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中国近世の士大夫政治と皇帝専制政治(東アジアの近世近代史研究第4回)

なぜヨーロッパみたいに産業革命が起こらなかったかの説明には欠けるところがある。そもそも政治とどれほど関係があるかどうかだけど。

 

夫馬進。士大夫政治。皇帝専制政治。中国近世の士大夫という階級。政治に何を?皇帝専制政治とは?明を建国した洪武帝。宦官政治と内閣政治。
士大夫。宋代の説明で。読書人とも言う?元々は天子や諸侯に仕える。支配層。宋代になると読書人にも。知識人による政治。儒教的な教養を。君子は器ならず。社会のリーダーとして相応しい。器。使いみちが決まっている道具。理想的な知識人は狭い分野の技術人であってはならない。かつての中国では、法律に詳しいことは全く尊重されなかった。高大王が相手となった者にも。中国古典を自由自在に扱っていた。それが士大夫。中国古典で武装した知識人。教養の有る人々。勉強したら聖人にもなれると。宋代以降の士大夫。甚だしい欲得主義者の面が。青春を投げ売って科挙に挑んだ理由。科挙を通らなければまともに生きていけない。朱子。理想主義者、理想の政治を。受験勉強は一時期のこと。仮のことと考えて我慢を。志が高ければ乗り切れる。割切ること?矛盾の解決は非常に困難に。理想を追いながら政治闘争が。新法党と旧法党。財政難で誰が犠牲になるか?契丹が強大になり、軍事に巨額の支出を。11世紀中頃。錚々たる政治家。士大夫たちは自分たちが政治を担うべきだと議論を。范仲淹。天下の憂いに先んじて憂う。理想主義と政治の気概。遼と西夏。しかし士大夫だけで政治をするのはあり得ない。最も問題となったのは青苗法。貧民救済策。農村の苦しい時期について、国庫から低い金利で貸し出すもの。労役があまりに重く農民たちは貧困に。青苗法が実施されれば高利貸しとしての利得を失う。地主などの既得権益を侵す。支持する集団を新法党、反対した集団を旧法党という。綺麗事の話ではなく。新法党についた者も損得勘定を。旧法党。文言泊。陳倉。大切なことの。士大夫は皇帝とともに庶民を支配。王安石。士大夫の利益は庶民のそれではない。進士となった40%は庶民だったが。士大夫政治は皇帝の権力を大きく制限すること。文言泊の口答からも。士大夫こそが皇帝を教育し理想を実現すべきと。士大夫が政治を行うべき。このような気概は次にみる専制政治の後は見られなくなる。17世紀後半になって、理想の士大夫政治を語ることに。
洪武帝。皇帝独裁政治。宋代以降はしばしば皇帝独裁政治の時代とされる。洪武帝の政治は自然な進化ではない。意図的に進めたもの。政治制度から外航制度まで大改革を。専制政治もその一環。モンゴル族による中国支配。しかし個性も大きく反映。朱元璋。貧しい農民の出身、飢餓状態にも。各分野で大きく刷新。朱元璋。庶民の生まれ、飢饉にも直面。若い時に黄巾の族という反乱集団にも参加。白蓮教徒?少なくとも弥勒の世を夢想したのでは。一種のユートピア。士大夫や官僚を全く信用せず、努めて排除し庶民と繋がる。次々と処刑する。官僚の無力化。粛清は度々行なわれた。庶民の代表として。官僚を直訴させる。3年から5年の周期で大きな粛清が。見せしめに殺害する。精力絶倫。官僚や知識人にとり行きづらい時代。知識人が官僚になりたがらなくなる。粛清されたくない。明代はじめのには庶民の出身者が多かった。知識人はなりたがらず。靖難の変から180年もの間官僚になっていはいけないと。官僚などから土地を没収して貧しい農民に与える。均田制を復活したのではなく、国家が名目上の地主に。形式的には国家の小作人に。実質的には自作農。官田と呼び民田と区別。粛清により悪事に手を染めないようにする。資産調査は10年毎に。貧富の差の拡大を防ぐ工夫が。宋代の王安石との比較。比較を絶するほど過激であり絶対的。士大夫は居ない。洪武帝は庶民や農民と直接繋がろうとする。悪人がいて処罰した。訴えた者には褒美を。実例。洪武帝が庶民に対して我が民と呼びかける。洪武帝の政策。漢の劉邦のマネ?洪武帝のやったことは、時代と隔絶したところが多い。特定の過去への復古策であったとは考えづらい。地主制を前提。大明律の作成。時代の変化と理想が盛られたもの。賦役黄冊の。独創的なもの。商工業は尊ばれる。必要最小限に。貧富の差を生まないための防御策。海禁政策に連動する政策。対朝鮮政策。一種のパーソナリティによるもの。
内閣政治と宦官政治。洪武帝の政治は典型的な専制政治。中書省まで廃止。何でも皇帝1人で決済する必要あり?精力絶倫にして可能。次の永楽帝。内閣制度で補佐。宦官を皇帝の影として。士大夫や軍人をスパイ。政府の取次を行う。内閣が成長して政治を。宦官も権力を握る。出来ないので内閣と宦官を。万暦帝の時。宦官も権力を。正徳帝。皇帝が変われば、内閣も宦官も殺された、専制政治が産んだ双生児。正徳帝と嘉靖帝。内閣は奴隷の姿を思わせる。士大夫も方なし。誰ひとりとして制御できず。同じ士大夫でありながら皇帝や宦官の奴隷に。清代は満州族が圧倒的多数を占める。緊張感をもって統治が。暗愚な皇帝は一人もいないとされる。内閣政治や宦官政治はなかった。軍機処が置かれた以外に目立った変化はない。清の末期まで変わらず。新しい政治思想を生み出す。名大砲録。1663年の序文。中国のルソー。人類の太古の時代にはめいめい自分のことを考え自己の利益を図り公共の損害があっても除去することがなかった。天下の人に損害から免えさせる。苦労ばかりが多くてあえてやらないことをやるのは本来の皇帝。高葬儀。万民のために政治をやるべき。士大夫政治を更に理想化したもの。名開放録。理想に対しては高い評価が。士大夫政治と皇帝専制政治からは、別の評価が可能。名大砲録。激しい地方官批判が。士大夫の二面性に対し考察が見られない。なぜ宋代の士大夫政治が失敗に終わったかの考察が欠けている。啓蒙思想が入ってくる。

 

東アジア近世近代史研究 (放送大学大学院教材)

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