F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

聖教新聞の一面TOP。

私の家には聖教新聞が朝のポストに入っていることは書いた(なお購読料は払っていないがどうなのだろう)。一昨日と昨日はTVで箱根駅伝を観ていた方も多い(視聴率の平均は30%以上だそうだ)けど、創価大学がTOPを走り続けると予想していた人間は1人も居ないのではないか。今年最初に入った聖教新聞も一面TOPの扱いである(なお新年号は年内にポストに入る)。

f:id:F-name:20210104123254j:image

何気なくTVを観ていると駅伝は見続けてしまう。中毒性がある(私にとって)。最後は駒澤大学に抜かされたけど2位は大健闘と言える。何しろ20年に初めてシード権を獲得したような大学なので。マスコミもさすがにケチをつけることはしていない模様。まあこれで創価学会の退潮がまマシになるかは疑問だけど。なおコース沿いで応援していた人は18万人居たと言う(どうやって測定したのだろう)。無人の荒野を走るのも選手には大変だけど、まさかこんなに沢山の人が(要請にもかかわらず)応援に出るとは。感染拡大に繋がりかねない。沿道自体はともかく、出てくる過程で密な空間は通るだろうし。

中国近世の士大夫政治と皇帝専制政治(東アジアの近世近代史研究第4回)

なぜヨーロッパみたいに産業革命が起こらなかったかの説明には欠けるところがある。そもそも政治とどれほど関係があるかどうかだけど。

 

