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少年非行の歴史的推移(司法・犯罪心理学第3回)

ベクトルが弱者に向けられているのは対象にとってはかなりしんどいものがある。強者ならまだ対策も取れるのかもしれないけれど。

 

廣井亮一。少年非行の歴史的推移。およそ70年間の少年非行の概観。時代を映し出す鏡。家族学校社会が浮き上がる。離婚虐待DVなど家族の紛争などには夫婦関係や親子関係、男女関係の歪が。少年非行の歴史的推移により83年と00年に大きな変化が。前後の非行犯罪と非行集団。
犯罪社会学の立場から。社会関係に即した。45年から60年までの民主化時代。80年までの高度成長時代。90年までの管理社会化時代。高度情報化時代。03年から現代までのネット社会化時代。犯罪社会学の立場からは少年犯罪が変わり始めたのは80年代から。00年代に至ると人間関係が変化。55年までを戦後家族モデルの形成期。安定期。98年から05年の解体期。それ以降を家族の迷走期と。噴出したのは90年代後半。75年から80年代の変化。90年代後半から05年までの変容。家裁調査官として関わった臨床実践を元に。第1の転換点が83年。家族と社会の変容に因る第2の転換点が00年。非行の特質と形態の移り変わり。戦後から現代までの10歳以上の少年刑法犯の推移。4つの波により推移。ピークの前後10年から15年を切り取ると特徴が浮かび上がる。
45年から59年ころ。貧困型非行、生活型非行。社会背景として家庭の7割が低所得層。両親が健在なのは半数以下。経済的動機。兄弟の人数は多く年長少年、中間少年、年少少年。その年長少年が親代わりになり非行を。わかりやすい。
60年から75年。反抗型非行。高度経済成長社会に。64年の新幹線の営業開始とオリンピック。お金と物が価値観に。遊ぶためのものを盗む。若者文化としてカミナリ族が。大学生の学生紛争。76年から89年まで。学校型非行。遊び型非行。経済低成長やバブルなど経済の変動。自然破壊で里山で遊べなくなり窃盗に。大学紛争が高校生に波及。中学生により対教師暴力が。83年を迎える。転換点。中学生の校内暴力のピーク。戦後最大の多発。大学生高校生中学生の反抗。権力者や権威者の強い力にぶつかる。反抗して様々な問題を起こすことで生きにくさを訴える信号を。家庭裁判所に来る非行少年も火災調査官に反抗する者が多かった。更生へのエネルギーに転嫁する方法を。軽微な事件からの段階的プロセス。問題行動や非行の各段階で児童相談所などで様々な関わりや援助で未然に防止。80年代に管理型社会に。青少年の反抗を力で。83年を境に非行少年に顕著な変化が。弱者に対するいじめが問題に。83年を第1の転換点とする少年非行の変化は攻撃性の質的な変容。83年までの反抗は強者にストレートにぶつかる攻撃性のベクトルが。管理された結果、弱者に対する歪んた攻撃性に。83年はファミコンが登場してIT文化の魁に。強者への反抗。父親反抗。精神科医のなだいなだ。「権威と権力」。言うことを聞かせる原理、聞く原理。子どもたちに言うことを聞かせることが父権。サザエさんちの波平お父さん。子どもたちは自主的に言うことを聞く。戦後から現代にかけての家族の変遷。サザエさんちが昭和40年代まで。ちびまる子ちゃんの家。50年代から60年代。企業戦士が父権を。クレヨンしんちゃんち。父親が消滅してお友達家族に。父性が無くなり。現代の家族にも影響。しつけと称して暴力を振るう家庭が急増。
90年から99年まで。完全失業率の増加。先が見えない。従来の価値観の転換に。極普通の少年が凶悪事件を。いきなり型非行。良い子の非行。非行歴が全くなくとても従順。日常生活と非行に大きなギャップが。何故起こしたのかわからない。学校ではいじめが深刻になり自殺事件や他殺事件が。96年頃から学級崩壊が問題に。自分と異質なものに対し激しい攻撃性を。ホームレスや親父狩り。14歳による神戸連続児童殺傷事件。酒鬼薔薇聖斗。予兆するかのような声明文。家庭裁判所調査官研修所は検証結果を報告。3タイプに。幼少期から問題行動を頻発。表面上は問題性がなかった。思春期に大きな挫折を。2番目。表面上問題がないようにしていた。3番目。志望校に進学できなかったことやスポーツの全国大会に進めなかったなど。追い詰められた心理。現実的問題解決力の乏しさ。自己イメージの悪さ。歪んだ男性性への憧れ。00年の大きな転換点につながる。00年はネット社会に移行した年。社会的営みによるコミュニケーションの世界からネット空間に変質。社会は先の見えない構造的不況や自殺者の多さ。