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国際協力NGO:シャプラニール(NPOマネジメント第13回)

NGOの活動にも試行錯誤が必要なことは、友人の活動からも理解できる。サポートができればよいのだけれど。

 

大橋正明。シャプラニールのバングラデシュでの活動。NGOの始まりは経済高度成長期に遡る。初期に形成された72年のシャプラニールを。年間予算2億人以上の中堅規模の。バングラデシュやネパールなどの貧困の問題や福島県いわき市での復興に。半世紀近い歴史で大きな問題が。歴史と現状。失敗とその克服。
協力活動の歴史。何度か深刻な問題に。議論して活動の変化を。問題から学ぶ。72年に設立。シャプラニール。ベンガル語。水面に白や赤の花を咲かせる睡蓮。直訳で睡蓮の家。バングラデシュの国の花。ユニーク。設立の背景には当時の東パキスタンなどが1000人以上の難民を出してバングラデシュの独立。独立直後に日本の大量の耕運機。手伝うボランティアを派遣して欲しいと要請を。共同で組織したバングラデシュへ若者が。耕運機の燃料費が無いので支援が出来ないことが少なくなかった。矛盾を抱えた援助の実際。団員数名は本当に役立つ援助とは何かを考えて9月に結成。最初の失敗。最初の活動はノートと鉛筆を。歩行者天国で募金を集めることを。学校に通い復興の礎に。物を与えるだけでよいのかの議論がある。73年にノートと鉛筆を配布する。飢えた子供に配ることに疑問符。同様の失敗を。現地通信員を派遣して73年に2人が赴く。
417事件。通信員は根拠を解説し情報収集を。誤ってダッカ事務所はシャプラニールと。バングラデシュ人の若手数名にアドバイザー就任を。大洪水。洪水被災地の1つで活動地を選定。8月以降に数名が簡素な事務所兼住所に。村に溶け込むことを。村の寡婦などによる手工芸品の販売などの活動を。数人を雇用するまでに。世界各地に輸出される。フェアトレードの先駆者に。74年に大洪水に。寄付金が多く寄せられる。洪水報道で社会的に注目され多くの人が集うように。選ばれて現地に。新しく派遣された人は軽く思えた。大きな意識の差が。現地の人に溶け込むことが求められていた。自己変革抜きにバングラデシュの変革は出来ない。75年から数年間、意識の落差の議論が。その過程で人が離れる。人々の関心も薄れ寄付も減少。大事件が。77年4月。事務所が住民の襲撃を。議論の核心は原因を巡って。日本人の価値観が問題?駐在員に納得はいかない。村の複雑な人間関係を把握していなかった問題。若い男女が一緒に住むことが理解できなかった?最低限の活動維持が。現地の大手NGOに引き受けてもらう。活動をめぐる模索が続けられる。収入的に困難な時代に。サラリーマン化したスタッフの管理と限界。農村の貧しい住民に的を絞りグループの活動を支援する。現地人のソーシャルワーカーを雇用する形を。貧しい女性たちに社会的意識を。20人前後の小集団を。話し合いなどを。共同貯金は低利で融資をして事業を。公衆衛生状況の改善のために浄化槽型トイレを提供。ショミティーが結成されネットワークが出来て問題に共同行動を。選挙に団結して影響力を。自立が達成されるとの筋書き。4つの地域に集中してそれぞれ100以上が。多くのバングラデシュ人のワーカーを雇用。日本では83年のイベントを機に名称を変更したりスタディツアーをしたり。第一次結成ブームで有給専従のスタッフを増やす。80年代を通じて国際協力を専門とするスタッフが主になる。ショミティー連合体の運営の困難さ。各地で100以上。地域ショミティー連合会。現実には独断専行や不正が。87年に地域ショミティーの連合体を改組する。現地はSmoothになったが住民自身の組織がなくなる。スタッフのサラリーマン化。ショミティーの疲弊。手押し井戸などが設置され持続。しかし段々活動が不活発に。数年後に多くが不活発化したり崩壊したり。限界が。他のNGOの多くも。マイクロクレジットの広がり。グラミン銀行。村人は5人の小グループを作り順番に融資を。貧しい村人はそちらに。ショミティーはますます顧みられなくなる。現地スタッフは150人にも。管理する日本人は若く3年程度で交代するので管理が出来ない。既得権益ができる。97年の末から100名以上が雇用不安からストライキを。最終的には雇用不安を払拭したが。シャプラニールが現地のNGOとパートナーシップ。現地のNGOが多数存在していて分業体制を築く。98年から10年近くかけて現地NGOに。3つの現地NGOとパートナーシップを。ネパールでは一貫して現地NGOと活動。