夫馬進。士大夫政治。皇帝専制政治。中国近世の士大夫という階級。政治に何を?皇帝専制政治とは?明を建国した洪武帝。宦官政治と内閣政治。
士大夫。宋代の説明で。読書人とも言う?元々は天子や諸侯に仕える。支配層。宋代になると読書人にも。知識人による政治。儒教的な教養を。君子は器ならず。社会のリーダーとして相応しい。器。使いみちが決まっている道具。理想的な知識人は狭い分野の技術人であってはならない。かつての中国では、法律に詳しいことは全く尊重されなかった。高大王が相手となった者にも。中国古典を自由自在に扱っていた。それが士大夫。中国古典で武装した知識人。教養の有る人々。勉強したら聖人にもなれると。宋代以降の士大夫。甚だしい欲得主義者の面が。青春を投げ売って科挙に挑んだ理由。科挙を通らなければまともに生きていけない。朱子。理想主義者、理想の政治を。受験勉強は一時期のこと。仮のことと考えて我慢を。志が高ければ乗り切れる。割切ること?矛盾の解決は非常に困難に。理想を追いながら政治闘争が。新法党と旧法党。財政難で誰が犠牲になるか?契丹が強大になり、軍事に巨額の支出を。11世紀中頃。錚々たる政治家。士大夫たちは自分たちが政治を担うべきだと議論を。范仲淹。天下の憂いに先んじて憂う。理想主義と政治の気概。遼と西夏。しかし士大夫だけで政治をするのはあり得ない。最も問題となったのは青苗法。貧民救済策。農村の苦しい時期について、国庫から低い金利で貸し出すもの。労役があまりに重く農民たちは貧困に。青苗法が実施されれば高利貸しとしての利得を失う。地主などの既得権益を侵す。支持する集団を新法党、反対した集団を旧法党という。綺麗事の話ではなく。新法党についた者も損得勘定を。旧法党。文言泊。陳倉。大切なことの。士大夫は皇帝とともに庶民を支配。王安石。士大夫の利益は庶民のそれではない。進士となった40%は庶民だったが。士大夫政治は皇帝の権力を大きく制限すること。文言泊の口答からも。士大夫こそが皇帝を教育し理想を実現すべきと。士大夫が政治を行うべき。このような気概は次にみる専制政治の後は見られなくなる。17世紀後半になって、理想の士大夫政治を語ることに。
洪武帝。皇帝独裁政治。宋代以降はしばしば皇帝独裁政治の時代とされる。洪武帝の政治は自然な進化ではない。意図的に進めたもの。政治制度から外航制度まで大改革を。専制政治もその一環。モンゴル族による中国支配。しかし個性も大きく反映。朱元璋。貧しい農民の出身、飢餓状態にも。各分野で大きく刷新。朱元璋。庶民の生まれ、飢饉にも直面。若い時に黄巾の族という反乱集団にも参加。白蓮教徒?少なくとも弥勒の世を夢想したのでは。一種のユートピア。士大夫や官僚を全く信用せず、努めて排除し庶民と繋がる。次々と処刑する。官僚の無力化。粛清は度々行なわれた。庶民の代表として。官僚を直訴させる。3年から5年の周期で大きな粛清が。見せしめに殺害する。精力絶倫。官僚や知識人にとり行きづらい時代。知識人が官僚になりたがらなくなる。粛清されたくない。明代はじめのには庶民の出身者が多かった。知識人はなりたがらず。靖難の変から180年もの間官僚になっていはいけないと。官僚などから土地を没収して貧しい農民に与える。均田制を復活したのではなく、国家が名目上の地主に。形式的には国家の小作人に。実質的には自作農。官田と呼び民田と区別。粛清により悪事に手を染めないようにする。資産調査は10年毎に。貧富の差の拡大を防ぐ工夫が。宋代の王安石との比較。比較を絶するほど過激であり絶対的。士大夫は居ない。洪武帝は庶民や農民と直接繋がろうとする。悪人がいて処罰した。訴えた者には褒美を。実例。洪武帝が庶民に対して我が民と呼びかける。洪武帝の政策。漢の劉邦のマネ?洪武帝のやったことは、時代と隔絶したところが多い。特定の過去への復古策であったとは考えづらい。地主制を前提。大明律の作成。時代の変化と理想が盛られたもの。賦役黄冊の。独創的なもの。商工業は尊ばれる。必要最小限に。貧富の差を生まないための防御策。海禁政策に連動する政策。対朝鮮政策。一種のパーソナリティによるもの。
内閣政治と宦官政治。洪武帝の政治は典型的な専制政治。中書省まで廃止。何でも皇帝1人で決済する必要あり?精力絶倫にして可能。次の永楽帝。内閣制度で補佐。宦官を皇帝の影として。士大夫や軍人をスパイ。政府の取次を行う。内閣が成長して政治を。宦官も権力を握る。出来ないので内閣と宦官を。万暦帝の時。宦官も権力を。正徳帝。皇帝が変われば、内閣も宦官も殺された、専制政治が産んだ双生児。正徳帝と嘉靖帝。内閣は奴隷の姿を思わせる。士大夫も方なし。誰ひとりとして制御できず。同じ士大夫でありながら皇帝や宦官の奴隷に。清代は満州族が圧倒的多数を占める。緊張感をもって統治が。暗愚な皇帝は一人もいないとされる。内閣政治や宦官政治はなかった。軍機処が置かれた以外に目立った変化はない。清の末期まで変わらず。新しい政治思想を生み出す。名大砲録。1663年の序文。中国のルソー。人類の太古の時代にはめいめい自分のことを考え自己の利益を図り公共の損害があっても除去することがなかった。天下の人に損害から免えさせる。苦労ばかりが多くてあえてやらないことをやるのは本来の皇帝。高葬儀。万民のために政治をやるべき。士大夫政治を更に理想化したもの。名開放録。理想に対しては高い評価が。士大夫政治と皇帝専制政治からは、別の評価が可能。名大砲録。激しい地方官批判が。士大夫の二面性に対し考察が見られない。なぜ宋代の士大夫政治が失敗に終わったかの考察が欠けている。啓蒙思想が入ってくる。

 

東アジア近世近代史研究 (放送大学大学院教材)

東アジア近世近代史研究 (放送大学大学院教材)

 

 

