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生徒指導と道徳教育(教育学入門第8回)

生徒指導も道徳教育も各人において正解が異なることは、強調しすぎることはないと思う。

 

教科外教育。生徒指導と道徳教育。教育の本質。学校行事や部活動。自立した個人としての規範意識。教育活動全体に関わる。教育課程。
生徒指導。子供のより良い成長を。生徒指導提要。カウンセリングマインド。相手をありのまま受け止める。生徒指導の前提。援助を必要としている。厳格な態度も必要。校則と体罰。子どもが守るべきルール。非行が特に中学校で増加。形から入る教育、管理教育。丸刈り。人権意識の絡みもあるけれど。体罰。禁止されているが、定義は曖昧。HPにあるのはあくまで参考。中学高校のトレーニングと体罰との違いは難しい。体罰を肯定している人も少なくない。信頼関係があれば良い?負の連鎖しか生み出さないのは研究で明らかに。体験者は概ね半数弱。指導することになれば体罰を使う可能性が。自分で考えて納得することが必要。体育大に入ったのはある意味で成功者?途中で止める人もいる。生徒と教師との信頼関係。苦痛は主観的なもの。皆納得すれば良い?社会的ルール。
道徳教育。ある社会で成員相互での規範の総体。人間らしく。学習指導要領に限定して。目標。教育活動全般を通じて。道徳の時間は勿論重要だが。第二次大戦の凄惨な状況、命の尊さを学んだことに。内容。4つの視点。自分自身。主として他の人との関係。友情など。主として自然や崇高な存在との関連。主として集団や社会との関わり。愛郷心など。シティズンシップ。これからの?様々な議論。立場の違い。国家や社会の安定。アンチ国家。研究者は理論的本質的な。教員はどうすれば良い授業が出来るか。戦前の道徳教育は全て悪だ、という発想が問題。様々なモノに神様が宿る、という発想、命の教育に繋がる。道徳の教科化。かねてから形骸化が叫ばれてきた。中教審。18年から教科化。戦前は修身の徳目。どのように教えてきたか。社会状況。友情、父母を敬う。修身科。軍国主義の基に?60年代に物質的に豊かに。しかしモラルの問題が。期待される人間像。人間のモデル。日本の伝統的な文化。市民社会の担い手。道徳や規範。教科にするべき?教育改革国民会議。日本の戦後教育の問題。第三の教育改革。
生徒指導と道徳教育。教育の営み。正解がハッキリしない。教科の教育なら知識の習得に焦点を絞ることが出来る。目指す人間像が多種多様。正解がはっきりしないからといって、個人の信念に還元されるべきものではない。様々な具体的方法や様々な研究。正解はないが体系だったものである。児童生徒が主人公。価値観を植え付ける、というイメージが大なり小なりあるが、子どもが主体的に考えることが必要。上からの指導は長期的に見れば良いとは言えない。教育という本質的な意義。教育は学ぶ側のものであるという大前提を忘れてはならない。子どもを取り巻く環境の変化。社会の動き。家庭や地域社会の公正メンバーの相互作用。最近は個人化。ネット上のコミュニケーション。典型例として子どもたちが大人たちの理解できない場所に居る。新自由主義。自己責任。世代論としての若者批判。社会の基盤としての規範意識を持つ。

 

教育学入門―教育を科学するとは (放送大学教材)

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