立花隆氏は著書の中で、弁証法というものが理解出来ないと書かれていたのをみたことがある。日本の左翼についても著書にしているので、マルクスやヘーゲルの弁証法についても勉強された筈だが、弁証法については私も同じ印象を抱く。形式論理学ではAという命題と非Aという命題は両方ともに成立することはない。ところが弁証法ではAと非Aを止揚(というのもよく分からないが)して上位概念が形成され、Aと非Aを受け継ぐとされる。分からないので幾つか例として挙げられるものを見たが、何故に止揚ということになるのかが理解出来ない。要は私(と立花隆氏)の頭が悪いのか?なお日本の戦後の左派はマルクス主義を下敷きに議論を展開したとされるが、どれだけの人間が弁証法を理解していたのかは不明である。左派の退潮の原因に絡むかもしれない。