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新元号「令和」の気味悪さ。

今更ながらだが、新元号は「令和」と決まった。世に喧伝された各種の予想を外さなければならなかったのは大変だったと思う。まあネットの世界は広いので、blogやSNSなどで「的中」させた人はいるかもしれないけれど。

twitterのtimelineを見る限り、新元号は好感を持って迎えられている模様。違和感を持つ人も慣れていくだろう。私も含めて。これからの時代を暗い時代が来るとは思えないのは人間の性だから。ただ私は良い感触を持てていない。二文字の漢字を分けてみる。「令」は律令制の「令」。決まりごと、今で言う法律の意味だろう。「和」は勿論、平和の「和」。繋ぎ合わせると、法律で平和にする、と言う意味になるだろう。果たしてどうか?そもそも法律を持ち出すことが、平穏とは言えない。国会法や会社法、社内規定など、組織を司る決まりごとならまだしも、大概の法律は、その発動が問題ありという目印になる。刑法などの刑事法は勿論、訴訟法も争いがあるから登場してくるのだし、憲法の人権規定は、人権が侵害されたと思しき時に主張がなされる。要は法律を持ち出して平和にすると言うのは、通常の事態ではないだろう。そう言うことを元号に表すのはどうなのだろうか?法律の発動は別の人権や権利の侵害にも繋がるだろうし。

新元号は万葉集から取ったとされる。関連書籍は売れるだろうし、古代史など国史を学ぶ動きは強まると思う。ビバ日本。良いのか悪いのかは分からないけれど。逆に中国の歴史への関心は弱くなるのだろう。もしかしたら中国について突っ込んで学んだ方が、希少価値は出てくるかもしれない。