シャプラニールの現在の協力活動。デルタ地帯の。15年時点で4つの現地NGOとパートナーシップを、貧困対策としてマイクロファイナンスの普及で多様な人へ働きかけを。使用人の保護のアドボカシーキャンペーンを。パブリ。ストライキ騒動で独立してマイクロクレジットを実施。規模の成長を。中洲にある離れ島で通学への働きかけを。ジェージェーエス。07年の台風の被災地で。災害のリスクを低減する諸活動を。児童生徒対象の避難訓練やシェルダーなどの支援。フルキ。基礎教育や家事教育を提供。女の子を雇う雇用主に。少数民族の問題に向き合う。将来的に共存できるように伝承活動とベンガル語の教育に落ちこぼれないように。ネパールでの活動。内戦終了以降政治的混乱が。12年に新憲法の制定。連邦の在り方の議論。復興庁の設立が遅れ地震からの復興が長引く。開発プロジェクトに支障がある?地震前までは洪水対策などの現地NGOとパートナーシップを。アールアールエフ。ネパール最大のNGO。洪水頻発地域で住民組織の防災能力の向上などを。シーウィ。行政の目が届かない児童労働者を減らす。行政職員などへの支援。震災後の復興支援を大規模に。インド。登録を断念して現地NGOを資金面で支援。社会的経済的に取り残されたイスラム教徒などに支援を。災害救援活動。南アジアにおいて。11年の東日本大震災。国内での救援や復興支援を。10年8月のパキスタン大洪水。被災者は国民の10分の1の1700万人以上。調理器具などを。11年1月のバングラデシュの寒波。平均気温が2度以上低く。毛布などを現地のNGOを通じて。東日本大震災。当初は不安だったが福島県いわき市を根拠に。16年まで交流スペースを設けて交流の機会を。避難者向けの情報誌の発行。地元商店の強力でサロンの運営などを。避難者の広域自治会の。クラフトリンクというフェアトレード。手工芸品を購入して収入確保に。日本では通信販売などで。自立的に活動できる土台を。
まとめ。失敗から学び進化する。45年間を。ヘルプを試みるが物資では問題が。今度は村で日本人の活動が困難に。現地の人がエンパワーメントを。ヘルプから協力を。いくつかの壁にぶつかりストライキに。現地のNGOが実施するパートナーシップを。新たなNGOとも。変化を、協力から共生に。自分たちが直面する課題を共に担う。学んだ結果。15年に持続可能な開発目標。途上国の貧困に加え自身の経済の根本的変革を。国際社会の動向を先駆け。海外協力の考え方。先進的なNGOは権利ベースアプローチを採用。ネパールで小学校に通えない。RBAでは権利が守られていない状態と。行政や関係者への働きかけを。直接支援が止まると就学も止まるが、権利が一度守られると就学が維持される。資金と自発性。自己資金で運営しているが、日本政府の資金が多くなっている。外部関係に依存すると資金が集まる活動になりがち。広い意味で多くのNPOにも。

 

NPOマネジメント (放送大学教材)

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  • 作者:河合 明宣,大橋 正明
  • 出版社/メーカー: 放送大学教育振興会
  • 発売日: 2017/03/01
  • メディア: 単行本
 

 

 

バングラデシュを知るための66章【第3版】 (エリア・スタディーズ32)

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