家族というかライフサイクル上の問題について。異なるライフサイクルに居る人間と語り合うことが確かに少なくなっているとは思う。
大山泰宏。思春期青年期と家族のつながり。私たち個人にとっての家族。カウンセリングを受けにいったら決り文句として生育歴や家族関係についてほぼ確実に。家族とのかんけいというのが個人のあり方に強い影響を与えているから。直線的な影響だけではない。家族がこうだからという単純なものではない。もちろん直接的な影響もあるけれど。家族がたとえそうであっても自分はこのような生き方をしているという逆説的なつながりも。凄まじい家族との体験をした人もよくいる。自傷行為などがありそうでも健気に生きている人は多い。
家族がこうであったにも関わらず自分はこのように生きるという生き方を獲得したのに思春期青年期の影響は大きい。思春期に入ると客観化相対化して距離を取り始める。影響を受けた自分を客観視も。家族以外のロールモデルを。思春期に於いては家族との関係を作り直そうとする。友人関係などでも人格が作られる。新しい可能性を。尾崎豊の「15の夜」「17歳の地図」。15歳の思春期。大人世界への反発。17歳の青年期。大人たちの思いやあり方をどこかで理解して自分のあり方大人たちのあり方を俯瞰するように。親への反発ばかりでなく自分も主張する。心理的距離をしっかりとって自分も他者も理解する。家族からの影響を強く受けた自分を否定して家族を切り捨てることはこれまでの自分を否定することでもある。その側面を抱え持ったままなら幸せとは思えない。不幸を抱えたまま。本当に自由になれるのは家族からの影響を受けた自分を認めて、かつそれとは異なる自分に希望を持つ。反対のもの双方を持つことで成し遂げられる。恐らく他の心理学関連でも聞いているだろうがユングが心の補償作用を。人間には本来様々な性質がある。勤勉だったり怠け者だったり対極の様々な側面を持つ。それが人間本来の姿。社会生活を営む上で関係が決まりその一面を選び取る。ペルソナ。真面目で弱気だったり。選ばれなかった側面は無意識の中に深く眠っていく。本来様々な側面のあるものの一面を選び取る。社会の中で生きるのに必要。しかし極端になりすぎると心はバランスを失い選ばれなかった半面が出てきてしまう。勤勉だった人が博打に走り頑固になる。無意識から突然目覚めた生きられなかった自分の半面が極端に作用することもある。人生の後半部分、中年期になってから。自分が生きてきた半分と生きられなかった半分の両方を統合していくこと。対極することを結びつけて新しい自分を作ること。円熟した人格に繋がる。心の補償作用は個人だけでなく家族の中にも。子どもは思春期を迎えると親と反対の生き方をしようとする。親が真面目なら子は不真面目に。そのままではあまり幸せではないのも事実。反発を感じて毛嫌いをする。親の方もイライラしたり怒ったり、家族には諍いが絶えない。色々体験を積んで親の事情が分かると認める気持ちが出てくる。子どもはより自分自身を肯定的に生きることができるように。親の生き方を認めることができるように。親から影響を受ける自分を否定することで意義があった。親の生き方の反作用。自分の一部を否定しようとして必死に。もう一歩奥の方から自分自身を肯定することに繋がる。
青年期において子供の方から親のあり方を認めるのは難しい。子どもの方が変化しても親の方が変化しなかったり。親の方も生きられなかった一部を子が生きていることを認めなければ。親の側の変化。むしろ実際の場面では親が努力して変わることで子どもにも変化をするのがずっと多い。心理療法でも重要。親子並行面接。家族の成員の誰かが変化することが他の家族の変化にも繋がることが実に多い。家族の成員の誰かに変化が訪れる時期は他のメンバーにもライフサイクル上の変化が同時に求められる。子どもが思春期というライフサイクル上の大きな変化を。親の方は中年期の危機が訪れることが多い。同時に危機が。思春期の子どもに何らかの問題があり解決するには親自身がまさに自分自身のライフサイクル上のテーマに取り組まなければならない宿命や必然性がある。中井久夫先生。「サザエさん」について指摘。ちゃぶ台を囲んで和気あいあいと。しかし10年後には成立しない。5年後でも思春期に入り親への反発が。波平は退職してアイデンティティが揺れていて新たなものを。フネも含めて老後のことや自分の人生を閉じていくことを視野に。マスオさんは中間管理職となり仕事の負担が大きくなり帰りが遅くなる。サザエさんはタラちゃんが小学校に行きだすと自分の時間が増えて専業主婦とは違う人生を。5年後を考えると磯野家ではライフサイクル上の転換点を、危機に直面する。今の家族の姿とは違い、10年後には大きく変化。