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モンテーニュ「エセー」(世界文学の古典を読む第12回)

旅から離れがちな日々だけど、「エセー」を読みながら列車に乗るのも良いかもしれない。

 

横山安由美。モンテーニュ「エセー」。モンテーニュの時代。1533年に産まれ1952年に亡くなる。15世紀までを中世と。16世紀はルネサンス。再生。フランス史。古代ギリシアやローマ。原典を直接読み解く。キリスト教的価値観から人間中心の。ユマニスム。人文主義と訳。16世紀には社会が変動。ルネサンスの三大発明の印刷術。情報が加速度的に。手書きから。火薬により剣から大規模化慢性化。羅針盤で遠洋航海が可能に。植民地支配のきっかけになり政治地図が変動。多くの異質なものから情報を持ち帰る。ラテン語の。中世風のグローバリゼーション。異なる大陸に進出。メンタリティ。未知なるものへの好奇心。遠洋への冒険が現実に。他者への眼差しや精神の柔軟性が必要に。モンテーニュ「エセー」。今回だけは脱線して旅がどのように扱われていたか。
生涯。ワインの産地のボルドー近くのお金持ちの家庭。高い水準の教育。70年に辞職して文章を。塔が残っている。何者にも邪魔されないから仕事が捗る?モンテーニュは70年ころから「エセー」を死ぬまで。岩波文庫訳。白水社の宮下志朗のほうが分かりやすい。自由に書き連ねる。初版を刊行する際に。随筆は人気。日常の思いを自由に。主観が共感をもたらす。
エセーは何を試みる?判断力や能力。中にある生来の能力。手探りでよろめいたりしながらでないと進まない。遠くの土地がぼんやりとしか。判断という行為は人に付きまとう。自分の知的能力の試し。心もとない。自分を冷徹に観察。限界を知ろうとする。他人からの認識には本質的意味がない。知ることと同様、疑うことも気持ちが良い。懐疑主義。思い込みから離れ全てを疑う。私は何を知っているか。知らないかも。間違っているかも。認識に懐疑。自分の理性の判断で真理を。
1492年にアメリカに到達。新大陸。風習。戦勝の印に首を飾る。肉片を食べる。野蛮な習慣?理性の法則に照らし合わせるのはともかく、自分自身は無理。凌駕している。彼らはあくまで高潔。特効を求める以外の動機づけはない。領土ではない。自然の豊かさに恵まれている。必要な物は全て自然から。幸福な状態に未だある。それ以外は全て余計。領土を広げるために戦争をするのが野蛮。
寛容さとも繋がる。フランスは旧教と新教が争う。バルテルミーの祝日の虐殺事件。異なる主義主張を持つものに自分と同じ尊重を。文明と野蛮の二項対立。ヨーロッパ的でないのは野蛮。徹底した相対主義と内省へ。20世紀のレヴィ・ストロースも影響を。野性の証明。未開とされる者の思考は野生の思考。現在にも生きている。いかなる地域においても動物的状況を脱したばかり。本能に支配されっぱなし。情意に支配される意識でもない。
判断を狂わせるのが習慣。習慣について。人を食べる習慣など。産まれた女児を殺すなど。どれほど珍奇な習慣でも慣れてしまう。野生の力。習慣だからと続ける不条理なものを。
旅について。週間という観点から言うと新しい習慣との出会い。認識が絶えず問われる。実際の旅程を。地図。ボルドーの高等法院のときからあちこちに。80年からの旅。81年まで17ヶ月。Parisから東へ。スイスドイツイタリアと。1日で馬で。知人を集めて政治談義を、名所を。旅の主題は18世紀後半に発見された旅日記から。雑多なメモ書きで文学的価値に乏しいが風景描写を含む。人物や物体の光景が意識化。中世の山や海は危険の場で障害でしか無かったが、18世紀のルソーが恋人と離れて山に来た人間を描く。ゲーテなどに影響して風景描写が流行。風景の発見は18世紀後半だが、16世紀に自然への感覚を。ローマ北部の旅。小さい町。丘陵が連なる。オリーブの木々が。背の高い山々が、あらゆる種類の果実が。この土地の美に感銘。風景美。人間的。行動などに意味があるのではなく、感じるであろうものを書き留める。認識が世界を作るということに気づいていた。腎臓結石の持病で激しい痛みを。療養も目的の一つ。何故度に?虚しさについて。皮肉めいた。旅の考察。目的に対する答え。フランス語の朗読も。何から逃げたいのかはよく分かるが何を求めているのかは分からない。逃げたいものはたくさんあった。家長としての雑事から。旅に出れば。政情が不安定で嘆かずに済む。新規なものや未知のものを渇望する。見知らぬ土地を歩くことそのものを目的に。道を間違えたりすることもありえない気ままな旅。他のフランス人は習慣に反するものに腹を立てる。