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#市民自治再考 〜グローバリゼーションとネオリベラリズムの交差点 市民自治の知識と実践第1回(その7) #放送大学講義録

同じ理論でも、失われた30年の前と後とでは位置づけが違うだろう。

 

------講義録始め------

 

さて、ここまで松下と高畠という2人の市民自治論を見てきました。学問というものは、手元にある議論から始めて確認するのが普通です。しかし、彼らの時代と現在とでは異なります。現代において市民自治の概念を使う際には、その変遷を考慮した修正が必要です。具体的には、彼らの議論は戦後民主主義からバブル経済までの背景が大部分を占めていました。しかしその後、失われた20年、あるいは30年とも称される時期が続き、この変化を考慮する必要があると感じます。ここで、社会科学的に見て重要だと思われる2つの論点、すなわちグローバリゼーションとネオリベラリズムを取り上げ、市民自治の現代的な意味を考察したいと思います。

まず、グローバリゼーションとは、テクノロジーの急速な進展や情報の移動の加速といった要因によって、国や地域を超えた関係性が強化され、特に経済や金融の領域で劇的な変化が見られる現象です。これにより、多くの「光と影」が見られるようになりました。光としては、国際的な協力や連帯の可能性が広がり、例えば、災害時にSNSを通じて世界中に助けを求めることが容易になるなど、市民自身にとっての利点が増大しています。しかし、国家統治の観点から見ると、グローバリゼーションは国家の力を相対的に弱める側面も持っており、これは市民自治の期待を高める要因とも言えるかもしれません。もちろん、他にも多くのポジティブな側面が存在しますが、これは代表的な例として挙げられます。