「大衆運動」と「利益団体政治」との違いは、現実には重なることもあるかも。
-----講義録始め------
高畠さんが提唱した「生活者市民」という概念の重要性について触れたいと思います。この概念は、私にとって非常に重要だと感じています。彼がこの概念を提示した背景には、1980年代終わりから90年代の時代があり、それは冷戦の終わりや東欧圏の政治変動といった世界史の背景と深く関連しています。高畠さんが見たのは、政治の中心に日常生活の問題の解決や市民生活の幸福追求が位置する傾向です。これは東側だけでなく西側でも見られる世界的な動きとして理解されています。
彼は大衆運動と利益団体政治の違いを強調しており、これらが伝統的な政治のメインストリームであったのに対し、新しい「生活者、市民の政治」はそれらから一歩距離を置きつつ公共的な影響力を獲得する努力をしていると捉えています。これは実際に一部現実として起こっているものの、部分的には彼の理想とも言えるものです。
高畠さんの問題意識は、民主主義の空洞化への懸念に根ざしています。多数決のみを重視する民主主義は、実質的な問題の解決から逸れ、形式的な問題に焦点を当てることで、市民からの幻滅を招く可能性があると彼は指摘しています。そうした背景の中で、実質的な問題解決能力を持つ民主的な政治をどう維持するかが彼の主な関心事でした。
また、彼には「生活の豊かさ」というものが生活者市民の政治を可能にする鍵だという洞察がありました。これは高度経済成長期からバブル期にかけての日本の経済背景と関連しています。しかしその議論は一部制約も持ち合わせていると感じますが、私はそれが非常に重要な問題であると考えています。
「生活者政治」という概念は、女性の社会参加を強く意識させるものとして特徴づけられます。そして、それは女性だけでなく、さまざまな人々にとっての解放された政治を検討する際の重要な考え方であり、アマチュアが政治にどのように関与するかという視点も持っています。この考え方は、民主主義の質を向上させる方法としても捉えることができます。
最後に、生活者、市民という概念は、伝統的な政治概念を超えるものとして、また市民概念の開放性を最大化する方法として、私は非常に有効だと感じています。