村から一歩出ただけで自分では無くなる?ハンガリーで同国人にあったらいきなり意気投合する。習慣を野蛮だと。フランス式でなければ。承知の内で悪口を言うのはマシ。帰ってくるために出かける人間が多い。自分の国の流儀に固執する。旅行の矛盾。利用するツアー旅行。現地の人と接触も無く。モンテーニュは国毎の違いを楽しむ。ドイツ。イタリア。自由闊達に感想を。何にでも順応。食事。どれも同じこと。全ては我が家にいるほど同じで快適。柔軟な人間。旅行は有益な訓練。精神は未知のものや新規のものを見つけ修練を。人生には新しい習慣が様々であることを。性質が多彩なものを実感する。学習の場。精神を鍛える。子どもの教育について。小さい自分から外国に。外国の人の気質に触れて脳みそを。ボルドー市長の公的生活。旅の経験は多くの素材に。大きく成長させる。
旅は体力を消耗させる。新しい環境への適応など。苦労は尽きない。旅とは人生の縮図。人生の時間が距離に変換。旅の楽しみは心の揺らぎや不安定さそのものに。支配的特質。堂々と変化を楽しむ。その日の終わりが旅の終わり。人生の終わりも。旅立つことは死ぬことに似たり、ということわざ。危険に満ちでモノを考える時間がたっぷりある。持病を持っていたので死について考える。家族と離れて安心して死ねない?死は絶え間なくゴツく。何処で死んでも同じ。選べるのなら馬上で。家族や財産への執着は弱く自由人だった。セネカの影響。ストア派に共感。死に恐れないものを学ぶ。生と死。死は刹那的。わざわざ説法することではない。死の準備に身構えているだけ。一度のことを失敗するのは虚しいもの。歩くために歩く。一人で死ぬことは不幸ではない。道端の草木に目を留められないのは問題。もっと近くに置かないと。近いと言うなら11里ではどうか。一歩ずつ増やすとどうなるか。目に見えるものに執着しがちだが物理的距離で不可能なものは多くない。考え方の問題。自分自身の殻に閉じこもっている。ソクラテスは世界人と答えた。豊かで広大な想像力。全世界を自分のものに。足元しか見ないのとは異なる。スケールが大きい発想を真似る。全ての人間が自分の同胞と。ソクラテスは国外追放を死の宣告より辛いと。そこまでは耄碌していない。あまりで崇高かつ非凡。尊敬するのは難しい。あまりに情けない気質。旅を毛嫌いしていた。訴えられて死刑宣告を受け服毒死。亡命も出来たし賄賂を渡して逃亡することは出来たが。哲学者の姿は通常は美化。モンテーニュはソクラテスが頭でっかちと。モンテーニュにとり古代の作家たちはお手本ではあるが絶対的規範でしか無い。楽しみの対象。聖杯探索。何を求めているかは分かるが何処に行けばよいかは分からない。中世社会はローカルなものは価値を持ちづらかった。16世紀はいわば虚構としての普遍の行き詰まりを。自分の力で外に。スコラ学から離れてルネサンスの知識人は古代のドグマに置き換えただけになったのは何故?「フランスルネサンスの文明」。本質的に田舎の人間であり屋外の人間であり吹きさらしの人間。空間を征服したい。世界それ自体を広める。モンテーニュは沢山の比喩を。なぜ旅の比喩を使ったか。認識が感覚を通した身体的な行為であり限界を測りなら歩く道筋。書くことも同じ。縦横無尽につなげて脱線が大変多く読みづらいが文体そのものが彼の思考。かしこまって通しで読むのではなくパラパラと。抽象的で退屈?本質を射抜いている。経験に照らし合わせて。モンテーニュは決して才気走る人ではなく弱い人間だった。不具合を抱えていたがそれも洞察の対象に。大乱の時代に生き残るにはしたたかな人間に。相当な無理を伴う。自分の繊細さを許す。人間洞察と生き方の探究を。モラリスト。フランス文学の本流を。パスカルなど。源泉となったルネサンスの旅人たちは各所を放浪し思想を作る。死は生の終わりだが目的ではない。

 

世界文学の古典を読む (放送大学教材)

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モンテーニュ 人生を旅するための7章 (岩波新書)

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エセー 6冊セット (岩波文庫)

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エセー1

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モンテーニュ エセー抄 新装版

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