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対人認知とは、他者の感情や意図、パーソナリティーを推測する心の働きです。進化心理学によれば、人間はコミュニケーションを通じて絆を築き、協力し合いながら繁栄してきました。#放送大学講義録(心理と教育へのいざない第9回)

-----講義録始め------

 

さて、対人認知という言葉に含まれる「認知」とは、人間の高次の心の働きを示す言葉です。日常では馴染みが薄い言葉と思われることから、今回の授業では「他者を認識する過程」というタイトルをつけています。

私たち人間は、心の働きによって身の回りにある様々な対象を日々認識しています。その認識の対象は人と物に分けることができますが、人間の認知である対人認知とものの認知では、少なくとも次の2つの点で大きな違いがあります。

第一に、ものの認知の場合、大きさ、形、色といった物理的・表面的な特徴を把握することに認知の重点があります。しかし、対人認知の場合、感情や意図、パーソナリティーなど、その人の心理的・内面的特徴の把握に重点が置かれます。物理的・表面的な特徴とは違って、心理的・内面的な特徴は外側から観察できるものではありません。そのため、心理的・内面的特徴を把握するには、自然と推測という過程が必要です。つまり、対人認知とは、他者の外見や言動、社会的背景などの情報を手掛かりにして、その人の印象を形成したり、内面にある感情や意図、パーソナリティ特性などを推測したりすることを指し、この意味でもの認知以上に複雑で高次な心の働きということができます。

さらに第2の相違点として、ものの認知は対象側、つまり認知される側が持つ物理的な特徴に規定される部分が大きいのに対し、人の認知はむしろ対象を認知する側の心の働きに強く規定されます。同じ人物に対する印象が私と友人では全く違うということは、日常でもよく経験されることです。これは、その人物についての知識や期待、欲求、感情などが私と友人で異なるためです。

ところで、今回の授業の冒頭では、人が絶えず他者とのコミュニケーションを求めているようだと申し上げました。近年、進化心理学という、人間の心の働きを進化という観点から捉え直そうとする学問が注目されています。そこでは、このように人が恒常的に他者とコミュニケーションを求めるのは、人間が他者と絆を築き、仲間と協力し合うことによって、厳しい自然環境に打ち勝ってきたからではないかと考えられています。

人間は多くの野生動物に比べ、身体能力という点では劣っているところが多い動物です。つまり、人間は単体では非常に脆弱で、たとえ大人であっても厳しい自然環境に1人で置かれたら生き延びるのは難しいでしょう。にもかかわらず、人間がここまでの繁栄を遂げたのは、仲間と協力し合うことで、1人では解決できない困難を克服してきたからだと言えるでしょう。ただ、仲間と生きていくには、自然と向き合うこととは異なる別の困難も伴います。共に生きる仲間もまた、人間である以上、感情や意志を持ち、それに基づいて行動するからです。こちらが思うように相手が動いてくれるわけではありません。

そのため、人間が他者とうまくやっていくためには、その相手がどのような人物で、どのような感情や意図を持っているのかをあらかじめ推測し、将来に備えておく必要があります。初対面の相手に対しては、接近し今後関係を築いていくべき存在なのか、それとも回避して関係を断つべき存在なのか、あるいは最初から無視しても良い存在なのかを瞬時に判断しなければなりません。これは私たちが生きていく上で切実な必要性であり、そのために対人認知とものの認知には大きな違いがあるのだと考えられます。