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アフリカの独立とヨーロッパの対応(1) -第二次世界大戦~70年代-(アフリカ世界の歴史と文化第13回)

独立の過程は極端に言うと国ごとに違ってくるだろうと思う。勿論、共通する要素はあったと思うけれど。

 

北川勝彦。草光俊雄。アフリカの独立とEuropaの対応。第二次世界大戦から70年代。前回に植民地支配について。特にアフリカの独立とEuropa。独立過程。70年代まで。アフリカの独立の前夜、独立に至る動き。60年代に独立を。どのような問題について解決しようとしたか。第二次世界大戦はアフリカにとっても大きな問題。大戦中のアフリカの人々の考え方。42年3月。戦闘員に成るための訓練を受けていない。アフリカ人たちは自衛することが出来ないでいるので非常に危険。武器も持っていない。非人間的行為。アフリカ人の無権利が忠誠心を損ない国家の運命への無関心を生む。何のために戦わなければならないかと問うている。価値あるもの全ては白人の特権。危険は忍び寄っている。連合国の大義の為に戦っている。イデオロギーの戦い。独裁や民主主義に敵対する者へと。現在の南アフリカのAFC。代表者たちが自分の意見を。兵士への差別待遇。第二次世界大戦からの変動過程での動きを。Interview。四国学院大学のコーディネーター。スワヒリ語。ケニアの件。独立に向けての変動。第2次世界大戦中に生まれて。ケニアの独立に至るまでのこと。1番重要なことは?生まれは46年10月。記憶としては3歳の頃から、父とバスに乗って病院に。初めて音楽がかけられていたことを覚えている。今は危機の状態と。日本語ではつぼが割れてお粥が漏れてビルマ戦争からの帰りにケニアに着いて。1948年くらい。50年代に入りケニアでは独立の動きが。小学校に入ったのが53年。スコットランド教会による。江戸時代のお寺の寺子屋のようなもの。教会の小学校に入り54年に学校から帰り次男と一緒に帰る。白人の兵士が。しっかりしているスワヒリ語系のちゃんとした家。芝生があって。そこに入って乱暴な。水を渡す。蹴飛ばす。白人が文明人そのもの?すごくショック。その後は兄と。私に聞いたのは父は?隣の年配の小学校の上の女の子が走って。そうしなかったら灯油を持っていた。それを。それで助かった。そのことを時代の。植民地からの独立にも影響が。ホームガード。戦争が始まったが、白人側。裏切り者。ゲリラの為の。白人が一番うしろ。アイルランドの歴史の中にも出てくるが。反対側に。お父さんはホームガードになったから。弟はゲリラ。後は聞いたら殺されそうだった。何故なら怪しいと。挟まれている。殆どの人が頑張ろうと。解放への闘い。複雑な状況を。ゲリラの問題。第2次世界大戦中のアフリカの兵士がどのように納得させて戦ったか。戦争に参加する中で様々な植民地経験を共有する。アジアにビルマ戦線。大きな世界の転換点や危機。世界的な危機が起こっていると認識して帰国。大きな影響を。戦争が教育だった。戦争が終わった後、様々な社会変動の中で独立への動きが。マウマウ戦争。社会自体が大きく揺れ動く。イギリス軍の手先と成るか、家族が違った立場で。それに加えて独立の動きがエリート層だけでなく農民などの大衆にも。第1次世界大戦も重要だったが、その違い。アフリカ大陸の中で。西アフリカの。自分たちの認識を深める。アジアとの関係。アジアの中で有色人種のアジア人と。ビルマでは日本人の兵士と戦う。戦争への参加を広く考え直す。戦後の動き。いち早くインドの独立。アフリカ系のパンアフリカ会議に参加。国際的動きに巻き込まれながら認識していく。独立へ動きは植民地だけではなくEuropaの国の中にも植民地経営を続けるのかどうかを。
独立していく過程。60年代になって独立。その当時の課題。57年に独立したガーナの大統領の演説。エンクルマ。永遠に自由に。感謝を。気高く戦い勝利を。軍人たちは帝国主義から解放する事業を。今日から我々は精神を変えなければならない。自由で自立した人間として。困難な仕事が伴う。自らの闘いに挑む。黒人は自らの問題を。築く準備が出来ている。重要なのはアフリカ人のパーソナリティを作り出すこと。独立に当たり精神を。続いて当時のガーナの独立時の経験を持つ。留学中の学生との出会い。訪問時のエピソード。53年にアメリカに留学。社会学の先生が、将来はアフリカ世界が重要に。視野になかったアフリカを意識。インサイドアフリカという書物。58年に日本に帰ることに。コロンビア大学で聴講。留学生と食事などを。ガーナからの留学生も。自分の親に会ってくれと言われる。アフリカの中で独立が早い国。57年に独立したばかり。当時アフリカの学生は随分居て大きいImpactを与えようとして。ガーナの独立がアメリカの黒人差別を無くす契機になるのではと。アメリカにも身近な問題。ガーナに。最初の国として。ガーナについたら電話番号に。ホテルに父がやってきて国会副議長であると。重要なポジションで独立運動でも活躍。会ってぜひ議会を傍聴したいと。独立して1年目の。議会の熱気。イギリス方式で与党と野党が相対する形で。閣僚が最前列。野党の人の演説があって、ものすごいヤジを閣僚が。かなり政治も熱気を。当時のアフリカの独立についてエンクルマ。アメリカ人の思想の影響を。1国の独立ではなく他の独立にも。パンアフリカ主義。国民会議や人民会議など。アメリカに行ったときにガーナの独立祭に。ソ連との関係を疑われて行けなかった。世界的な思想の背景や大きな影響力。
脱植民地化。独立させる側にも大きな問題。負の遺産が突きつけられる。戦後のイギリスの3つのD。脱植民地化と逆工業化、産業の空洞化。権限移譲。世界との関わりでどのような枠組みを作っていくか。脱植民地化の過程。期待と現実のギャップが出てくる。

 

アフリカ世界の歴史と文化―ヨーロッパ世界との関わり (放送大学大学院教材)

アフリカ世界の歴史と文化―ヨーロッパ世界との関わり (放送大学大学院教材)

  • 作者:草光 俊雄,北川 勝彦
  • 出版社/メーカー: 放送大学教育振興会
  • 発売日: 2013/03/01
  • メディア: 単行本