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現代家族と児童虐待(家族問題と家族支援第12回)

短絡的なマスゴミの報道が虐待を育てている側面があると知る。

 

下夷美幸。現代家族と児童虐待。親による子どもの虐待。虐待問題の実情と対策。統計や法令、虐待対策。児童虐待の問題状況を。児童虐待で死亡した事例。現代の家族状況や社会との関わりで。一つの事例を掘り下げて社会問題として扱う視点。親が抱える個人的問題もあるが、過程を見ると現代社会が生み出す問題であると。10年の7月の大阪市で。離婚後に2人の子どもを餓死させる。23歳の母親。風俗業の寮。置き去りに。想像を絶する。夜通し遊んだり男性宅に泊まったり。非難の的に。地裁の判決では背景に育児に疲れた心身を癒す場が他になかったと。母親が忘れたいがために。放置して餓死させた母親の行為は許されないが、この事件については自分がそうなってもおかしくはなかったと。様々な要素を含む事例。児童虐待の取材をしている杉山春さんに話を聞く。「ルポ虐待」で伝える。事件に至るまでの実情や関係者の心情について。
母親が逮捕されて警察で面談。夫の家は何度か訪ねていて会ってくれる。子どもに親切にしてくれてありがとうと。表情は乏しく入ってもらいたくない笑顔を。ものすごく報道が厳しい。遊び回っていると。しっかりした印象。母親がどのような経緯で。母親の子供の頃から結婚まで。両親が離婚。別居を既にしていて5歳で母親に。育児放棄。小学生では夫側に。優秀な子どもだったが。中学になってから荒れはじめる。性被害にも。東京の高校に進学。地元に戻り飲食店に。大学生との間に子どもを。アルバイトの大学生と出会い夏休みに妊娠が判明。結婚は認められ出産する。本人はママになりたかったと裁判で。心理鑑定をした先生からは自分の過酷な経験をやり直したい経験を欲していると。夫と出産まで一緒に暮らし子ども。出産後。完璧な子育てを。子育て教室や乳幼児健診や育児サークルの活動に。下の子どもを出産するときに上の子どもを預かってもらう。布おむつにこだわる。blogにもアップ。一緒にTVを見て。夫の弁当も。お姑獲さんとの関係も良好。夫の仕事も随分手伝っていた。何もかも隅々まで。過剰適応。借金があったが誰にも言わなかった。消費者金融に。相談をすると良い妻と思ってもらえない。周囲の人もよくやっていると。被害者家族として夫とお姑獲。一生刑務所にと証言するが当時はしっかり見えていた。夫は子どもを風呂に入れたり。お姑獲さんは様子を見に来てくれておかずも。周囲の手助けはあったと思われる。自分の実家からの手助けはあまりなかった。家族の一体感はなかった。離婚への経緯。2人目の子どもが産まれてから。過剰に適応して壊れてしまう。4ヶ月後に浮気が始まり他の男性と一緒に過ごす。心理鑑定によれば解離性の人格障害の中で良い人格が一定以上続くと良くないことが。子どもが一人だけなら完璧でも2人では手が回らない。中学時代から病理性が。その場から居なくなる。その中で浮気が。夫は注意しているが妻は変わらず家族会議を。自分は子どもを育てられないと最初は言う。しかし雰囲気で自分かが引き取ると言い出してしまう。場の雰囲気が母親が一緒に居たほうが良いと。それに反抗できず。夫は裁判の中で自分が引き取った方が良いと思ったが母の主張で。その場で居なかった実母が手伝って子育てをすると決まってしまう。養育費の支払は一切話し合わずルールも決まらなかった。1日の話し合いで離婚に決まるのがバランス悪い。離婚会議で誓約書が控訴審で。子どもは育てて借金は返す、しっかり働くなどの内容。その場で書かされた模様。小さい頃から守られない中で育つ。出会ってみると自分の意見を決めてはっきり言うことが難しい。中学生から嘘をついたり逃げたり。助けを求められない。SOSを出せない価値観が。全てが母親の責任という価値観が刷り込まれる。養育費について権利があると知らない。借金の問題。一審では子供らの将来を第一に話し合われたとは思えず遠因であると。母親一人が責任を持たされるのは過酷。離婚後事件に至るまでの子育て。母親は実母のところに行き数日は過ごすが頼れないと。窓口で児童扶養手当の手続きを。書類は足りないと言われそれっきり行かず。役所の窓口での手続きの力も乏しかった。担当者は児童扶養手当は結構な金額に。20数万円になる。不思議に思ったと。それ以上探さず。その後名古屋のキャバクラに移動。寮がつく。30万くらい入る?環境が変わるとよく熱を出して思い通りに出勤が出来ない。たった一人で面倒を見る。思い通りにならない。仲間の女性が助けたりする。3ヶ月位で別のお店に。