アランの断章の後半部を引用する。「叡知とはあらゆる種類の性急な判断や先入観に陥らないようつねにめざめている慎重さである。だから叡知は、知られていることや受け入れていることを問い直し、さらに確かなものとするため、主義として懐疑する。」つまり何もかもを前提としないで思考を進めるということになるだろうか。ある意味でデカルトの「方法序説」の論理の進め方と同値とも考えられるだろうか。デカルトは「我思う故に我在り」と考えた。しかし自己の存在は全ての前提と出来るほど確かなものであろうか?
アランの断章の後半部を引用する。「叡知とはあらゆる種類の性急な判断や先入観に陥らないようつねにめざめている慎重さである。だから叡知は、知られていることや受け入れていることを問い直し、さらに確かなものとするため、主義として懐疑する。」つまり何もかもを前提としないで思考を進めるということになるだろうか。ある意味でデカルトの「方法序説」の論理の進め方と同値とも考えられるだろうか。デカルトは「我思う故に我在り」と考えた。しかし自己の存在は全ての前提と出来るほど確かなものであろうか?