F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

ひとり親家庭と生活支援(生活変動と社会福祉第5回)

平等であるべき出産という人間最初の時点でのイベントで、苦しんでいる人が多い。さらなる支援が出来ないだろうか。

 

ひとり親家庭。生活の実態を把握することは難しい。あまり繋がりたくない人。支援に関わりたくない人、日本語が母語でない人。放置することは子供の成長を阻害し、死に繋がる。毎年多くの子供が死亡。可能な限り予防的、申告になる前に支援を。子供は母親により産まれる。できれば母と子が一緒に暮らせるように。婦人保護施設。売春防止法による。母子生活支援施設。市民として生きていくための支援を。支援の枠にはめこまれていた女性が。
16年6月まで婦人保護施設を。妊娠出産の時期。妊産婦に特化した。どうやって繋げていくか。女性たちの暮らし。どんな支援が。一人で出産を迎えなければならない女性とその子供を支援。赤ちゃんの父親が父親としての役割を果たせていない、それに加えて親族も頼れない。小さい頃から虐待を受けたり、社会的養護の中で育ったり。色々な形で役所の窓口に。飛び込み出産。戻る自宅の無い人達。婦人相談員。もっと過酷な。病院外出産。墜落出産。命の危険の中でようやく助かって。慈愛寮。婦人保護施設。生きている母と子を、生きることを保障する。ようやくの思いで慈愛寮に繋がる人たち。その様子を。よくぞ辿り着いてくれたと思う人ばかり。支援者にしてみればもっと早く繋がっていてほしかったという。知的障害や発達障害。障害者の支援に繋がらない。発達障害の知見が充分でない時期に育てられた母親、育児でノイローゼになり虐待を受ける。知的障害の支援に繋がっていない人も少なくない。親に精神疾患があるなど。DV被害を受けていて色んなところに逃げる、不登校や転校。成長されてからも障害者としての支援が受けられない。性的搾取を受けやすい。慈愛寮に来るという決断。色んな支援を受けて良いはずだった人たちが支援に繋がらなかった。児童福祉の中で支援に肯定感を持てなかったことも。里親で不調など安心したい生活を暮らせない。支援を受けることに対し、SOSを発することを考えられない。支援を受けても良いことがない。自分ひとりでなんとかするしかないと思う。生活保護世帯や母子世帯で差別感を。支援を受けるスティグマ。人に頼らないでやることに自分のプライドが。自分の能力以上に頑張って生きる。妊娠出産の自分一人ではどうしようもない事態に直面。日本の児童福祉や母性保護。生きるか死ぬかのところまで頑張り通す。子供を殺すか母子心中に。貧困の連鎖。訪れてくる女性たちが元々の原家族の中で子供生活を保障されなかった。地域社会で子供期に肯定感を持てない、そんな連鎖。慈愛寮で。ケアの施設だからできること。濃密な支援を得られる生活空間の中で初めて見せてくれる顔もある。産前産後の時期に支援を受ける。ようやく支援に繋げて衣食住を何とか確保、人生のターニングポイントに。心細くて育児をするのに手助けを、関係性を確保する。ひいては社会に繋がる。地域の中で保育園に連れて行くなど。産前産後の時期に手厚く支援されること。母親の半生の中での心的外傷の回復に繋がる。苦しさから抜け出して回復の道のキッカケに。守るものが出来たことの喜びと張り合い。当たり前の生活を繰り返すことによる回復。色んな人達の支援者の手助けや他の母親との交流や助け合い。虐待されてきた方は特に子供に対する違和感が。育てられるだろうかという不安。赤ちゃんという存在を受け止める恐れ。生活を積み重ねることで変わっていく。段々に感じていける。相談をすることや困り事について話すことは始めは出来ない。施設型支援の中でやりやすいのは生活局面の他愛もない話から顔を覗かせるから。言葉であったり非言語的メッセージであったり。深く受け止めていく。共感を伝え合うことを重ねる。この人には言っても大丈夫かな、と感じて語り始める。理解し合えるコミュニケーションが。子どもたちや若者。地域で暮らす。一緒に食事を作って食べる。生活の主体じゃなかったのが、主体としての暮らしを取り戻す。生活の主体を取り戻すのは大変だが重要。自分にとってはつまらないと思っていたり。好きだったことにも気が付かない。自分がどういう眼で周囲の人から見られてきたか。アンテナを立てなければ生きていけない。それでは生活の主体にはなりえない。Aさんは子育てという点で緊張が高い。お母さんとして見られていること、良い母でなければならないと一番思っている。接し方に緊張が高い。AさんにAさん自身に関心を寄せて話を。楽しいオシャベリ。話が素敵と言ってもらえる。書き留めてみれば?詩を書くことを始める。色んな言葉を考えている内に嬉しいことが満ちてくる。嫌だと思っていた子育てのこと。降っていた不安の雨がいつの間にか陽に変わった。一人の女性であるAさん。信頼できる他者に。暴力を受けていたがエンパワーメントが心の中に。ひとり親の問題は難しい。子育てをする母親。母親自身の子供期をどう取り返していくか。支援にとり大変。育てている時の共感する力と生活していく力。短期間に身につけられるものではない。地域の人々、行政や市民の力を借りながら生きていく。繋いでいく。それが難しい。生活まるごと、施設だから見える。性虐待を受けてきた人たちが後遺症のように引きずっている。生活の生き辛さに。普通は見えづらい。部屋を訪ねて一緒に子育てを。無理してお布団を畳む。段々に心を許せるようになると、夜遅くには転がって布団も敷かずに寝ていることを。自分は布団に寝ていると怖い。実の父親が忍び込んできた、だから自分は布団が怖い。性虐待。更にお風呂で虐待を受けた人も。単に布団を敷けとか清潔にとか言わない。出来ないことには理由がある。地域でどのように理解してもらえるか。ハードルが高い。施設としてのアフターケア。地域で出来るケア。これからどのように繋げるか。慈愛寮では6、7ヶ月過ごして、実家のように戻って来られる場所に。ご飯を一緒に食べたり、正月に家族で過ごせるような雰囲気に。子育て支援の無い人には月1度の訪問を。地域の支援に繋げる。地域の支援は場合によっては濃い支援が必要。どういった支援が必要か。地域によって支援メニューもマチマチ。格差がある。支援者の姿勢によって感じ取り拒否的になってしまう。支援メニューに繋がらない。お母さんたちは一人前の親でありたい。駄目なところは見せたくないという恐れ。上手くいった例。保育園に入れそう。起きられなくて休ませたりするとどうしようという心配をポロッと。言っちゃっていい。相談員の方は適切なSOSの出し方と評価してくれる。送り迎えの支援も。やってあげたいことがいつも出来るわけではない。代わりは出来る。出来るか出来ないかで評価をされないで、やってあげたいことを。メニューを並べるだけではなくて。大切なソーシャルワーク。子供と一緒にどうやって生きるか。声に出すことが出来て受け止めてもらえる。そうやって地域の支援を受けるというやり方。繋げ方は色々なところ。
実践や研究にフィードバック。自己責任論に取り込まれている。共感は深まりづらい。隠そうとする母親、見える化するのは難しい。生活の困難さへの人権侵害。しっかり話を聞いてもらえることで自分の言葉が。寄り添って一緒に考え実行する。生きていくという実感を。子供を産むということについての支援を。社会福祉関係者は、既存の支援に不足するところがあれば挑戦を。

 

生活変動と社会福祉―福祉研究の道標 (放送大学大学院教材)

生活変動と社会福祉―福祉研究の道標 (放送大学大学院教材)