離婚率が高くなり機能不全に。社会の歪に対して緩衝地帯になるべき家族の機能が低下して少年にダイレクトに。01年にDV防止法などが、歪に法律が介入。09年までをネット型非行。netに因る非行に移行。00年に大学生に携帯電話が。ネット媒体が普及。子どもたちに最も必要な人間関係の体感を失わせる。00年に西鉄高速バス事件など17歳前後の少年が凶悪事件を。無目的な殺害動機や不特定多数に対する動機を。04年に11歳女児による同級生刺殺事件が。低年齢化。少年法改正が。10年から19年。生徒間暴力型非行。文部科学省の10年度の問題調査。小中高で6万件以上。生徒間が3万件以上。子どもたちの暴力は83年前後にも多発したが、この頃の矛先は弱者へのいじめなどの暴力。子どものいじめ問題を13年にいじめ防止対策推進法。親や教師の監視事項に。netでの陰湿ないじめに。人は死んでも生き返る。同級生殺害事件。加害女児が被害者が生き返るようなことを言った。意識調査。死んだ人が生き返るというのが小学生の14%。中学2年生が18%。理由は様々だが。全国で聞き取り調査を。多くなる要因。3世代同居の家族の減少。人の死を実感させる大きな出来事が。農村より都市が。身体は滅んでも心がよみがえる。テレビゲームネットゲームの影響。殺し合いのゲームを持つのが3割。非常に悪い影響。ネット依存症は前頭葉を萎縮させるとも言われる。
非行少年と非行集団に焦点を。家裁調査官時代に関わった非行少年について。対教師暴力が頻繁だった頃の少年。ガラスが全て割られていた中学校。少年Aは番長をしていて市内の番長ブループを率いていた。学ランを着ていて教師に暴力を。女性の教師や弱い者いじめをしなかった。体育祭でズボンに手を入れているのを注意されて頭づきを。家裁調査官の前でものけぞっていた。睨み返して。繰り返して正面からぶつかるとポツポツと不満を。拙い言葉だがいろんな思いを。理解できて信頼してくれた。助言と指導に従いながら中学校を卒業するまでに立ち直り進学した。多くの非行少年は親や教師に反抗したりしてネガティブな表現を。家裁でも攻撃性を。エネルギーを更生への。00年の非行少年の例。B少年は進学校の高校1年生。動物虐待を繰り返して送致される。中学生まで成績優秀で素直な良い子と。強引に勧められた私学高校に進学して以来勉強もやらなくなる。親を避けて夏休みに自宅を抜け出して動物虐待を。制服を着て家裁に。調査では素直に受け答えを。気持ちが伴っていない。抑え込むような苛立ち。棘のある質問を投げかけるが跳ね返そうとしなかった。酒を飲んで暴れて大怪我をさせて逮捕され少年院送致に。非行少年の特徴は素直な良い子が突然に残虐な行為に。あたかも犯罪でネガティブな面を。あからさまな反抗をせず期待を裏切ったり約束を守らなかったりと受動的な攻撃性を。強者に向けられていた攻撃性が弱者や異質なものに対し陰湿な攻撃に。net世界に鳴りさらに変容。受動攻撃性。受動的な攻撃性。攻撃衝動が生じた場合に何らかの形で表現されるが、過剰に抑圧されると受身的な形で。上位者に対しては主張しなくなる。良い子を演じたりする。明確に表現されない敵意の反映。満足できない憤怒の表現。受動的攻撃を際立たせて端的にしたのがnetを介したいじめ。net型いじめ。誹謗中傷して他社を激しく攻撃。生身の相手と向き合わなくても致命傷をなしうる。屈折した凶悪事件の可能性が。
非行集団の変質。ピラミッド型のヒエラルキー。それに応じて位置と役割が。番長のリーダーの元で統制。行き過ぎを抑えて弱者いじめはなかった。指導するときもリーダーサブリーダーを介すると他のメンバーにも。アメーバー上の組織。ひとりひとりの役割が不明確で自他がはっきりしない。集団内の関係は希薄。メンバーに煽られやすく抑制がきかなくて重大犯罪に。1人がホームレスを蹴飛ばすとほかも追随して死なせてしまう。どこにアプローチしても難しい。暴走族と構成員。グループ数。暴走族の構成員数は82年をピークとして4分の1以下に。96年から02年については増加しているが、少人数のグループが乱立。傾向は実際のメンバーによるグループと言うより単発的な走りが。

 

家裁調査官が見た現代の非行と家族:司法臨床の現場から
 
法と心理学への招待

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司法臨床入門(第2版): 家裁調査官のアプローチ

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  • 作者:廣井亮一
  • 発売日: 2012/09/20
  • メディア: 単行本