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いじめ変遷!文部省の定義と被害者保護(司法・犯罪心理学第4回その2)#放送大学講義録

 

 

-----講義録始め------

 

いじめは以前から問題になっていたことですが、1970年代頃までのいじめの多くは個人対個人によるものでした。
例えば、大きなジャイアンがひなのび太をいじめるようないじめっ子といじめられっ子はわかりやすく、その対応も比較的早く取ることができました。
ところが、前回の少年非行で説明したように、校内暴力などの問題行動を力で押さえつけた1983年頃から、飛行の数は減りましたが、子どもたちの攻撃性は沈みました。
いじめも、1人の子供を複数で影でたぶるような陰湿ないじめが多くなりました。
その頃からいじめが社会問題になり、1985年(昭和60年)に当時の文部省がいじめの実態や指導状況について全国調査を開始しました。
その際の文部省のいじめの定義は次の通りです。
自分よりも弱いものに対して一方的に身体的、心理的な攻撃を継続的に加え、相手方が深刻な苦痛を感じているもの、また、学校としてその事実を把握しているものでした。
その後も、1986年(昭和61年)に学校で葬式ごっこ自殺事件、1993年(平成5年)に山形マット事件など、深刻ないじめ事件が起きました。
そして、1995年(平成7年)に、文部省はいじめの定義を次のように変更しました。
学校の内外を問わず、いじめの判断は表面的、形式的ではなく、いじめられている子の立場で行うとしました。
被害者の保護を強く打ち出したのです。