非難。

「貧困の犯罪化」と言われる概念がある。経済状態なんて人それぞれなのに、何故に犯罪と見做すのかと疑問に思われるだろう。しかし貧困になるのは個人の責任だという自己責任論が社会の根底にあるという考えは、一般に膾炙するものではないかと思う。となると貧困の状態が非難されるようになる。そうなると犯罪の一種と捉えられることにも繋がりかねない。私は2000年の前後に大阪市内の商業施設で警備業務をしていたが、ホームレスの排除をしてもらえないかとテナントの従業員から頻繁に連絡が入った。もちろん単に歩いているだけでは排除する訳にもいかないけれど、ゴミ箱を漁ったりする行為を取り上げて追い出したりすることは頻繁にしていた。ある意味ではこれも「貧困の犯罪化」の一環と言うことが出来る。心の痛みを感じながら仕事をしていたのを今でもよく覚えている。

誰も知らない?巨大空母「信濃」。

昨日のentryでは、旧海軍の巨大戦艦2隻(のドキュメンタリー)について書いた。

 

それで今日の朝にまたNHK-BSを眺めていると(しかし時間の浪費になりかねないが)、今度は巨大空母「信濃」についてのドキュメンタリー番組を放映していた。ひらがなではなく漢字なので旧海軍の話。しかも旧国名(現在の長野県)が冠されているので、元々は戦艦として建造されていた軍艦である。ところが建造中の1942年6月にミッドウェー海戦で空母4隻を喪失し、それが理由で戦艦から空母に改修が為されることに(もはや艦隊決戦の時代ではないのもあったのだろう)。横須賀の巨大ドックで第110号艦として建造されていたが「信濃」と命名されて10月5日に進水式が行なわれた。それからも建造工事が続けられていた(通常は完成するまで軍艦の場合は1年以上はかかるそうだ)が、横須賀に敵機が来襲するようになり、呉まで回航することになった。それで夜中に敵潜水艦からの魚雷4本が命中した。そもそも排水システムも最新鋭のものを備えているのだから、設計通りなら耐えられた筈である。ところが工事中だったので排水ハッチがケーブルで閉められなかったり仮に閉めても海水が漏れたり(通常は気密試験がクリアーされてから外洋に出るのだが時間敵余裕は無かった)で、結局は海の藻屑になってしまった。運も無かったのだろうが、そもそも回航すること自体が無謀なことであったと考える。

それにしても建造地の横須賀でも「信濃」を知らない方が殆どだとインタビューであったけど、旧乗組員の方々もあまり知られたくないと口々に話されていたのは衝撃的だった。米軍を利すると上層部は考えたのか、呉近くの島に1ヶ月近く生き残りの信濃の乗組員は幽閉されていて、箝口令が敷かれたという話である。

心理療法の器(2)(臨床心理面接特論(1)第4回)

内と外とのバランスが大事なのは心理療法に限らず日頃のコミュニケーションにおいても必要だと感じた。

 