若者のライフサイクル上の危機を考えるときには家族も危機に直面していることを避けて通れない。思いの外繋がりの強い家族。あり方は社会や時代の影響を受ける。そもそも現在のような血縁での繋がりをもとにする家族は近代になってから。プロテスタントの理想を。そうでない家族。昔の家族関係は複雑。文化や宗教が異なれば家族の構成は異なる。現代の日本の家族のあり方は数十年前とは違う。父母の世代や祖父母の世代とは大きく違う。変化はそれぞれの家族の心のあり方、ライフサイクル上のテーマの変化に。核家族。珍しいことではない。思春期青年期の子どもを持つ世帯に限定しても子供の数が減っているので昔よりも家族の人数は減っている。祖父母が比較的近い場所に住んでいることが案外多いが、二世帯住宅など生活空間を同じくしていることは減っている。家族の人数がひとり減ると繋がりのパターンは劇的に減少する。2人しか居ないと1通り。3人だと3通り。2対1の関係を含めると更に多い。成員が減っていくことは家族の繋がりのパターンは減少する。家族が持つ関係の豊かさの現象を。色んな家族関係のパターンがあると、一つがうまくいかなくても他でカバーできる。少ないと逃げ場が無くなる。成員と上手くいかなくなった時にフォローできる人間が居ない。InternetやSNS。かつてはTVが登場した時に家族関係の変化が議論された。家族の会話が無くなるなど。TVの出現で変わった側面はあるが、コミュニケーションが少なくなるより皆で同じものを見るので対話が増えたりも。SNSは?スマホを中心としたPersonal端末で。同じものを見ることは少ない。TVの向こう側の情報はマスメディアを通して。日常生活とは別。今ではSNSを通して見るのは日常や現実そのもの。友人関係が常に入り家族そっちのけに。一昔前の父親が仕事の対応に追われた状況とパラレル。家族とのやり取りでSNSを通して。言いにくいことを伝えることが多い。言いにくいことをSNSで言ったとしても対面での関係の改善に繋がるかは難しい。
家族のつながりのあり方の変化。他にも影響を与える要因が。平均寿命が飛躍的に伸びたこと。おとなになるまでに学ぶことが飛躍的に増える。子どもが思春期になっても大人がまだ青年期に。まだまだ探索の途上に。親の世代は随分若々しく。フネさんは50歳の設定だが、今の同世代とは違う。京塚昌子さんの肝っ玉母さん。今では母親は若々しく。娘と同じ服を。天才バカボンのパパは41歳。今の41歳はゲームに夢中だったりする。ライフサイクル上の問題は世代継承性。自分がやってきたことを譲り渡して子の世代に。今では対応関係がずれていて。親の方も自らのアイデンティティの問題に。世代間境界が薄くなる。親世代と子ども世代に心理的性格が異なる。家族が機能する前提。父母が緊密に繋がりあって子どもに対応、親世代として機能しないと子も育てられない。世代間境界が明確になるのは祖父母世代と孫親世代の間に境界が。祖父母が親と孫の親役割を兼ねているケースが多くなった。親は仕事や自分の興味関心に熱中。孫は祖父母に反抗する。親は自分のことを分かってくれる。親はスマホやInternetを使いこなしていて祖父母は頭ごなしに否定する。親と祖父母の親子関係がしっくりいかない場合は、一緒に祖父母の悪口を。祖父母世代の受難。亀の甲より年の功。知恵を得ることであった。ユングの元型。賢い老人。人類に普遍的で多くの文化の神話に。上昇志向が強い若者を諌める若者。達人である老人のイメージ。そうした老人たちは世界の秘密をよく知っていて語ってくれる。若者が試練を経て到達する目標で。若者を導く。物語にも多い。現在では老賢者になるのは難しくなっている。変化が速く知識量が増大している現代では次々と新しいことを。超高齢化社会で老人が珍しくなくなった。古来稀なり。8割以上の人が70歳に。ありふれた存在に。少ないときは古老を皆が知っていてしっかり生きることが目標であり理想であった。老人の話を多くの若者が聴く。若者が少なくなり老人が多くなると語る機会が少なくなる。今や自分のことを語ることができなくなっている。本来なら人間は自分の足跡を物語ることで自分の人生の尊さを感じることが出来たけれど。老賢者になるのは難しくなっている。高齢者が多くなると若者と高齢者との接点が少なくなっている。老人だけのコミュニティが拠り所に。少数の労働者人口が支える。老健施設が多く。支援者と被支援者の福祉のテーマにすり替えられる。近所の繋がりや家族など異なるライフサイクル上の人間が語り合うことが少なくなっている。祖父母世代の受難。祖父母世代こそ思春期青年期が希望を持って生きることを支えられるのではと。自殺率の高さが深刻。世界的に見ても稀な現象。現代の若者が希望を失っている。若者たちの閉塞した状態。変えていく鍵を持つのは祖父母世代。