会話体になっているが、問いと答えがかみ合っているかは別の問題だろう。
-----講義録始め-----
次に、効率公正モデルが依拠する完全競争の条件に関する質問をしたいと思います。完全競争は完全情報を前提にしていますが、テキストの13ページにあるように、完全情報と情報の非対称性という現実的な状況との相性は良くありません。
情報へのアクセス可能性やコストを無視して議論を進めると、取引の意義が正確に捉えられなくなります。しかし、情報が非対称であるとの判断自体が、理想的には情報が完全に提供される社会状態を想定しているように思います。実際、取引コストの問題に取り組んだロナルド・コースやオリバー・ウィリアムソンなどの新制度派経済学は、そうした想定に基づいて、情報の非対称性と取引コスト、また取引関係の固定化を意味する組織の合理性問題に取り組んでいます。そこで、新制度派経済学に対する先生の評価をお伺いしたいと思います。
はい。ご紹介いただいたように、完全競争の条件の一つが完全情報です。現実には、この完全情報がうまく広がっていない場合、特に新制度派経済学が注目したのは情報の非対称性です。
例えば、保険市場を考えるとき、被保険者は自身の健康状態を知っていますが、保険会社はその情報を持っていません。これを情報の非対称性と言いますが、完全情報の状態でも情報の非対称性があるということで、情報は客観的なものと前提されています。何かの状態があり、それについて客観的に捉えることができるということです。
これに対し、ハイエクやオーストリア学派は、市場で活用される知識は非常に主観的であると考えます。人によって考え方が異なり、時と場所によって同じものを見ても異なるように見えることを主観的であると言います。私もこの考え方が重要だと思っています。
主観的な知識を持ち、気付きを得た人が早く利益を得ることになります。同じものを見ても違うように見える、ということについて、ピーター・ドラッカーという経営学者がジェネラルモータースのキャデラックの例を挙げています。
1950年代にキャデラックの売れ行きが悪かったとき、経済学的な理解では価格を下げるか機能を高めることが考えられました。しかし、実際にはキャデラックはより売れなくなりました。その後、ジェネラルモータース内で、キャデラックが自家用車ではなく、贅沢品のカテゴリーにあるという気付きがありました。贅沢品として扱うと、価格を上げることでより売れるようになりました。このように、客観的な知識ではなく、主観的な気付きが重要であるということです。