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福澤諭吉と「文明の政治」(政治学へのいざない第8回)

江戸から明治への政治思想史は突っ込んで学びたいと思う。

 

西洋の文明を受容しようとする努力。政治概念の定着。政治における自由の原理を根付かせようとする。小政治と大政治。
69年当時の東京の新宿。日常の秩序からの解放を求める街の人々。しかし衰退の気配が。マスメディアは夢として報道する。対象の消費。挫折感を深める。集団内で働く者と働かない者が居る。対立に。人間は怠け者が多い。人間不信。意地悪な発言。自由な共同体の実現を断念する?小さな規模の集団の権力状況。イーストン。政治体系。分配の問題は重要。秩序を支える資金をどこから?権威によって配分を決めて指示する。小さな規模で自由な共同体、資金が要る。集団が直面する様々な問題。小さな集団の中でも政治と同じ営みが。大政治と小政治。同じ形をとっている。京極。小グループで政治。それの積み重ね。間接性。一対一の交渉。交渉の積み上げ。代表者同士の。文書を介した公的な交渉へと。政治家の交渉も一般の営みと変わらない。毎日小さな政治を実践。小政治が大政治の訓練に。秩序を支える。公議。徳川時代。個人の意思による独裁ではなく合議制。朱子学の発想を活かして。日本型の話し合いを積み上げた上に西洋の政治はあるか?日本の伝統社会での話し合いは要素が欠けている?洋学者、福澤諭吉。
福澤諭吉と文明への問い。紙幣の肖像に。脱亜入欧。帝国主義的拡大?時事新報での脱亜論を理解していない。植民地という主張はしていない。脱亜入欧は福澤の書籍には見当たらない。伝統文化を捨て去る、という発想ではない。歴史を前提としながら普遍的な文明の理想に近づく。1875年、文明論之概略。文明の本旨を論ず。文明とは快適になるのに留まらない。知を磨き徳を高める。両方の発展。知恵の点で優れていても文明の道の半ばに。日本は小政治と大政治が連続するという理想には程遠い。西洋では衆議の習慣が社会に根づいている。仲間の申合せ。西洋諸国においては数人でも仲間で議論し見識が出来る。仲間同士の約束によって様々な集団が作られている。様々な集団仲間が。次第に単位が大きくなり一国の議論が出来る。様々な意見がぶつかり積み上がる。議会による政治。文明社会の原理。欧米諸国の過剰な理想化?市民結社と民主主義。アソシエーションの活発な活動が民主主義を支える。18世紀から様々な結社が。自発的に。純粋に社交そのものを目的とする。専制政治を批判。自発的結社の小政治が積み重なり大政治に。江戸時代でも話し合いで決めたのは武士に限らなかったが。名主庄屋。村役人。合議制で決まることが多かった。一揆も集団のデモンストレーションの面が。日本が半開なのは何故?社会における自由の気風の不存在。日本社会の特徴は議論をしないこと。集団による自治はそれなりに発達していたが、自ら治めるというのではない。政治権力を支えるものとして。荻生徂徠。仲間が支え合って生きる。各人が何らかの役をすることで社会が成り立っている。階層秩序の中で一種の役人として。商人や百姓も。西洋諸国の衆議。アジアの風俗を対照して批判。インドのカースト制度。上下関係の構造。言論統制。支配秩序の末端に連なる集団。自ら秩序を築き上げるという意識はない。エゴイズムの横行。横井小楠のような知識人も居たが。西洋事情。自主任意、リバティ、フリーダム。わがまま放蕩ではない。自由という用語はリバティの訳語として適当ではない?自由の原理が政治の前提。

 

政治学へのいざない (放送大学教材)

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