そのときに子どもがアパートの外に。警察に通報され児童相談所に連絡も行くがそれに対し必要がないと言ってしまう。警察側は通告したと。児相は否定。虐待とは考えず。行政の手から漏れる。この時点で行政に繋がっていれば。愛知県や名古屋市では月10万の支援が出来た。知っていても繋がらず?支援の手から落ちる。2歳と7ヶ月で名古屋に。1歳の誕生日に夫の実家から連絡があると思ったが誰からもなかった。誰にも助けてもらえないと感じる。恋人は生きる宛を探す。1週間後に新しい恋人の元に。同じことを繰り返す。当初は仲間の中に手伝ってくれる人が居て施設の相談もしていた。その後に友達が携帯代を貸していたが返せない。友達からも逃げる。取材をした当時には自我が弱まっている女性が。正しく出来ず姿を隠してしまうことを繰り返す。弱みを周囲には見せないで伝わらない。元夫や男性には写メを送り続ける。アピールをして安心して支援に繋がらない。一度インフルエンザにかかったというSOSを出しているが突然だと断られる。母親が拒否してそれでも心配なので行動することをしなかった。親族だけではなく行政も。更に探すことが出来ない。母親はSOSを出して良いということを教えてもらえていない。離婚会議の誓約書もあって子育ては母親がするものと刷り込まれる。孤立化すると新しい制度など情報や価値観が見えない。行政も含めて。母親の孤立化に。
事件から何を?00年の名古屋市の事件。10年のこの事件。14年のトラック運転手の事件。3つの事件を取材して本に。子どもを死なせてしまった事件では厳しい報道が。実際には親たちは社会的に孤立をしていて親族や行政から守られず。SOSを出せない。こういった人の生育歴は。幼い頃から守ってくれる人がいない。過酷な子供時代を。自分たちには生きる権利や人権があることが教えられない。母親が育てるべきだと刷り込み。社会の中でもCMやドラマなど家族は何があっても子どもを守るべきだなどの価値観が刷り込まれる。日本で離婚が増えるのが00年前後のアジア通貨危機から。家庭の崩壊。シングルの家族が。リーマンショックの前後から子どもの貧困が。家族を守れない社会に。子育てには支援が必要。お金と時間、人手。経済状況が悪化して就労環境も変化。90年頃に離婚すると正社員になれ参観日には休みが取れる。非正規就労でないと就労できない艦橋に。それでも子育てには責任を。06年の教育基本法改定。第一義的責任を。16年の児童福祉法の改定。児童の保護者は健やかに育成するのに第一義的責任を。零れ落ちる人たちが。行政にも家族にも頼れない。SOSを出せない。格差社会が更に広がると上層部の人には子育てできない人が見えない。語れない。3つの事件はどれも母親たちが10代で出産を。二十歳すぎで。仕事をして稼いでそれから出産するのではなく。70年代に性別役割分業の家庭が。資源が必要だがお金以外のケアの部分を。家族の形は壊れやすい。母親は家族になることで未来を。しかし社会の状況は違う。女性の社会参加が適切に出来て発言権があることが大事。子どもの権利は法律で保障されん最善の利益を。そのためには社会が制度を作ることが必要。児童虐待が起こると親にバッシングを。児相が警察的に介入。もっと子育てがしやすいように。ペナルティではなく。つながっても良いことを。気軽に言える社会が必要。
大阪の事件は2人の子どもが失われる。事件に至るまでの経緯を。精神的病理を抱えていた。考えるべきことは、虐待が世代を超えて繰り返されないよう充分なケアが出来るかの社会の問題。母親個人の生い立ちや病理だけでなく、現代社会が孕む問題が見えてくる。幼い子供が虐待の対象に。孤立している家庭が目立つ。若くて就労経験が無く両立も難しい。養育費もない。地域や親族と繋がりがない。生活基盤が脆弱で孤立。危険。社会は親の責任という考え方が根付く。親にも内面化。助けを求められない。社会がしっかりと下支えすることが必要。まずは子育て家庭の経済状況を安定させ援助することが必要。不安のない生活を保障するのは社会の責務。皆に子どもを育てる責任を。近代家族規範から脱する必要がある。家族内で大事にされる一方で固定化。性別役割分業で子育ては母親の責任も。今なお母親の責任という考えが根強い。親のライフスタイルを認めながら社会の基盤を充実させて虐待対策を。

 

 

 

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日本の家族と戸籍: なぜ「夫婦と未婚の子」単位なのか
 
養育費政策にみる国家と家族―母子世帯の社会学

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