日常的な空間と時間との差。非日常的な自由にして保護された空間。クライアントに対する深い理解を。自由を保障するために。ただ巻き込まれるのではなく。原初的な不安を受け止め包み隠して。器としてのセラピスト。
クライアントの自己治癒力。セラピストの役割との関係。心理療法の根本はクライアント頼っている。山中康裕。医学における治療と医師の役割との比較。近代医学。症状を訴えると病因を弱体化して治癒に至る。基底においては回復傾向、免疫力が前提だが、伝染病の克服、キニーネによりマラリアの克服。援助の中で治癒するというより治癒させるというモデル。患者の個性を超えて高い普遍性を。医師と患者の関係。受動的で従順であることが。東洋医学。もっと患者の全体が大切になる。鍼治療。体全体が刺激されて健康に向かうというモデル。西洋医学においても患者の意思の尊重が。リハビリ治療。患者自身の意思が大切。患者中心リハビリテーションの概念が導入。生活習慣病。患者が習慣を修正。看護の世界。疾病を中心にするのではなく患者をケアするのが大切。治療中心でなく患者中心の看護哲学。医学の世界においても医師患者関係の力関係も相対的に。人の持つ健康への傾向。治療者を求めるが、同時に自分の中にいる治療者が。心理療法においても医学と同様な心理治療が期待されることがある。大変多い頻度で期待される。クライアントが問題を訴え原因を明らかにして助言忠告指導により原因を除去する役割が期待される。人の心は個性的。アセスメントして助言指導により解決するというのは問題が軽い場合。耳を傾ける。心理療法においてセラピストは人間の意識の支配を超えた、生き方を見出す。健康に向かう力、内的治療者に依存。より自律的な関係が。心の奥に歩むのを恐れて、心理療法から距離を持つクライエントも。心理療法においては嫌悪などの否定的な感情にも耳を傾け続ける態度によって自由にして保護された空間を。無意識の領域に存在する自己治癒力が働く。自己実現傾向が最大限に。心理療法の器であるということ。セラピストはクライエントを深く理解しないと心理療法は進展しない。意識の統制力を弱めて内面に。自由連想法、夢分析、描画法、遊戯法を。
方法としてのセラピストの人物。医師には期待しない不安を持つ。私的な事情、否定的な感情を話せるだろうか、社会でタブーとされ秘密にしていたことを受け入れてもらえるか、中断しないか、人物としてのセラピストが問題。近い関係の人にしか語られないことを。専門家としてのセラピストの専門家としての信頼。心理的距離を近く。そうでありながら面接室などの前提、治療的枠組み、器により守られる。大場登。自分自身の心をレトルトの中に入れて身を晒す。非個人的な技能だけでなく。セラピストの人物が方法であるとユングが。セラピストの個人から体現。人物。人格という言葉があまりに道徳的価値を。心理療法においてマニュアルの作成はある程度可能?ほぼ不可能。同じ言葉でも治療の展開は異なる。容易にクライアントに見抜かれる。自分自身が分析を受けたりスーパービジョンを。ヨーロッパに於いても共通の資格を。スーパービジョンと自己体験が柱に。教育分析や瞑想などを含めた自己体験。体得する過程が。医学における訓練と異なる。
メディケーション、瞑想。瞑想の時間について。人物として生きた知識が必要。それに加え瞑想時間について。箱庭療法。毎日瞑想の時間を。玄関の右側に瞑想室が。座禅をして瞑想を。臨床家の姿勢の中で大切。自分の中の混乱を沈むる。メディケーションの時間を。どういう意味を持つか?自己への内面的理解。日常空間から治療空間に行くため。心理療法家を目指す人はいろんな症例を見て力をつける知識技術を身につけるために。
鏡、ミラーとしてのセラピスト。鏡という概念は色々な学派で。クライエント中心療法。クライエントが話すことを解釈するのではなく、鏡に。非支持的療法。反映。オウム返しに。反映技法。わかりやすい。セラピストの主観を入れずにクライエントの主観を受容。くらいえんとが母親の悪口を。一生懸命聞いて繰り返す。お仕事ばかりの人ん見えたのですね。繰り返すと色々思い出すことがあって話し出す。クライエントが話を聞いて鏡の役割をすることで生じる。一人で考えるのではなく。転移の話。セラピストの鏡として自らの心情を移す、転移という概念で理論化。攻撃的感情を展開。同じパターンでセラピストに向けられる、治療として扱われる。客観的に冷たいのではなく、主観的に冷たさを感じやすい。主観的なものが映し出されて言語化され対象化され具体化される。器としてのセラピストは鏡の役割としても存在。器と鏡。治療関係。鏡になるだけでなく、治療構造もまた鏡になることが。フロイト派でよく言われるが、より深いことや突っ込んだことを話さないといういけないという躊躇い。様々な葛藤として表現される。時間や頻度が足りないと感じたり、料金が高いことなどに表現される。主観性が現れる。治療構造。時間空間の枠も鏡の役割を。
心理療法の器としてのセラピスト。錬金術。客観的視点。密室の中で。ユングは錬金術に。錬金術師は物質の変更に投影。完全に密封。語られたことは秘密を。秘密の保持ができるかどうかはプロかどうかの物差しの1つ。消化できないことを。嘔吐したりして外部に排除。理解できないことや納得できない消化できない、容易に外に出してしまう。ヘルメスの器。客観的視点。面接状況において分析的第三者の存在が常に必要。弁証法的過程。事例の内側に居ると、それだけ夢をよく理解できる。しかし近づきすぎると、逆転移をすると、ともに無意識に。片足を内に、もう片足を外に。心理療法は鏡であることが必要だが、ちゃんと写すためには内だけでは足りない。クライエントの内面だけでなく自らの内面にも開かれている必要が。

