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精神分析とユング心理学:フロイトとユング(精神分析とユング心理学第1回)

自分の奥を覗き込む行為は、他の人の相談にのるときには必要ではないかと感じる。

 

大場登。森さち子。フロイトとユング。精神分析とユング心理学。
印刷教材。意見交換。精神分析とユング心理学。大場登のユングについての記述。臨床心理に関心を持ったのは河合隼雄のユングの記述。精神分析を専門とするが最初に出会ったのはユング心理学。学部時代に出会う。図書館にいってユングの本を読んだり。河合隼雄の記述には入っていけたが、ユングの記述は難しかった。後に様々なことが分かったけれど。ユングの世界は非常に深い無意識の世界が語られる。20前後の人間には大変な世界だなと。学部で心理学の勉強を始めた頃に精神分析という科目が。小此木先生。お互いに逆。
フロイト。簡潔にフロイトの生涯を精神分析の発祥と絡めて。生涯全体を展望。ある一箇所に焦点を。ユングが1912年13年にフロイトと別れてから不安定だった。とても深いところに。その時の体験がユング心理学の根幹に。一部であったとしても無意識の圧倒性が。ユングの無意識の世界に最初に出会ったときは?河合隼雄を通してユング心理学に。わかりやすく書かれる。ユングは自分の体験を生々しく描く。ユングは順番に書かないで、1のある箇所に膨大な引用や注釈が入るのでついていくのが大変。自分自身が分析を受けて個人的なものを越えた世界に入ってはじめて研究することが出来る。その前には理解するのが難しかった。20歳前後に入り口に立ったところで難しくて引いた。フロイトの精神分析にも戸惑いを。あまりピンとこなかった。人生が関わっているフロイトとユングの世界。自分の心の状態を経験してどういう状態なのかと結びつく。自分自身の人生と精神分析、ユング心理学。研修として河合隼雄に出会い。日本ではそれなりに研修も。最初はドイツ、チューリヒのユング研究所で。フロイトについて書かれたように共通だが、自分自身の心と取り組むのが、それぞれの心理学に大きな要素に。教育分析を自分自身が受ける。夢と徹底的に向き合う。結構長く居た。3年半研修を。日本に戻ってきてそれから2年チューリヒに。分析を受け続ける。37歳の時に資格をチューリヒでいただく。それなりの自分を見つめることを済ませた。ユングが強調しているが、自分の中の意識と無意識のぶつかり合い、個性化。そのプロセスは生涯続く。分析家の資格を受けたからといっても終わらない。機会があっては迫ってくる。自分の人生と。Europaの研修から時間が経過して60歳になった頃、随分体調を崩したことがあった。圧倒的に自分の中の夢が活性化。何年か取り組む。夢との取組は分析家の前のときとはレベルが違う。とても大変だがとても深い経験。生涯を通して向き合い続けなければならない。一般的なイメージというか分け方、図式的に言うと、精神分析は大人になる辺りまでにスポットが。人生の午後の方にスポットが当てられるのはユング心理学。しかしそうでもない。自己分析。自分を知ることが終わることはない。フロイトの生涯の中で最晩年。闘病、癌と向き合いながら人生を送る。今日的テーマ。20世紀の初めに向き合う。フロイトは確かに科学的という言葉を意識的に強調していた。文学や考古学などに幅広い興味を持つ。恐らくユングとも共通。時代の状況という前提があって。科学というのを強調。分析家による匿名性。どんな治療者であろうと出来るのが科学性。最晩年にはやり取りで気がつくことがあると公に言える。逆転移の分析。確立の段階では科学性を強調し、確立すると自由に。小此木啓吾。精神分析的な治療態度、治療構造論。決まった時間に集中して会う。西洋の精神分析をもたらす。ある意味で厳しく精神分析の形を強調する。実際は臨機応変で情緒もあったけれど。精神分析が確立したら治療態度において自由に。ユング派心理療法が器は緩やかであると言われている。そういうところもあるが、河合隼雄が京都大学に居てユング派心理療法を導入した際。時間や場所や料金の器を重視。日本的なものもあったけれど。基本的にはユング派ということになっているが、フロイトも尊敬していてとても好き。フロイトが好んで、波に漂いそれで沈まず。フロイトとユング共通。夜の海の航海という比喩。焦点は違うかもしれないが、心の海に沈んでも巻き込まれない。ユング自身がvisionや夢に見舞われたときに精神病になり不安を。そこでもユングは圧倒的な無意識を理解しようとし続けた。ユング心理学で見逃されがちだが。visionなどを理解しようと。フロイトとも共通のものが。イマジネーション。そこの理解の仕方が。クライエントによる展開。何も解明しないでそのまま見守るのが重要と思ってしまうと、クライエントはどう体験するか。精神分析学派だが言葉を多用しない。何処かで言葉で理解しようとしているが。共有できる言葉を探す。日本のユング派で危惧すること。言葉にせずに見守る。クライエントの中で暗いことが。そういう夢が。まずクライエント自身にも伺う。自分の中でも読みを幾つか。何処まで伝えるか。そのセッションでわからないことは幾らでもある。何ヶ月か経って分かることも。あるタイミングで言葉や幻想がクライエントから出た時にそれと関連させて。クライエントの中で深いところが。それが動かないわけがない。難しければ難しいほどセラピストの心も動き出す。クライエントのテーマと共通だけど自分自身の人生と関わるような。そんな夢が頻繁に出てくる。自分自身がセラピストをしているが、自分自身の夢とかなり決定的に向き合う。不思議なことにあまりクライエントに伝えないことが多い。自分が経験すること。次回までにクライエントのテーマと同じような夢に取り組む。その中でそれが出来たら次の夢の段階に行っていることが。言葉ではあまり伝えないが、両者のコンステレーション。星座。色んな意味連想テーマが意識レベルでも活性化する。浮上してくる。向き合うことが双方に要求される。それでクライエントが進んでいける。精神分析の世界に置き換えながら。あり得ることや経験したこと。自分自身のある意味心のテーマやクライエントに共通のことが。自分自身の色んな経験があってクライエントを聞くと活性化して夢に見る。逆転移から。自分の体験も個人として考えるが、常にクライエントとの交流も思いながら向かい合っている?意識の上では?意識的につなげることは?無意識的には繋がっているが。自分の中ではクライエントのテーマと。クライエントだけのことでもないが。必ずしても生育史的なポイントそのものがあって向かい合う。ユングから言うとフロイトはエディプスコンプレックスが人間の普遍性に。フロイトは人間の心の中の人類に普遍的な。エディプスコンプレックスも大事な葛藤、課題。深い考察は色んなものがある。

 

精神分析とユング心理学 (放送大学教材)

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