貴金属を。文明圏の人々は交渉に有利。良いものと思わせて高価に買わせる。民主主義を主張した思想家であるが。アフリカに対する蔑視や差別的言辞。無知なアフリカ人というイメージ。アフリカの奴隷制度については反対していて人道主義的面もあるが。同時代の一般的考え方のアフリカ人のイメージを内に持っていた。今の我々はなんだかんだと言えるが、一般的考え方から抜け出すのは難しかった。モンテスキュー以外にもフランスの啓蒙思想家。ルソー。ヴィルテール。イギリスに来て哲学書を。イギリスの政治制度を高く評価。フランスの奴隷貿易会社に投資して儲けようと思った。奴隷制度を容認。かなり矛盾の激しい。黒人を奴隷とすることを正当化。パプアニューギニア。奴隷狩りするというより、買う人間は悪くないという支離滅裂な。人道的な面もあるが、かなり啓蒙思想家の中でも目をつぶるというか。民主主義に黒人が存在しないと。イギリス史の観点。スコットランド啓蒙主義。フランスの啓蒙思想家も影響を受ける。ヒュームやアダム・スミス。人間本性論。黒人というのは白人に劣る?白人以外の民族には科学なども無い。産業も儀礼もない。ヒューム的な創意工夫に富む手工業者も存在しない。新しい社会を築き上げることも出来ない。18世紀というのは商業や製造業などで経済主導型の社会がヨーロッパで出来てくる。裕福な人がより裕福に。社会全体が豊かになり国民が幸せな生活を。啓蒙思想家に共通。商業社会や後の工業社会。豊かな社会を。一方で世界に色んな人達が居てどんどん出ていく。様々な観察を元に比較してヒュームの考え方に。ヒュームは人間を序列化。同じスコットランド啓蒙主義のアダム・スミス。物事の最も慣習的な形態は最も美しい。美しさについても異なる観念が。白い肌色。未開人を非難する時。中国の纏足。ヨーロッパの人間を色々違いによって差別していく、そのような言説を皮肉る。諸国民の富。道徳感情論。今日の社会学的人類学的。美しさに対する観念がところにより違うことを認める。非常な常識人。特殊なことで社会を判断しない。幅広い読書量。欲求の広さ。議論にも反映。
駆け足で啓蒙思想家の考え方を。ディドロやモンテスキューの考え方。博物学者たちの記述を読んだ上でアフリカ理解を。博物学のアフリカ。クープラの曲。博物学とアフリカ。南アフリカの植物園に行かれた。18世紀啓蒙主義から。18世紀に入ってエジプトの南部に関心を。イギリスで植物園が設立。その中でアフリカの植物に関心を持ち調査を。植物採集や動物採集。博物学は人間探究の学。医学と違い自然環境の中で人間を。近代博物学の中でも巨人。デュフォン伯爵。18世紀の博物学や数学。文体は人なり、という言葉を。アフリカ人について博物誌という書物の中で。旅行記を読んで描写。セネガル川の。愚かで何の天分も持たない。女性は美しさについて我々と同じ観点を。肌色は黒いので黒光るものを美しいとみなす。男性を求めるのに区別しない。最後の方はあまり科学的ではないが。基本的には環境決定論を。肌の色は気候で。鼻が低い。母親によるおんぶでそうなると。当時の人の分類の根拠が人類学的。差別的な方向に。居住する環境の結果による。フランスを頂点とする人類のhierarchyに。アフリカは上位に位置づけられない。リンネというスウェーデン人の博物学者。人類をホモサピエンスと。生物の分類の。自然の体系という書物。人類を4つに。アフリカ人について黒い肌などと描写。軽蔑的な差別的な。当時の人類を他の動物と同じカテゴリーで論じるのは宗教上難しかった。リンネは人を序列化することで。リンネの弟子は沢山。使徒と名付けられる。南アフリカに行ってそこで色々と研究を。スパルマン。先生のアフリカ差別的発言は受け入れられないと。英国の奴隷貿易廃止委員会の要請を。奴隷貿易に厳しい目を。バンクス。オーストラリアやニュージーランドをクック船長と共に。王立協会の会長に。アフリカ協会。ニジェール川の奥深くなどに。博物学植物学という科学が国の富に役立つと。

 

アフリカ世界の歴史と文化―ヨーロッパ世界との関わり (放送大学大学院教材)

アフリカ世界の歴史と文化―ヨーロッパ世界との関わり (放送大学大学院教材)

  • 作者:草光 俊雄,北川 勝彦
  • 出版社/メーカー: 放送大学教育振興会
  • 発売日: 2013/03/01
  • メディア: 単行本