 

臨床心理面接特論〈1〉心理支援に関する理論と実践 (放送大学大学院教材)

臨床心理面接特論〈1〉心理支援に関する理論と実践 (放送大学大学院教材)

 

 

偏狭な信心。

私は創価学会員であるのだが、創価学会の実勢はかなり弱っているらしい。というのは、参議院の比例区の公明党の得票数(政党名が書かれたものと候補者名が書かれたもの双方を合わせて)は2019年は653万6336票であったが、前回より100万票以上減らしているからである。信者が高齢化しているからとの理由もあるだろうけど、偏狭な集団だと周囲から思われていて、積極的な信者で無くなったり脱会したりしている人間も増えているのではなかろうか。かくいう私も全く活動はしていないが。某名誉会長の求心力で何とか学会の組織が成り立っているのは、聖教新聞を時たま読んでいても感じるところである。仮に某名誉会長が亡くなり学会が瓦解すれば公明党も瓦解するし現在の連立政権も危ない。減らしたと言っても公明党の得票数は自民党のそれの3分の1以上になるからである。まあ自民党は他に連立相手を探すだろうけど。

旧大戦での巨大戦艦2隻の運命。

正月早々世間は騒がしいし身辺にも色々とあるのだが、今日は違う話題を。

NHKのBS放送を眺めていると、軍艦武蔵と軍艦大和のドキュメンタリー番組を今朝に続けて放映していた。と言われても分からない人も居るだろうけど、大東亜戦争(これは日本側の名称で一般には太平洋戦争と呼ばれる)で沈められた巨大戦艦の2隻のことである。武蔵は1944年にフィリピンの海で沈められ、大和は1945年に九州沖で沈められた。両方ともアメリカ軍の航空機による。そもそも昭和の初期にかつてなく大きな戦艦を建造したのは、戦艦同士の艦隊決戦が来たるべきアメリカとの戦争で行なわれると予想されてのことであった。ところが実際に1941年に対米戦争(実際はイギリスなどとも戦ったし中国大陸での戦争も継続していたが実質はアメリカ相手の比重が大きかった)が勃発すると事情が一変した。劈頭のハワイの真珠湾攻撃からして空母からの戦闘機による奇襲であった。イギリスのものも含めて戦艦は飛行機の攻撃に耐えられなかった。そして戦闘のメインは飛行機によるものであり艦隊決戦は殆ど無かった。なので武蔵も大和もほぼ無用の長物と化してしまった。それでも1944年の後半になると日本海軍には飛行機が足りないので、戦艦を引っ張り出すしか他にどうしようもなかった。しかし航空機の傘が無い戦艦は飛行機には勝てない。結局2隻の巨大戦艦はほぼ戦果が無いまま沈むしか無く、双方とも2000人以上が共に海の藻屑となった。如何に未来を見通すのが難しいかが痛切に感じられる。どちらのドキュメンタリー番組もCGを用いたり再現ドラマを交えたりして分かりやすく面白かった。これからはTVでも馬鹿にしないでcheckしなければ。