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#高畠通敏先生の市民論:60〜90年代市民運動の進化と課題 市民自治の知識と実践第1回(その5) #放送大学講義録

市民運動は権力との距離の取り方が難しいと思う。

 

--------講義録始め-------

 

次に、政治学者、高畠通敏先生についてお話しします。1933年生まれの高畠先生は、2004年に亡くなりました。松下先生とは同世代であり、お二人の政治学の方法論は異なるものの、同じ時代背景のもとで政治問題を研究しました。特に、市民というキーワードにおいては共通点が見受けられます。彼らは市民という言葉を、大衆社会や都市化の進行と関連付けて捉えていました。

大衆は受動的な存在とされがちですが、能動的な人間像として「市民」という言葉が使われるようになったのは、60年代の特徴として理解できます。70年代には、高畠先生は市民運動の第2期として、中央政府に対する抵抗運動から地域に密着した運動への変化を指摘しています。地域レベルでの自発的な問題解決や公共的利益の追求、例えば、生活環境保護や保育所、食品問題、地域の祭りなどが注目されるようになったのです。

高畠先生はこの時代の市民を「生活者市民」と呼び、これは西洋の政治組織を研究する者にとって興味深い概念です。伝統的に「生活者」は私的領域、一方「市民」は公的領域を指す言葉でしたが、この時代にはそれらが融合したアイデンティティが形成されたのです。

90年代に入ると、高畠先生は市民運動の第3期を認識します。特定非営利活動促進法、通称NPO法が登場しましたが、法律の背後には実践が存在し、その法制化が更なる実践を促進するという循環があると彼は指摘します。ただし、市民政治の影響力が強まると、既存の政治との関係や結びつきが深まり、取り込まれる危険性もあると彼は警告しています。市民自治は理想的である一方、具体的な問題を解決する際には様々な責任が生じ、新しい政治が古い政治と同じ道を辿る可能性もあると高畠先生は指摘しています。そして、そのような事態を理解し、適切に対応することが重要であると彼は強調しています。