F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

catastropheの可能性は減っていない。

今日は定休日明けなので入荷が多いだろうと早めに自転車に乗っていたら、児童の見守りボランティアvolunteerの人を見かける。挨拶して事情を聞く。高槻市の小学校では、週2回午前中の登校日が決められて、低学年と高学年も分けるとのこと。感染のスピードも小さくなったということからの判断のようである。後は児童や保護者などのフラストレーションfrustrationも溜まり限界に近いのかもしれない。その判断は理解できるけど、時期尚早のような気もしている。clusterが形成される可能性は残っている。そして児童が重症化しなくても、他に接触した人間に生命の危機が訪れない保障はない。今暫くは自制が必要だとしか言えない。こちらも小売業で売上が減っているのには頭を抱えているけれど。経済が「死ぬ」から宣言の撤回を叫ぶ人に共通しているのは、医療資源がコロナウイルス以外の疾病や負傷にも対応しなければならないことへの認識が欠けていることである。生身の人間なのだから不意に襲う可能性がある。その時にコロナ対応で手が回らないとしたらどうか?恐らく自身がなってみないと理解が出来ないのだろう。ううみゅ。